白鬼の少女-3

 右拳を薙ぎ払った格好で、少年の表情が豹変する。グニャン、と彼の右拳から先の空間に、虹色のベールに包まれた棒状の物体がかたどられて――一瞬ひとまたたきののち、芯のヘコんだ金属バットが、軽く空を握っていた彼の手に、あたかも"最初から握られていた"みたいに、突然姿を現した。


 竜秋は我が目を疑った。さっきまで、少年は確かに手ぶらだったはず……いや――見えなかっただけで、最初から持っていたのだとしたら。


 有り得ないことはない。そういう異能バベルの持ち主ならば。そうだとすれば、衝突を避けたというヒューが足を折っているのも説明がつく。


「閃ちん、大丈夫か!?」


「ぅ……」


「早く医務室に……いや、頭を打ってるから、動かさないほうがいいか」


「常磐ァ! 走って養護教諭呼んでこい! お前らは二人を頼む!」


 怒鳴り散らすような指示に、素早く爽司が走り出す。竜秋は既に、金属バッドの少年に向かって踏み込んでいた。


「入学早々、頭のネジが外れたか?」


「何だお前、知らないのかよ。この学園は学生同士の喧嘩・乱闘ご自由にってスタンスだ。異能バベルの制限もない。気に入らないもんは全部力でねじ伏せる、それがココの流儀なんだよ」


「なら、遠慮はいらねぇな」


「やる気か? 落ちこぼれ!」


 邪悪に笑った少年の手から、再び金属バットが消える。彼が右手を振るのに合わせて反射的にかがむと、頭上スレスレを硬いモノが掠める気配がした。なるほど、これは――想像以上にやりにくい。見えないからリーチが測れない上に、薙ぎ払いなのか突きなのか、一瞬判断が遅れる。


 卓越した体捌きで回避を続ける竜秋に、少年は下劣な笑みをこぼして腕を振り回し続ける。


「ひひっ、よく避けるな! でも――」


 次の瞬間。少年の姿そのものが、目の前から煙のように消えた。


「っ!?」


 ヒヒヒッ――興奮に上ずった声が、何もない空間から飛んでくる。いる、目の前に。気配も感じる。しかしどんなに目を凝らしても、一切見えない。


「うっ!」


 目の前のアスファルトが、突然ジャリッと音を立てた。反射的にのけ反った竜秋の鼻先スレスレを、ブォン、と何かが掠めて風を切る。――危ねえ!


 避けられたのが余程意外だったのか、少年の気配が遠くなる。息を殺して奇襲するつもりだ。行方を面白そうに見守る野次馬の喧騒が邪魔で、敵の気配を探れない。


 動きを止めた竜秋のこめかみに、火の出るような衝撃が走った。


「ははぁっ、クリーンヒットォ!」


 目の前から快哉が上がるが、姿は見えない。予期せぬ方向から側頭部に直撃した金属バットは、竜秋の首をふっ飛ばすほどの威力を生んだ。視界が熱を帯びて点滅する。


「――そこ、かァ……」


 倒れようとする体を踏み出した右足で支え、左手を伸ばし、竜秋は今しがた自分を殴ったバットを掴み取った。


「な……!?」


かりィんだよ、ふんぞり返ってるやつの、一撃なんざ」


 こめかみから血を流す竜秋の、猛獣じみた双眸そうぼうが光る。岩のごとく握りしめた右拳を見て、少年の透明な顔から血の気が引く。


 ここまで近づけば、気配だけで顔の位置が手にとるように分かる。


 バットを離して逃げ出しかけた少年の鼻面に、神速の右ストレートがめり込んだ。


 爆音を上げて鞠のように吹き飛んだ少年の体は、観衆の悲鳴をさらって尚も二、三度高くバウンドし、ごろりとアスファルトに転がった。


 少年の手を離れたことで姿を現した金属バットをそのへんに投げ捨てて、ツカツカと歩み寄る竜秋の頭を、血が滴る。


「立てよ。俺を力でねじ伏せるんだろ?」


 陥没した鼻を両手で押さえて、少年は血まみれの顔で七転八倒していた。さすがは名門の中間層だけあって頑丈だ。すぐそばまで近寄ると、少年は壊れた笛のような悲鳴を上げた。


