飛行機嫌いの狂詩曲(ラプソディ)

椰子草 奈那史

#1 プルプルすんなっ

 私は飛行機が嫌いだ。


 その理由は比較的はっきりしている。

 それは私がまだ中学生の時のことだった。

 羽田空港を飛び立った伊丹空港行きの日本航空123便が機体の損傷によりコントロールを失い、群馬県の山中に墜落するという事故が起きた。

 五百人以上が亡くなったその事故は、当時単独の飛行機事故としては、最大の被害と報じられた。

 事故発生時――その時点ではまだ消息を絶った状態だったが、夕方のニュースの時間に速報が入ると、その後はどの局も特別報道番組に差し替えられ、時間が経つにつれ徐々に情報は追加されていった。

 夜遅くなった頃には乗客名簿が公開され始めた。

 シンとした居間のテレビからは人名を読み上げるアナウンサーの抑揚のない声と……不謹慎な言い方になるが、カタカナで表記された乗客の名前がまるでエンドロールのように延々と流れ続け、何か恐ろしいものを覗き見てしまったような、得もいわれぬ恐怖を私は感じたのだった。

 結局、翌朝になり悲惨な結果が明らかとなるのだが、私にとってこの出来事はまさに生涯のトラウマとなった。


 それ以来、私は飛行機には絶対に乗るまいと心に誓った。

 学生であるうちはその誓いを守ることは難しくはなかった。

 実際、大学四年生の時に友人達と東京から行った北海道旅行は、友人がアルバイトで買った古い中古車で全行程を走破している。

 そうして、あの事故から10年近く飛行機に乗ることなく生きてきた。


 しかし、社会人ともなると事情は変わってくる。

 恋人や家族等が出来て海外旅行に行きたいなどと言われれば無碍には出来ないし、時間の制約上仕事でどうしても飛行機を使わざるを得ない状況も発生する。

 そんな理由で、私は二十六歳の時に仕事で初めて飛行機に乗ることになった。


 その日は心情的には朝からお通夜に向かうような心持ちだった。

 午後四時頃のフライトを前にして、昼休みに会社近くのラーメン屋で食べた昼食を「ああ、これが俺の最後の食事なんだ」と噛みしめもした。


 空港のチェックインの時は、もはや処刑場へ引き立てられる死刑囚と変わりはなかった。

 しかしそんな私の感傷など関係なく、流れ作業のように30分後には私の身体は飛行機のシートに収まっていた。


 ボーディングブリッジが機体から離れ、エンジン音が1オクターブほど上がる。

 ゆっくりと動き始めた機体は誘導路を滑走路に向かって進んでいく。

 どういう神の差配か、その時の私の席は主翼の真横の位置だった。

 機体が僅かな段差を踏む度に、主翼はバネ板のようにビヨンビヨンと揺れるのが見えた。


「おいっ、プルプルすんなっ! お前そんなんでこれから空飛べんのか!? ああ? 飛べんのかよぉ!?」


 口には出さなかったが、心の中で私は搭乗した機体を罵倒していた。

 その柔軟性が空を飛ぶのに必要なことを後に知ることになるのだが、その時はただひたすらに脆弱そうな機体に恐怖した。


 やがて、機体は滑走路の端までやってきた。

 一瞬の間を置いて、エンジン音が一段跳ね上がる。

 加速感と窓から流れる景色を見て悟った。


「あ、コレ無理。死ぬ」


 それまで、私は仮に飛行機にトラブルがあったとしても完全な制御不能でもなければ海面着陸なり、胴体着陸なりでなんとかなるのではないかという、マンガ的な淡い幻想を抱いていた。

 しかし、飛行機というのは離陸時点でもF1マシン並みの速度で滑走しているのである。

 このプルプルしたものが今以上の速度で地面にぶつかったとしたら……。

 もはや答えは見えていた。


 ……こういう話を始めると、統計的な理屈で反証してくる人がいるが、そんなことは私も百も承知だ。


「一年間で、飛行機事故で死んだ人間は、車の事故で死んだ人間よりも少ない」


 これはある意味事実だが、車の事故の場合「死者が出なかった事故も含めれば事故件数は飛行機よりも遥かに多い」のだ。

 例えば2020年の日本国内の自動車事故件数は約31万件、死者数は2,839人で、事故一件あたりの平均の死者数は約0.01人だ。

 対して同じ年の「世界の」民間航空機事故件数は40件、死者数は299人で事故一件あたりの平均の死者数は約7.48人だ。


 この数字をどう感じるかは人それぞれだろう。

 やはり航空機の事故はほとんど起きないのだと安心する人間もいるだろう。

 しかし、私は逆だ。

 ひとたびの、その堅実な仕事っぷりは自動車の比ではない。


 それが、私がどうしても飛行機が好きになれない理由だった。

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