菊の花

鷹乃栞

菊の花

去年8月、母方の祖母が亡くなった。

2年前のこの頃は祖父が亡くなったばかりだった。

祖母は祖父の後を追うようにこの世を去った。祖父は無口で少し厳格なイメージに対し、祖母は小説や漫画に出て来る絵に描いたような優しい人だった。大きな畑を二人で管理し米や野菜を収穫、そうれっきとした農業を営んでいた。祖母の葬式が終わった後、祖父母の実家に戻るととても静かだった事を今でも覚えている。ここは「にぎやか」という名に相応しい家だったからだ。幼い頃は兄弟3人で疲れ果てるまで屋内外問わず遊び回っていた。三人が高校や大学に通っていた頃は大学での生活を二人に話していたものだ。大学生活というのは中学卒業して以来働いていた祖父母にとってはとても関心のある内容だったようだ。

「大学っちゅうのはどういうことをするんかね?」

「今はなん勉強しようとね?」

子どものような純粋に尋ねてくれる、そんな二人が僕ら兄弟も大好きだった。覚えていないが、僕が初孫だったこともあり祖父母は親族によく自慢していたそうだ。「あの子がいるから長生きしたいもんだって耳にたこができるくらい聞かされたわよ」母は懐かしそうに僕に話していた。


「雄太、聞いてるの?」母は僕に訊ねた。

「あ、うん」

「早く荷物の整理をしなさい。今日はこれからおばあちゃん家で法事の準備をするんだから」

そう、僕は祖母の葬式以来1年ぶりに東京から実家に帰省していた。母から盆に実家に帰ってきて欲しいと連絡があった。どうやら両親は今年の祖母の一周忌、祖父の三周忌をこの盆でまとめて行いたいらしい。母親がめんどくさがり屋なのか合理的なのかはわからないが、法事を二回分けてやるのは肉体的にきついだろうし何より息子達がわざわざ二回に分けて実家に帰るのは不可能に近いだろう。僕もその立場なら同じ事をするだろうと思った。

「葬式と違って人も少ないけんうちらでやらんといかんのよ。あんたには色々手伝ってもらわないけんと。お父さんと博人、智也はもうばぁちゃん家に向かっとるとよ」

「わかっているよ」今朝帰省したこともあり疲れ気味だった僕は少し怪訝そうに応えた。


法事といえば特に一回忌は、法事の中でも盛大に行われる法要とされているが、祖父母は山奥で何十年も農家を営んでいたこともあってほとんど訪れに来てくれる人はいなかった。そのため僧侶の読経から会食(お斎)までそれほど時間が掛からず夕方前には閉式となった。

「夜飯はどうするの?」僕は母親に聞いた。

法事で出て来る料理は基本食べた気がしないこともあって夕方頃には空腹だった。

「ここで食べるよ。あとあんた達三人に少し話したいこともあるけん」

「なんの話?」僕は気になって尋ねた。

「みんな集まって話したいことやけん夜まで待っとき」母は法事の片付けをしながら奥へと向かっていった。

なんの話だろう?僕は気になりつつも夜まで小腹を満たせるものを祖父母の家で探した。


「今年までにここの土地を売ることにしたんよ」

「え!?」僕ら3人は同時に声を上げた。

思ってもみないようなことが母の口から出たからだ。この家は元々祖父母と叔母3人が住んでいたこともあって、祖父母が亡くなった後も叔母がそのまま住んでいたことからすぐにこの土地を売るという考えには至らなかったからだ。

「おとぅ(父親)とまさみ姉ちゃん(叔母)、しのぶ(叔父)と話し合って決めた。しのぶは東京で働いていることもあってこっちの手伝いには来れないし、あんた達もこっちには住んでないでしょ?おとぅとまさみ姉ちゃんとうち3人でこの土地を管理することはできんからね。まさみ姉ちゃんも別途アパートを借りる予定みたいだしそしたらこれを機にこの土地を売ろうと思ったんよ」

「ここの土地の買い手はもう見つかったの?」博人は母に質問する。顔を見ると少し狼狽している様子だった。

「近所の地主さんに売ることにした。あんたらも知ってる酒井さんよ。息子さんが農家を継いでくれることもあって安心して任せられるかと思ってね。このままここの土地が誰にも使われずに済むなら他の人に使ってもらいたいんよ」母は応えた。

「お墓はどうするの?」智也が答える。

一番の問題はそれだと僕も思った。今の祖父母の家には仏壇もあるが、敷地内にお墓もあるためこちらをどうにかしないといけないのだ。

「改葬することにしたんよ。売ってしまったら今の場所だとお墓参りもできないからね。どこに移すかは今相談してる最中。遅くても十二月くらいには移動させたいと思っている」