「ウチのチビの礼だ。片足折ってやるから、どっちか選べよ」


 真っ青な顔で縮み上がる少年の右足に狙いを済ませ、竜秋がかかとを振り上げる。恐怖の絶頂に達したらしき少年が、金切り声を上げた刹那――竜秋の体を、千本のつるぎが貫いた。



「……ぁ……?」



 度を超えた激痛が、脳を焼いて、知覚をバグらせる。一瞬遅れて痛みを自覚した途端、その、業火が体内でのたうち回るような異常な激痛に発狂し、その場に崩れ落ちて無茶苦茶に転げ回った。


 何も見えない、何も聞こえない。強酸の海に溺れるように、耳の中や眼球の裏側まで隙間なく激痛のむしろ。ようやく痛みが収まって、涙と唾液でぐちゃぐちゃになった顔をアスファルトにこすりつけていた竜秋は、気づいた。


 自分の体に、剣など一つも刺さっていないことに。


「……あは、あはっ、アハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!! 最っ高ッ!!!」


 鼻血で顔を汚した透明人間の少年が、這いつくばる竜秋の姿を見下ろして笑い転げている。いつの間にか彼の方は立ち上がり、竜秋がうずくまって、立場が完全に逆転していた。


「よくやったぞ、いばら!」


 少年は何もない隣を見上げて、そこにいる誰かを労うように片方の口角を釣り上げた。


 その場所に、虹色のベールに包まれて、もうひとりの少年が姿を現した。


「……うん」


 言葉少なにうなずいたのは、百八十センチを超える長身の少年だった。無造作に伸ばした灰緑色の髪の下で、光のない目が足元を見つめている。いっそ人形じみているほど、端正な顔立ちの少年だ。彼のネクタイもまた、若竹色。


 竹クラスの仲間が、透明になって少年のかたわらに控えていたのか。ではさっきの激痛は、こっちの男の異能バベル――


「……とおる。もう行こう」


「は? こっからがいいところだろ」


「……お昼、終わる」


「あぁ、もうこんな時間か。せっかく確保してもらった和牛カレーが冷めちゃうな」


 薄れかけていた意識が、辛うじて反応する。おい。待て。まさか、こいつらがヒューを狙った理由は――たかが、カレーのため……?


「ふ、ざ……けんじゃねェ……!!」


 気力を奮い立たせて、竜秋はどうにか起き上がった。ヒューと閃を看ていた幸永と一査が、両脇から竜秋を支えた。


「何をされたんだ、一体!? 急に苦しみだして……」


「分からない! とにかく巽くん、もう動かない方がいいよ!」


 獣のように唸りながら二人を押しのけ、透と呼ばれた少年に向かってよろよろと歩いていく。辿り着く寸前、巨体がその行く手を塞いだ。


「どけよ根暗ノッポ……お前から殺すぞ……」


「やめた方がいい。僕は、強いから」


 感情のない目で、それだけ断言する。プツンと脳の血管が切れる。飛びかかろうとした竜秋を、背後から幸永と一査が二人がかりで羽交い締めにした。


「じゃーな、"タツミくん"。鼻を折られた借り、四日後の校内大会で倍にして返すぜ」


 暴れる竜秋に背を向けて、透はキザな仕草で片手を振ると、棘を引き連れて去っていった。勝者と敗者が確定し、散っていく野次馬。校内大会――透の口にしたそれだけが、竜秋を辛うじて押し止める。


 こっちの台詞だ……――この借りは、校内大会で絶対に返す!!

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