松組殺し-2
塔伐科高校の医務室は、ちょっとした病棟である。個室の病床が五つと、二人部屋が二つ。手術室に集中治療室まで完備しており、常勤の
養護教諭の赤羽を含めて教員に複数の治癒能力者がいることもあり、校内での怪我や病気はいずれも迅速に治療され、ほとんどはその日のうちに全快する。ただし、"即死"ばかりはそうもいかない。
校内で、【塔】に登った以外で死人が出たのは、戦闘訓練に仮想空間技術が実装される以前が最後であり、もう三十年近く前のことらしい。
ましてや不慮の事故ではなく、他殺の可能性が限りなく高いとなると、前代未聞のことであった。
「……あ」
もぬけの殻の受付を素通りして、竜秋を背負い、唯一電気がついていた二人部屋を覗き込んだ沙珱は、そこのベッドの一つに座って処置を受けていた少年と目があった。
「君は……」
少女めいた顔立ちの少年は、沙珱を見るなり垂れ気味の目を見張った。先の校内大会終盤で沙珱たちを救い、突然死んだかと思いきや、炎の中から不死鳥のごとく蘇った――熾人。謎多き、松クラスの少年。
「ちょっと、お見舞いならあとにしてくれる?」
かがみ込んで処置をしていた、白衣に映える長い赤毛の養護教諭が眉をひそめる。沙珱はびくっと一瞬体を引っ込めてから、小さく首を横に振った。
「あの……私のクラスメートも一人、目を覚まさなくて」
背負った竜秋を見せると、赤羽は「またあんたか」と何やら面識ありげな目つきでため息をつき、空いているベッドをだるそうに示した。
「驚いた、君はまるで健康体ね。一度は喉に穴が空いて、ドーナツみたいに向こう側が覗けたのよ?」
「あはは……すみません、そういう
困り笑いの少年に、赤羽はどっと疲れたように息を吐いてから、寝かされた竜秋の方へ映った。
「……外傷はないわね。けど、どこかがひどく損傷してる。これは……脳、かしら」
竜秋の首筋に軽く触れた赤羽の指先が淡く輝く。己の
「あの、実は、激痛を与える能力者の攻撃を繰り返し受けて……」
「どれくらい?」
「えっと……とにかくたくさん」
呆れ果てたように美女が唸った。
「残念だけど、本当に脳の損傷が原因だとしたら、私には治せない。詳しい検査をして、できる手を尽くしたら、あとは神に祈るしかないわね」
暗幕が垂れるようにゆっくり視界を覆っていく絶望を、少年の柔らかい声が溶かした。
「僕が治しますよ」
ベッドから降りて竜秋の元までやってきた熾人は、赤羽を押しのけて、眠る竜秋の額に手をかざした。何か、この上なく神聖な宝石に触れるように、慎重に、遠慮がちに。
凍える旅人を暖める暖炉のような、柔らかい金色の炎が溢れた。
「ちょっ!?」
ギョッとする赤羽をおさえて、熾人は炎を操る。シーツに燃え移ることなく、炎は竜秋の頭を優しく包み込むように膨れていく。
やがてほどけるようにして炎が消えると、竜秋の穏やかな寝顔が残滓に照らされた。心なしか、さっきより安らかな顔で眠っているように見える。
「他人に使うぶんには、そう万能な治癒能力じゃないですけど。これでひとまず大丈夫だと思います。じきに目を覚ますでしょう」
「……とんでもない
竜秋の体に触れて再び診察したらしい赤羽が、感服の眼差しで熾人に笑いかける。
「その……ありがとう。さっきのお礼もまだだった」
どうにか声をかけた沙珱に、熾人はバツが悪そうに微笑んだ。
「僕が勝手にしたことだ。たっちゃ……
「彼と、知り合いなの?」
一目で分かる。特別な関係であることは。熾人は弱ったように薄く笑った。
「尊敬してるんだ。一方的にだけど」
あなたほどの人が? そう言いかけて、沙珱は言葉を飲み込んだ。
「少し、分かる。彼は、なんていうか……とても眩しい」
「うん。お礼を言いたいのは、僕の方こそなんだよ。たっちゃんと仲良くしてくれてありがとう」
「仲良くなんて……」竜秋が起きていたら噛みつかんばかりに全否定するところだろう。恐縮して首を振った沙珱に、熾人は「
「十二倍速の世界だから、ダイジェスト版みたいな感じだけどね。僕の知っている彼とは随分違った。君も、桜クラスの皆も、たっちゃんのために必死で戦ってくれてた。それがすごい、嬉しくて」
「なんだか……保護者みたいね、あなた」
「そうかな」苦笑する熾人は少し、満更でもなさそうだった。
「じゃあ、僕は皆のところに戻るね。赤羽先生、ありがとうございました」
まるで逃げるように立ち去ろうとする熾人を、沙珱は思わず呼び止めた。
「彼が起きるまで、待たなくていいの?」
「まさか。もう顔も合わせられないくらい嫌われてるんだ。悪いんだけど、彼が起きても僕のことは秘密にしてほしい」
「それは……でも」
短い付き合いだが、竜秋が顔も見たくないほど誰かを嫌悪するというのは、どうにもピンとこなかった。そもそも、好きや嫌いという感情が他人に向けてあるのかさえ疑問だ。
彼は格下には興味すらなく、ただ格上にのみ純粋な対抗心を燃やす、そういうシンプルな原理で動いている生き物のように思う。
もし彼が誰かに強烈な負の感情を抱くことがあるとすれば、それは――それだけ竜秋にとって、特別な存在だということではないのだろうか。
「……わかった」
口には出さず、素直にうなずいた沙珱に、熾人は「ありがとう」と笑った。何から何まで、竜秋とは印象が正反対だと思った。
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