第187話 名を知らぬ君に短剣を、名を知らぬ花を貴方に3(エンドトラック1)

 *


 魔族の襲撃から五日目の朝。

 エリカは最近の日課であるシンの煎れた茶を飲みながら、自分の膝にしがみついて「帰りたくないよぉ」と駄々をこねるルーの頭を撫でていた。

 ちなみにそのルーの腰にはシャラが「ルーちゃん帰らないでぇ」としがみついている。


 相変わらず我が親友は友達を作るのが得意ですね、エリカは二人を微笑ましく眺めながら優美な所作で茶を飲む。

 そこにシンとダリル、それにその護衛の騎士とバルバラとエルザがドアを開けて入ってくる。


「荷物の積み込みは終わったぞ」


 インナー姿のシンが額に浮いた汗を拭いながら告げると、ルーが更にエリカの太ももに顔を押しつける。


「私ここに住む、エリカの太ももの上を安住の地にする」


「じゃぁ私はルーちゃんのお尻に住みます」


「朝っぱらから我が家の知性を下げようとするのは止めてくれ、あとエルザ、お前は屋根の上で良いとか怖いこと言うな」


 シンがゲンナリした顔でボヤク。

 実に良い。

 エリカはインナーの袖を肩まで捲ったシンの上腕二頭筋の作り出す美しいくぼみを見て思った。


 筋肉が作る膨らみも良い物だが、その真価はそれが作り出すくぼみだと思う。


「美少女三人と同居か、弟子よ。ハーレムか?男の夢だね」


 シンの師匠であるバルバラが弟子をからかう。

 二つ名の親切さはどこに行ったのだろうか? そう言えば出会ってから親切な所を見た記憶がない。


「俺は嫁一筋ですよ」


 膝が一瞬浮いた。

 膝にしがみついていたルーが短い悲鳴を上げたがエリカの耳には入らなかった。

 これか!? これが“親切なバルバラ”の親切か!?

 シンの立場からすれば、そう言い返さないワケにはいかない。


「ルーも我が儘言わないでくれ、お前がここに居るって事はダリルも帰らないって事なんだよ」


「ハッハッハ! 我が親友よ! 貴様が望めばいつまでも居てやろうではないか!?」


「望まねぇよ、帰れ、帰ってさっさと責任果たしてこい」


「うむ! 我が親友がそう言うのなら果たそうではないか! 責任とは負う物ではなく果たす物であるからな!」


 うるせぇ、そう言って眉間を揉むシンを見てつい疑問に思ってしまう。ダリル王子がシンを我が親友と、友から親友にランクアップしている事ではない。

 シンがうるせぇと言いながらも、そこに仕方が無いこういう奴なのだから、という“認め”みたいな物が見えたからだ。


 随分と仲が良くなっているような気がする。何時からだろうか? 少なくとも一緒に下水に落ちるまでは、シンがダリルを見る目は路上のゴミを見る目と同じだった。

 もしくは葉っぱの裏にくっつく虫だ。

 シンの声に含まれる気安さに妙な不安さを感じる。まさかあの馬鹿相手にそんな物を? エリカはそんな自分に驚き、つい責めるような口調が出てしまう。


「随分と仲がよろしいのですね? 王子?駄目ですよ、臣下の負担になるような事を望むはおよしになった方が宜しいかと愚考致しますわ」


 フハハハ! 馬鹿ダリルの高笑いにイラっとする。


「俺は既に友と肩を並べて戦った身よ!」


 何の自慢だ、エリカは再びイラっとした。


「最早俺に距離なぞ些細な事よ! 安心しろエリカ・ロングダガーよ! 貴様の側に我が友いる事を許してやろうではないか!」


「わたくしの物を側に置くに誰ぞの許可なぞ欠片も必要ございませぬが。そういう事はシンを背中に戦ってからにしてほしいですね」


 睨み合う。そしてエリカは微笑む。


「嗚呼、申し訳ございません。背を預けた事は無かったようですね」


 わたくしは預けましたし、預かりましたが。

 自慢げな声が出たと自覚はしたものの、相手がダリルだったのでエリカは遠慮しなかった。

 ダリルの顔が悔しげに歪む。


「やはり貴様らソルンツァリとは気が合わぬな! 場合によっては貴様と婚約者だったとは! 想像するだけで、そうはならなかった幸運に身が震えるぞ!」


 それはこちらの台詞だ。貴様のうなじの毛を毟ってその口を悲鳴で黙らせるぞ。

 心中で言ったつもりだったが、小さく口から漏れたのか、斬新な黙らせかただね、とルーが呟く。

 まだ何か言い足りないのか、王子が尊大に胸を反らし息を吸う。


 やはり黙らせるか? エリカが真剣に考えた所だった。シンの背中が眼前を覆う。

 まるで自分を守るようにダリルとの間にシンが立つ、なんかこう……何というか、良い。

 魔物相手との戦いで背中を任された時とは違う高揚感を覚える。庇うように広げられた腕が、俺の物だと言っているようで胸が高鳴る。


 戸惑うダリル王子にシンが言った。


「お前、友達じゃない」


 ドゥハァ! 王子が叫びながら仰け反り倒れた。


「友と呼ぶなは何度も言われたが、友達じゃないとは言われなかったのにッ」


 床に倒れた馬鹿ダリルが胸を押さえて悶える。

 友と呼ぶなは普通に友達じゃない宣言だろ、エリカは思った。


「貴様ぁ!」


 護衛の近衛が倒れた王子を抱き起こしながらシンを睨み付ける。お前の主君は本当にそれで良いのかとエリカは問いたい。


「言うに事欠いて友達じゃないだとぉ!? 貴様!王子の自室にお前の肖像画が幾つあるか知っての物言いか!?」


 こいつヘカタイに来て碌な仕事をしなかった癖に、最期の最期にとんでもねぇ傷跡残しにきたな。

 エリカは戦慄した。


「しかも日々綴られるシン・ロングダガー語録は既に五冊を超え、今では想像のシンならこう言った語録になってるんだぞ!」


 近衛に支えられた王子が両手で顔を覆いながら、やめろ恥ずかしい、と悶えている。

 怖い、エリカは素直に思った。

 だがエリカも日記代わりに書き綴った手紙の中身が、シンだらけだった事には思い至らなかった。


 エリカが王子にドン引きしていると、膝の上で「シン君愛されてるねー」とルーがのほほんと呟く。

 我が友の懐の深さが尋常じゃ無い。

 エリカは椅子をちょっと引いた。人生初に選んだ後退かもしれない。

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