「残念だけど手放すしかない。この大きな畑を管理し続けるのは大変だし、何より俺たちを含めて全員農業をやったことないからな。ましてやおかんもおとんも五十過ぎてるから流石にしんどい」父は母の説明を補足するように話した。

「雄太は何か質問ある?」母は訊ねた。

「いや、特にないよ。皆で決めたことなら僕もそうする」

「そう、わかった。じゃあ今年までに手続きを進めるね。おかんも寂しいけど仕方ないと思ってる」


反論はなかった。父と母が言っていることはもっともだ。半端なやり方ではこの広大な土地を管理し続けられるわけがない。それは長年祖父母の生活を直接見ていた僕らが一番わかっているはずだ。いつかはこの土地を手放す時が来る、そんなことはみんな分かっていた。けれどもこんなにも早く迎えることになるとは思いもしなかった。

そうか、来年からもうここにはいれなくなるのか。ふと窓の外に目を向けた。窓から見える大きな畑。昔はここ一面に赤白黄色の菊の花が一面に咲いていた。二人が毎年欠かさず作っていた菊の花。今でははもう雑草が生い茂っている。心にぽっかりと穴が空いた気分だった。


「相変わらずほとんど見えないね。街頭もないからトイレに行くのも一苦労だよ」智也は寝室で寝る準備をしていた。祖父母の家は畳の間が襖や欄間で仕切られた典型的な''昭和の家''だ。そこで幼い頃から三人で寝るのがお決まりだった。

「明後日には俺たち帰るから今日がばあちゃん家での最後の日だよな」

僕は二人に訊ねる。

「うん、そうやね」二人は相槌を打った。

「二人はこの土地に住めなくなるのは寂しくないん?」

「寂しいよ」博人は続けた。

「でも、この土地自体がなくなるわけじゃない。引き取ってくれる人がいる。この土地をまだ使ってくれる人がいる。それだけでも十分じゃない?」

「それにここでの思い出がなくなるわけじゃないし、俺はここでじいちゃん、ばぁちゃんと過ごせたのすごく楽しかったよ」智也も応えた。

すっかり大人だなと思った。

小さい頃は僕の後ろばかり付いてくるばかりだった二人。

「そういえば、ここってGoogle Mapにはほとんど載ってないらしいよ?」

博人は訊いてきた。

「え、どういうこと?」僕は聞き返す。

「めっちゃ特別感がない?Google Mapにはほとんど載ってないけどここで俺らは過ごしてたんよ、すごくバグっぽいよね」

「そう言われてみれば」智也は納得していた。

「いかにも若者っぽい発言だな」僕は微笑見ながら応える。

「だからここで撮った写真は俺たちだけにしか分からないんだぜ」

こういうところだけ発想が妙に子供っぽいなと思ったがそれが博人の良いところだ。

「にいちゃんたちがこれまで撮ったここでの写真見せてよ」智也は訊ねた。

「いいね」博人も続いた。

僕ら三人は持ってる写真お互いに共有しあった。もうない米倉の写真、昔使われていた不気味なトイレ、米の収穫時期の写真、祖父が昼寝している写真。たくさん出てくる。祖父母はこんなにも愛されていたのだなとこれまで撮ってきた写真を見ながら感じた。そう感じるとなんだか眠くなってきた。

「さ、そろそろ寝るか。この家での最後の就寝だな。おやすみ」僕は二人に伝えた。

「おやすみ」

僕らはぐっすりと眠った。


二日後、父と母に来年また帰ってくることを告げ、僕は東京行きの空港へと向かった。弟たちも無事飛行機に乗れたらしい。年末あたりにはまた両親の実家に帰ってくるとのことだ。「ご搭乗の最終案内をいたします。日本航空308便 15:20発 東京行きのご搭乗案内をただいまから開始いたします。お客様は搭乗口9番へお越しください」アナウンスが流れる。

そういえば、昔菊の花が一面に咲いていた頃の写真をiPhone保存してたような。僕は昨日博人が言っていたことを思い出しながら写真を探してみる。

「あった」思わず声をあげた。

Google Mapにもほとんど載っていない、この地で撮った広大な畑一面に咲く赤白黄色の菊の花、そこで働いている祖父母。世界に一枚だけの写真。

「さて、明日からまた仕事頑張るか」少しの寂しさと嬉しさを感じながら僕は東京行き搭乗口9番へと向かった。


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