発生区域-2


 閃の涙が引っ込んだあとは、約束通り伊都が語る番となった。


 伊都が二年あまりで攻略してきた七基もの塔の話は、どれも身を乗り出すほどに刺激的だった。ある塔は火の海、またある塔は雪の山。塔と一口に言っても、中に入ればその姿は一つ一つ、まったくの別物だという。


「どの塔が、一番印象に残っていますか」


 沙珱の面接官のような生真面目な質問にも、伊都は笑顔を絶やさない。


「それはやっぱり、一年生の秋に初めて攻略した塔ですね。昨日のことのように覚えています」


「どんな塔だっただか?」


「十メートル級、一番レベルの低い初心者向けの塔でした。うろついている塔棲生物エネミー――兵隊センチネルの危険度も大きめの熊くらい。中はのどかで、緑豊かな森の迷宮。研修ということで、クラス三十三名全員と、お二人の教官と一緒に潜りました」


「松クラスが全員か。すげーな」


「いえいえ、私は入学当時梅クラスでしたから。松に上がったのは二年の秋からです」


 それは初耳だ。彼女の異能バベルが糸と針を出せるだけの《裁縫師テーラー》だと思いだして、竜秋は納得した。


「じゃあ、デビュー戦から一気に活躍して名を上げたわけだ」


「いえ、逆です。たかが兵隊センチネルを前にして、怖くて動けなくなってしまいました。仮想訓練でさんざん戦っていたのに。私は何一つ役に立てず、塔は当時クラスの中心にいた子たちが力を合わせて攻略してしまいました。みんながレグナントと戦っている間、私は教官の背に隠れながら、完全に蚊帳かやの外でしたね」


 竜秋は眉をひそめて彼女の話を聞いていた。その話が事実だとしたら、それを笑顔で懐かしめる伊都が、竜秋には理解できない。


「それで、印象に残っているんですね」


 沙珱は逆に、深く伊都に共感したような顔でそう言った。


「はい。自分の情けなさと、それでも美しかった塔の景色が、今でも忘れられません。私がここまでこれたのは、あの日があったから。皆さんにも早く佐倉先生を倒して、塔の中をご覧になって欲しいです」


「言われなくても。なあ?」


「うん。必ず倒す」


「この前なんて惜しかっただよ!」


 話題が打倒佐倉に流れ、竜秋たちは伊都まで巻き込んで、真剣に次の作戦を練り始めた。


 そして――


 自由時間を終え、再集合した竜秋たち十一名は、午後二時過ぎ、葛飾区青戸――発生区域エリア東京Ⅲに足を踏み入れた。



✳✳✳



 この世のものとは思えなかった。


 発生区域エリアを仕切る金網の前で、竜秋たちは思わず息を呑んだ。


 直径五百メートルにも及ぶ金網の外壁に囲まれた発生区域エリアの中は、竜秋たちのいる外側とはまったくの別世界。一言で形容するなら――核に焼かれた街。


 金網を乗り越えて間もなく、巨大なスコップでえぐられたみたいに一気に標高が落ちる。外周を瓦礫がれきの山に取り囲まれた、辺り一面の黒い砂漠を、竜秋たちは金網越しに見下ろす格好だ。ほんの四十年前まで、青砥駅を中心に商店街や飲食店で賑わっていた下町が、変わり果てた姿で眼下に横たわっている。


 大量の瓦礫が縁取ふちどるように発生区域エリアを囲んでいたり、全域がクレーターじみた凹地おうちになっているのは、この中で塔が発生するたびに、核爆発じみた衝撃波で建造物や大地を吹き飛ばしてしまうからだ。四十年もそれが続けば、どこの発生区域エリアも似たような光景になる。


 草の根一つ生えないようなわびしい焼け野原に――華を添えるように、一条の巨塔がそびえ立つ。


 深いブルーの外壁つややかに、一直線に天まで伸びるその尖塔は、【塔11号】とナンバリングされた七十メートル級の塔。挑むことができるのは、すなわち階級レベル70以上の塔伐者及び候補生だけだ。


 塔の名前は、発生区域エリアを所有している各都道府県がそれぞれ独立して、年明けから新しく発生した順に『1号』『2号』と台風のように命名していく。


 東京であればこの青戸を含む五ヶ所の発生区域エリアを持っている。塔の発生を検知するたび、そのとき一番空いている発生区域エリアに発生を誘導するルールだ。ここにある塔は二ヶ月半前に発生したこの【塔11号】一基だけのため、今朝の塔予報にもあったとおり、近日中に二基目の塔を呼び込む手はずとなっている――なんてことは一年前期の授業でも習うレベルなのだが、一応校外学習という授業の体裁を保つためか、伊都は竜秋たちに向けて発生区域エリアを指で示しながら、そのような内容をレクチャーしてくれた。


「あ、あれがその《誘導針コンダクター》ですね」


 伊都はへこんだ黒い大地の一点を指し示した。身を乗り出して見下ろすと、灰色の砂煙で霞むその先に、遠方、黒い"針"のようなものがかすかに見えた。


 実際には、竜秋の背丈を優に上回る巨大な三角錐さんかくすいの物体だったが、この距離で隣の塔と見比べれば針にしか見えない。材質は遠目で見る限り、光を通さない漆黒の金属といった感じだった。あれが――雷を引き受ける避雷針のごとく、塔の発生をその地点に限定する科学の結晶。《誘導針コンダクター》。


「すげー! こんな近くで塔見れるなんて! そのこんだくたー? ってやつも、今日のタイミングじゃないと見れなかったもんな! ラッキー!」


 はしゃぐヒューの言うとおり、竜秋たちは校外学習中の候補生という権限で、今、一般人の立入禁止区画から数百メートルも発生区域エリアの中に踏み込んでいる。ここは竜秋を含め、全員にとってまさしく未知の領域だった。


「ふふ、塔に挑戦できるようになれば、目の前どころかナカまでぜーんぶ見れちゃいますよ」


「うおおおおおっ! もえてきたー!」


「私もその瞬間を見たことはありませんが、いよいよ塔の発生が近づくと、あの《誘導針コンダクター》が呼応して輝き始めます」


「ほえー、あんなふうに?」


 小町がそう指をさすので、伊都と竜秋たちは一斉に視線を発生区域エリアの中央部に戻した。


 光っている。


 冷たく無機質な黒色だった《誘導針コンダクター》が、淡く、発光している。それも段々と強く、まばゆく、激しく明滅をしていく。際限なく加速していく心臓の鼓動のように。


「まさか――」


 伊都が目を見張ると同時、竜秋たちは一目散に金網に張り付いた。これから起ころうとしている希少な出来事のすべてを記憶に、心に焼き付けるために。


 肌が切れそうなほどに、空気が張り詰めていく。光の点滅が目で追えないほどに加速していく。なにか途方もないエネルギーの塊が、あの三角錐さんかくすいから生まれようとしている。


 刹那。


 閃光が眼球を貫いた。思わず目を覆った竜秋たちを、直後に襲った大爆風が散り散りに吹き飛ばした。

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