第99話 貧乏子爵家次男は瞳を探す21


 *


 剣先に乗る魔力は恐ろしく重く固く、自分自身の身体強化によって内臓が潰れ、噛みしめた歯はきしむ。

 時間としてはまばたき一つ分ほどでしか無かっただろう。


 何か色々と考えたのだと思うのだが、結果俺に残ったのはここで逃げたら男じゃない、という馬鹿みたいな思考だった。

 噛みしめた奥歯から雄叫びが漏れる。


 人が叫ぶのは何かを求める時だと、誰かが言ったのを思い出した。

 助けや、希望や、望んでやまない思いを人は叫ぶのだ、俺は今それを実感する。


 回復魔法を使っても使っても、ひたすらに自分の身体にひねり潰される内蔵の激痛に思考が真っ白になる。

 それでも。


 俺は自然エリカの名前を叫んでいた。

 噛みしめた口では上手く発音できず、酷く不格好な音だったが。


 確かに俺はエリカの名を叫んでいた。


「エぇええええるぃいいいいグァぁあああああ!」


「呼んだ?」


 上空へと弾いたドラゴンブレスが空気を焼く。

 膝を突きそうになる身体を叱咤しったする。


 そして俺は思った。


 え? 誰? と。


 *


 上空へとブレスを弾き返した俺は、本能的な危機感で身体強化の強度を下げ、崩れ落ちそうになるのを必死で耐えていた。

 身体のせいではなかった。


 身体強化は絶賛ぜっさん稼働中で先程よりかはずっと優しいが俺の内臓をミンチにしようと頑張っているし、今も少し足に力を込めれば俺はどこかへ吹っ飛ぶだろう。

 頭が回らなかったのだ。


 本当にごく単純に頭が働かないのだ。

 ただ立つという行為、それだけを維持するだけで頭がいっぱいになるし、身体強化の制御は酷くあまい。


 だからブレスを弾かれた竜が怒りの咆哮を上げこちらに突進しようとするのを見ても俺は何も考える事が出来なかった。

 何かしなければと思うがどこにも繋がらないのだ。

 強いて言うのなら、エリカが居てくれればという事だけが頭に浮かんだ。


 ああ、まずい。

 このままだと死ぬぞ俺。


 それすら行動に繋がる事はなかった。

 だからだろう、良く知る声で「呼んだ?」と問われた時に誰だ?と思ったのは。


 肩口で切り揃え、一房だけ腰まで伸ばした髪を複雑にかつ雑に編み込んでいる特徴的な銀髪。

 良く知っている背中、良く知っている声。


 それでも頑なにそれが誰かを思い出そうとするのを俺の頭が拒否するのは、きっとその誰かがそこにいるという現実を受け入れたくないからだろう。


「呼んでない、断じて呼んでない」


 身体強化のかかった身体が、勝手にそう呟いたのを感じた所で俺は意識を手放した。


 *


 目を覚ました俺はただ祈った。

 夢であってくれと。


 ここがどこか?も、アレからどうなったのか?も確かめる気にならない。

 ただただ夢であってくれと、それだけを神に祈った。


 確かに敬虔な信徒というわけではない、神の実在を疑った事など無いが、神に祈る必要を感じた事が無いのもまた事実だ。

 そんな男が今更祈った所で神が聞き入れるとも思えないが、それでも祈りよ届けと俺は必死に祈った。

 キツく閉じていた瞼をゆっくりと開く。

 ここはヘカタイの家で、俺は起きたらエリカにおはようと言うのだ。


「目覚めた」


 酷く淡々とした声が俺の祈りが届かなかった事を告げた。

 思わず両手で顔を覆った俺は思わずこう呟いた。


「ですよね」


 冒険者の祈りは折られる為にある。

 俺は冷笑家の冒険者が残した言葉を思い出した。


 *


 軽くまとめよう。

 俺が気絶してから三時間ほどしか時間は経っていない。


 俺が寝ているのはノールジュエンの宿屋。

 黒化したジュエルヘッドドラゴンは逃走。

 

 俺が気絶したし、周りに巻き込んだらマズそうな冒険者が多く居たので追い払うだけにした、とはジュエルヘッドドラゴンを追い払った冒険者の談。

 つまり、目の前で銀髪の妹弟子が語った内容だ。


 そう、俺と同門で俺より後から弟子入りしたにも関わらず俺よりランクの高い、“串刺しエルザ”ことエルザ・アーセナルである。

 彼女がなぜこの場にいるのかと疑問に感じるが、それよりも問題はエルザが一人なのか? という点だ。


 まさか師匠もこのノールジュエンに居るんじゃないだろうな?

 その疑問は確かめる事すら強い恐怖を感じさせる。

 俺が気合いを込めてその疑問を口に出そうとすると、ふと目の前の光景に別の疑問が口を突いて出た。


「何をしてるんだ?」


「絵を描いてる」


 妹弟子、エルザは淡々と俺に答える。

 なるほど回復魔法をかけた後、俺が目を覚ますまで暇だったのだろうと、普通なら思えるが。


 椅子に座って絵を描くエルザの筆先にあるのが見覚えのある白い仮面だったら話も変わる。


「お前、他人の物に勝手に絵を描いちゃ駄目だろ」


「大丈夫、兄弟子のだから」


「喧嘩売ってんのか」


 エルザが俺の言葉に筆を置き小首を傾げて俺を見る。

 仮面の頬にやたらと精緻な花の絵が描かれている。

「兄弟子とは喧嘩しない。兄弟子はエルザを殺して良い人だから」


 言外に、“殺すの?”という質問ではなく、“殺しますか?”という確認が含まれている事に頭を抱えそうになる。

 相変わらず頭がアレすぎる。


 エルザの世界はシンプルだ、他人、敵、自分を殺して良い人、その三つで出来ている。

 正気を疑うが、エルザという人間は正気でそういう世界で生きている。


 これで何か、そうならねばならぬ悲惨な生い立ちやら、一族の悲劇やら悲願などがあれば、まぁそういう物かと思うのだが。

 エルザの場合はごく普通に育ってコレである。

 

 生まれつきナチュラルボーンアレなのである。


 気が付けば本当に片手で頭を抱えていた俺は、エルザの言外の問いに対して空いてる方の手を横に振って答える。

 それに対してエルザは何も言わずに筆を動かすのを再開する。


 これ以上何を描き込むのかと思うが、好きにさせる事にする。


「で? どうしてこの街にいるんだ?」


 ベットから身を起こしながら問う。

 まさか師匠も一緒じゃないだろうな?


 俺がそう言葉を続けようとした所、エルザが再び筆を止めると、椅子から立ち上がり仮面を俺に突き出してくる。


「まだ乾いてないから気を付けて」


 そう言って俺の手に仮面を握らせると、警戒するようにドアへと視線を向ける。

 一瞬呆気にとられたが、近づく足音に気が付いてその意図を悟る。


 仮面を装着しながら思う。

 性格はアレなのに、こういう気遣いは出来るんだよなぁ。


 俺は扉をノックする誰かに起きている事を告げながらそんな事を考えた。

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