第20話 6-3



 夜の森で、ドラムは捕ってきた魚を焚き火で焼いていた。

 その匂いにつられて、イタチが寄ってくる。

「あんたは……一体、何者なんだ? 教えてくれ」


 僕の胸は驚いたことに半日で癒えた。

 ドラムが塗ってくれた木の蜜と薬草のおかげだ。

 彼は魚の焼き具合を見ている。

「私は……ドラム。虎の夢と書いて、虎夢という」

 そう言って棒に突き刺した魚を僕に手渡した。

「食べろ。お前のために犠牲となった魚だ」

 僕は黙って、魚を食べる。

 脂がのっていてとても美味しかった。

 ここ何日か、ろくな物を食べていなかった。

 もっぱら主食は地面に生えている雑草だった。


「お前は……なぜ、私がお前の術を知っているのか、使えるのか、それが知りたいのだな?」

 僕は食べながら、頷いた。

 ドラムはゆっくりとした口調で、話を始めた。


「私は何百年か前に、日本という国を訪れたことがある。私はその時、中国で強い妖怪と戦ってな。戦いには勝ったものの、かなりの深傷を負ってしまった。その傷を癒すために、日本の豊津郷ほうづきょうと呼ばれる有名な泉に訪れた。そこで、四之宮 凪しのみや なぎという元人間の仙女に出会った」


 四之宮 凪……聞いたことがあるな。

 ドラムは焚き火を虚ろな目で見つめていた。


「凪は私の事を歓迎してくれた。豊津卿はとても、緑の美しいところで、見たこともないような東洋の花々が一日中、咲いていた。私は凪の献身的な介護と不思議な泉のおかげで、傷も癒えてきた……当初、私は傷が癒えたら直ぐに日本を離れるつもりだった。だが、離れなかった……いや、離れられなかった。なぜなら、私は凪を愛してしまったからだ。そして、彼女も私を愛してくれた」


 二人は愛し合った……ということか。

 化け物と仙女の恋……すごいな……。

 僕は残っていた魚を全部、口の中に放り込み、ドラムの話を聞く事に専念した。


「そうだ……私達はとても幸せだった。ある時、私は彼女に護身術としてある流派を教えた。それは人間の身体でも使える術、五星流……。元々、精の強かった彼女は、その術を難なく覚え、自分のものにした。熱心な彼女は自己の術もいくつか作っていた。私にもその術の一部を見せてもらった。その術は桃色のきれいな花が円陣の中に浮んでいるというものだった。私はその時、その花の名を知らなかった。彼女に訊ねると、彼女はニッコリ笑って教えてくれた。それは月の光りを浴びて育つ花……月花、と」


 僕は愕然とした。

 つまり、化け物を殺すための術……月花流は化け物から教わった人間の術ということになる。

 驚くと同時に困惑した。

 そんな……僕は今まで、化け物を憎んで、憎んで、憎んで、戦ってきた。


 くるみの死を素直に受け入れず、化け物を憎むことによって、僕は今日まで生きてこれた。

 それを支えてきた術が……師匠から教わった術が化け物のものだったなんて……。

 ドラムはまだ、焚き火を見つめたままでいる。



「私と凪の幸せな日々はそう長くなかった……。それを壊したのは人間だ。豊津卿の不思議な泉の噂を聞いた人間達が、私達のもとへ攻め寄って来たのだ。私は凪にここを捨てようと言った。また、新しい場所を探そう、と。だが、凪は首を振った。凪は言った、『この豊津卿を守るのが私の役目だ』と……。そして、私達、二人は人間達に危害をくわえずに脅かして帰した。その直後、人間達は妖術を使える人間の術師をよこし、再び、豊津卿を襲った。術師の力は半端ではなかった。私も凪と一緒に応戦した。お互いの術と術が反発しあい、大きな爆発が起こった。その時の衝撃で、豊津卿は崩壊し、その場にいた人間達や術師も、みんな、死んだ。そして、私と凪も爆風に巻き込まれてしまった。目を覚ました時、私は日本ではなく、小さな無人島にいた。その後、凪の安否を知るために、私は再び、日本に戻り、豊津卿に向かった。だが、焼け野原となった豊津卿には誰もいなかった。そこにあったのは、豊津卿を襲った人間達の、いくつもの墓だけだった」


