白夜沙珱が鬼になった夜-1



「ごめ……んね………………沙珱…………」



 腕の中で事切れた姉の、血にまみれた泣き顔が、忘れられない。



 十歳を迎えたばかりだった。旧世代ファーストの両親と、四つ上の姉との四人家族。父は国内でも割と名の通った実業家で、子どもながらに、自分の家が他より多少裕福な暮らしをしていることは分かっていた。


 しかし、父の会社がとある方面の恨みを買っていた事実は、沙珱はもちろん、実直で純粋な男だった父も、夢にも思っていなかった。




「もー、また泣いてんの?」


 その日も、中学校から帰宅した姉に呆れられた。広い居間の隅っこで一人めそめそ泣いている沙珱に、姉がやれやれと正面に座って事情を聞くのは、もう日常茶飯事になっていた。


「今日はどうしたっての?」


「……男子が……私のことブスって……」


「はぁー!? こんな美少女捕まえて、なに言ってんだ!? 姉ちゃんがぶっ殺してやるよ、名前と住所教えな!」


 姉がいつも、自分の代わりに怒ってくれた。だからだろうか、姉が帰ってくる時間になると、一度は引っ込んでいた涙が、甘えるように再び出てしまう。


「あのねぇ沙珱、あんたくらいの年頃の男子はアイドルにだってブスって言うの、それがカッコいいと思ってる病人たちなの! そんなんでいちいち泣いてたら、そのプルプルほっぺが今にミイラになるわよ?」


 姉に頬をぶにゅっとされて、妹は「む、むぅ」と縦に広がった唇をパクパク動かす。


「どうせ泣くなら、一発ぶん殴って、ボコボコにされてから泣きなさい!」


「えぇ……無理だよ……」


「無理なもんか。勝てなんて言ってないじゃん、ただ戦えって言ってんのよ」


 姉の強さ、すらりとしたスタイル、中学校のセーラー服、異能バベル――全てが、沙珱には羨ましかった。


 異能バベルが発現したら、自分も姉のように、強くなれるのかな。自信はなかったけれど、少なくとも、自分の弱さは、時間が解決してくれる問題だと思っていた。



 夜、呼び鈴が鳴った。



 沙珱たちの住居は、今どき珍しい、古き良き和モダンの屋敷であった。木造の門があり、松の木が香る庭があり、鹿威ししおどしの鳴る池がある。


 応対に表へ出た使用人が、まず悲鳴もなく首を落とされた。


 沙珱たちは、異変を感じるまでに間抜けなほどの時間を要した。家族四人で食事をしていた居間に、まるでコンビニに来店するような気楽な足取りで、返り血を浴びた二人の男が入ってくるまで、なんの緊張感もなく大きな画面でテレビを見ていたのだった。


「あ、こんばんは〜。白夜社長はいらっしゃいますかぁ?」


 ボロい黒コートを着込んだ男の一人が、豹のような目をギョロギョロ順に四人へ回して、父のところで定めると、口元だけで笑った。



 後に彼らの正体を知る。異能バベルを悪用する闇の能力者集団。父を恨むどこぞの誰かに雇われて、ふらりとやってきた殺しの専門家――《反逆者レネゲイド》。



波瑠はる、沙珱、奥の部屋に行ってなさい!」


 一瞬遅れて父が立ち上がり、必死の形相で沙珱と姉に怒鳴った。――次の瞬間、沙珱たちに向かって振り払った父の手が、肘先から切断されて宙へ舞った。


 飛び散る血の雨が、家族団らんの食卓に降り注ぐ。聞いたことのない父の絶叫と、母の金切り声。沙珱の頭は、綿が詰められたように真っ白に、ショートした。


「叫んだって無駄ですよぉ奥さん。こいつの異能バベル静殺者サイレントキラー》で、この屋敷すっぽり防音壁が覆ってるんで」


 自身の異能バベルで父の腕を切断したらしい猫目の男が、相方を親指で示して言う。そのまま男が右手を十字に振るうと、三メートルも男から離れていた母の体が十字に裂けた。


 母だった女性が四つの肉片にバラけて崩れ、畳に血の池をつくる様を、沙珱は母のすぐ隣で眺めていた。


 発狂した父の首も、一秒後に飛んだ。虚空を見つめて座り込む沙珱の腕を掴んで、引き上げてくれたのは姉だった。


「沙珱!!! こっち!!!」


 恐怖に顔を強張らせて、それでも姉はすぐさま体を動かしていた。庭へと続く縁側の方へ沙珱を投げ飛ばし、侵入者らに立ち塞がって沙珱を背に隠した。


「外に逃げなさい!!! 走れ!!!」


「あらぁ? 外行かれるのはマズいわぁ」


 殺気の矛先が少女二人に向く。沙珱を背に守り、姉はあろうことか――男たちに向かっていった。


 姉は、塔伐者を志していた。


 触れたものを吹き飛ばせる強力な異能バベルを持ち、その刃を納められるだけの、しなやかな鞘のような強い心も持っていた。将来を嘱望しょくぼうされていた自慢の姉。震える足で畳を蹴って、男に向かって突進する。


「――勇ましいねぇ」


 飛びかかった姉の両足が、空中で切断されるのを目の当たりにしたとき――ようやく頭が絶望に追いついて、沙珱の瞳に遅すぎる涙がにじんだ。



『どうせ泣くなら、一発ぶん殴って、ボコボコにされてから泣きなさい!』



 ドクン、と、心臓が一度、体中に響くほど強く鼓動した。世界が白黒の、コマ送り映像のようになって――胸の内側から突如生まれた、熱いマグマのような力が、超新星爆発のように、一気に放散して爪の先まで駆け巡った。


 異能バベルの、発現である。




「あああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!」




 爆散する、白い閃光。豊かな黒髪は純白に、真円に見開かれたまま滂沱の涙を流す瞳は、鮮烈な赤色に染まる。我武者羅に伸ばした右手に、虚空から滲み出た漆黒の鎌が、りうべくして握られる。

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