神童と呼ばれて-3

 竜秋が焦りを覚え始めたのは、その年代の発現ブームが完全に終わった中一の冬。もうクラスの八割が異能バベルを授かり、役所で登録手続きを済ませていた。


たつみくんなら、もうすぐすげー異能バベル授かるって!」


「逆にすごすぎて、降りてくるまで時間かかってるとかさ」


 クラスメートの慰めの言葉を受けつつ、ふと胸に落ち着かない風が吹き抜けた。


 一度気になり始めると、なかなか心は御しにくい。気がつけばネットで何度も『バベル 発現しない』と検索し、そのたび、同じ悩みを抱えていたらしい先輩諸氏の『焦る気持ちは分かるけど、必ず授かるものだから、おおらかな気持ちで待ちましょう!』などといった言葉に救われた。


 明らかなオカルトと分かるようなことでも、異能バベルを早く授かる方法としてネットに載っていたものは片端から試した。炭酸を飲むと異能バベルを授かるのが遅くなるという記事を読んで以降、大好きだったコーラを二度と飲まなくなった。


 今日も授からなかった。明日こそは。今日もダメだった。明日かもしれない――ついに頭がそれのみに支配されるようになり、気づけば二年生になっていた。


 熾人とは違うクラスになった。熾人もまた、もはや数えるほどしかいない未発現組の一人だった。


 竜秋とは違い、熾人は異能バベルがないことを散々ネタにされ、イジられていた。


いぬい、お前さ、もしかしてもう異能バベル授かってんじゃね?」


 昼休み、校舎周りを歩いていると、男子三人組に絡まれている熾人を見かけた。軽薄に笑う少年たちに囲まれて、「えっと……」と困ったように笑っている。


「ま、まだだよ、たぶん……あはは」


「いやいやっ、お前のそれはもう能力だって。『自分が生きる価値ないゴミでもヘラヘラ笑ってられる能力』! オレなら無理だわー!」


 少年は水野という名前だった。元は大人しい男だったが、水を操る強力な異能バベルに恵まれて以降、人が変わったようになっていた。


「つーかさ、このトシになってまだ無能なやつなんていんの!? 恥ずかしくて表歩けないだろそんなの、なぁ!?」


 大仰に嘲笑する少年に、仲間の一人が「お、おい」と慌てて失言をたしなめかけたが、遅すぎた。


「――俺に、ケンカ、売ってんの?」


 いつの間にやら背後に立っていた竜秋に肩を叩かれ、水野と呼ばれた少年の顔から血の気が消滅する。


「俺も異能バベル未発現なんだけど。もっかい、俺の目ぇ見て言ってみ」


「あ、あ、あの……ごめんなさい……オレ知らなくって……」


 ぷるぷる縮み上がる水野たちを「ブルッてんじゃねーよ、雑魚」と冷笑してから、「購買行こーぜ」と熾人を誘い、竜秋は悠々とその場をあとにした。



 熾人へのイジメは、それで嘘のように収まった。竜秋のことをイジってくるような死にたがりなんて、もちろん一人もいなかった。


 それから更に、半年近くが経過して。中学に上がって二度目の夏も終わり、いよいよ異能バベル未発現者は学年に竜秋と熾人だけ。


 その日、初めて熾人が学校を休んだ。


 朝は必ず、竜秋が家を出るタイミングを見計らって熾人が迎えに来る。今日はそれがなかったので、竜秋の方から向かいの熾人の家の呼び鈴を鳴らした。


 こんな甲斐甲斐しい真似をしたのは、後にも先にもこの日だけだった。結局熾人の母親が出てきて、神妙な顔で、「今日は具合が悪いみたいで、部屋から出てこないの」と教えてくれた。――あの皆勤賞野郎が、部屋から出てこない?


 尋常でない事態だと思ったが、今日に限っては、竜秋も他のことで頭が一杯になっていた。――九月九日。今日は竜秋の、十三歳最後の日だった。


 竜秋は数年ぶりに晴れやかな気持ちだった。もう『明日こそ』なんて淡い期待に胸を焦がす必要はない。十三歳最後の今日、必ず今日、竜秋は異能バベルを授かるのだから。


 ワクワクしながら登校した。ウキウキしながら授業を受けた。ドキドキしながら昼食を食べて、ソワソワしながら下校した。


 帰って、窓の外が真っ暗になって、家族で夕飯を囲みながらテレビを見た。両親も、既に異能バベルを発現していた一つ下の妹も、まるで今日が竜秋の、十三歳最後の日ではなかったことにするみたいに、その話題だけは死んでも出すまいとしていた。


 竜秋は自室に戻り、電気もつけず、好きなアクション映画を流してぼーっと眺めた。夜が更ける。星が陰る。闇が、飲み込む。


 異能バベルを授かる瞬間は、雷が落ちたように、難解なパズルが不意に解けたように、声を失うほどの絶景を目の当たりにしたみたいに――脳と心が痺れて、「あぁ、授かった」と分かるらしい。


 その瞬間を、ただ待つにはあまりに長くて、怖くて、それで映画を見ていたら、むしろあまりに短くて。



 伏せていたデジタル時計を、そっと起こしたら、もう零時を過ぎていた。



「あー……はは……っかしーな……」



 視界がねじれる。音が潰れる。脳が、腐り落ちる。


 ひどい胸やけがして、首を掻きむしる。断続的に耳鳴りがする。皮膚の裏を、無数の虫が這いずり回る。発狂するには、少年はもう傷つきすぎていた。


 その日、巽竜秋は、前例のない《無能力者》となった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る