 僕は思わず、息を呑んだ。

「それで……凪さんは見つからなかったのか?」

「ああ、私もその時、凪は死んでしまったと思い、凪を忘れるために、私は日本を旅立った。それから、何十年か経った頃、私はエジプトにいた。そこで、ある人間と戦った。まだ、幼い顔した青年だったのだが、青年の使う術は私が凪に教えた術とそっくりだった。無論、私はその戦いに勝った。そして、青年に訊ねた。『お前の師は誰だ?』と。すると、青年は四之宮 風と答えた。私はすぐさま、日本に向かい、四之宮 風という術師を探し回った。それから、何年か経った後、風という人物に出会えた。彼女は凪の娘だった。風は、私が初めて日本に来た時のように、凪と同じように、私を暖かく迎えてくれた。風が言うには、凪は私と爆風で生き別れになったあとに、一人の人間の男と出会い、結婚したそうだ。そして、風に術を教えたの後、重い病になり……死んだ。私は彼女の墓標の前に立ち、泣いた……。ただ、泣く事しか出来なかった。それが、私が流した最初で最後の涙だ」



 焚き火の炎が、消えかかっていた。

 僕は一種の放心状態に陥っていて、正直、頭の中はパニックだった。


「待ってくれ……さっき、話していた、エジプトで戦ったという青年は……その青年の名前、分かるか?」

 ドラムは怪訝そうな顔で言った。

「青年の名……たしか、草樹そうきと名乗っていたな。それがどうかしたのか?」

 僕は一人で合点した仕草をした。


「ま、間違いない! やっぱり、そうだ。その草樹という青年は、僕の師匠だ」

「なに……」

 ドラムが目を大きく開いた。


「その人は僕に月花流を教えてくれた人なんだ。その時はまだ、人間だったころだ。今では仙人になっているよ」


 昔、師匠も、化け物に家族を殺され、その復讐を果たすために、世界中を駆け巡っていたのだ。

 何年も復讐の旅を続けたそうだが、結局、復讐は果たせず、旅の途中で日本に帰ったそうだ。

 ある日、突然、日本に帰りたくなった、と師匠は言っていた。

 その理由は味噌汁が恋しくなったからだ。


 曰く、

「味噌汁は日本の味、家庭の味、母の味、味噌汁を飲んでいれば、死んだ家族のことも思い出せる。その死んだ家族の分も自分が味噌汁を飲めばいい」

 らしい。


 師匠はいつも、

「お前にも、その味が分かれば、いいがな……」

 と、言いながら味噌汁を作っていた。


 不敗を誇る師匠が、数々の魔族の中で、唯一、恐れた化け物がいた。

 師匠の話では、全身紫色で、額に二本の角、背には大きな翼をもったドラゴン。

 エジプトの灼熱の砂漠で戦った化け物……。


 その化け物が、師匠が敗れた最初で最後の相手だ。

 師匠の話とドラムの話は全て一致する。

 四之宮 風という名前も、師匠から聞いている。


 その人は、月花流三代目である。なぜ、二代目ではなく、三代目なのか……。

 師匠の話では、初代が絶対、誰にも二代目は名乗らせなかったらしい。それは既に二代目が存在したからだと思う。

 なぜなら、二代目は僕の目の前にいる。


 僕は少し戸惑いながらも、感動していた。

 確かに化け物と人間は相容れぬものかもしれない。

 だけど、ドラムと凪さんは違った。

 ちゃんと、二人の間には愛があったはずだ。

 人間とまったく変わらないものが、そこにはあったはずだ。


 だからと言って、僕の憎しみも全部、消えることはなかったけど、少し気が楽になった。

 いつの間にか、僕とドラムは、笑っていた。

 ドラムが微笑んで、こう言った。


「ここでも、凪の残した種と出会ったか」

「そうか……本当に凪さんっていう人はすごい人間……じゃなくて、仙女だったんだな。みんなをひきつける力を持っているんだよ、きっと……」

 僕がそう言うと、ドラムは自分のことのように嬉しそうに笑った。

「違いない……」

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