ある老人の独白

逢雲千生

ある老人の独白


少年だった頃、大きな戦争が起こった。

私はまだ小学生で、父も兄達も普通の会社員であったから、家族は皆、どこ吹く風だった。

しかし戦況は変わり、父も兄達も召集され、家には年老いた祖母と体の弱い母、そしてまだ幼い妹が、私と共に残されたのだ。

ラジオでは連日日本軍の勝利が報じられ、私達は希望を持っていた。

いつか父達は帰ってくる。

この国の勝利を掲げて帰ってくる。

そんな期待で胸を膨らませていたのだ。

そして戦争は終わった。

七十六年前の今日、八月十五日にだ。

国民の誰もが驚いた。そして泣いた。

私も泣いた。

それは戦争が終わったという喜びではなく、日本が負けたという静かな絶望からだ。

そこからが地獄だった。

食べる物はなく、好きに商売をする事もできず、国からの配給もない。

祖母と母は私と妹に、かろうじて手に入るもみ殻だらけの玄米を与え、やせ衰えていく。

それでもみんな生きていた。

近所の幼馴染みは隣村の畑で捕まり、畑の持ち主からだけでなく、村中の男達に責め立てられ、酷い姿で帰ってきたこともあった。

隣のおばあさんは、少しでも家族が食べられるようにと絶食し、間もなく餓死した。

それでも、誰かしら死んでいく。

母が倒れ、祖母がやせ衰えて起き上がれなくなると、私は一番近い農家まで行って食べ物を恵んでもらったことがある。

母の着物や祖母の嫁入り道具はすでになく、交換できる物が無くなると、一日中必死に畑を世話して一袋の米をもらったことだってあった。

妹はそれでも泣いていた。

腹が減った、兄ちゃん兄ちゃん、と泣いていた。

私は何も出来なかったんだ。

やせ衰え餓死した祖母も、病に倒れ泣きながら逝った母も、お腹を空かせて眠るように息を止めた妹も、誰も責めなかった。

でも私は責めてしまったのだ。

無力な自分を。

あの時、幼馴染みが家に来なければ、骨と皮だけになった私の首には、母の形とになってしまった着物の帯がかかっていただろう。

幼馴染みが俺を殴らなければ、俺は正気に戻れなかったかもしれない。

誰もいなくなった家は広くて、頼れる親戚もいなかった私は、三人の四十九日が終わると町を出た。

それきり幼馴染みとは会っていない。

最後まで迷惑をかけたのに、「達者でな」と笑顔で送りだしてくれた彼は、私が去ってからひと月もせずに亡くなってしまったからだ。

家族を食わしていくために、もう一度だけと盗みに入った先で、怒り狂ったぬしに殴り殺されたとだけ聞いている。

彼の家族もまた、さらにひと月も経たずに餓死したそうだ。

あれから七十六年。

私は九十がもくぜんとなった。

いずれ私も皆の元へ行くだろう。

子供や孫達と別れるのは寂しいが、父達にも幼なじみにも話したいことは山ほどある。

私がどう生きて、どんな人生を送ったか。

それを伝えるために、私は今日も生きている。

あの日と同じ、この国の空の下で。




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ある老人の独白 逢雲千生 @houn_itsuki

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