第169話

 近くの宅急便屋から里見の荷物を送った。

 

 

 出るときに忘れ物がないかふたりで何度も確認した。

 

 

 

 

 

 忘れ物があったら、また連絡を取らないといけないから。

 

 

 それはやめた方がいいだろうから。

 

 

 

 

 

 里見は友だち。

 

 

 それも本当。

 

 

 だからこれをきっかけに友だちとしてまた付き合いを始めてもおかしくはない。

 

 

 でも。

 

 

 

 

 

 里見はかつてのコイビト。

 

 

 好きで好きで、ずっと忘れられなかったコイビト。

 

 

 

 

 

 いくら『かつての』とはいえ、僕たち自身のためにも、里見の奥さんや七星のためにも、これで最後にした方が絶対にいいだろう、から。

 

 

 

 

 

 荷物には僕が買ったコーヒーメーカーもあった。里見が自分で買ったミルも、コーヒー豆も。

 

 

 そして里見が奥さんと娘さんに買った『ギャラリー暁』でのお土産も、一緒に作ったとんぼ玉ストラップも、拾った貝殻も僕が描いた絵も、久しぶりにふたりでやった夜空観察記録も。




 

 

 小さな天球儀は、それは、それだけは、家の鍵と一緒について、里見のポケットに入っている。

 

 

 僕が持っている天球儀は、それだけでポケットに入っている。持ってきた。

 

 

 最後だから。さよならだから。里見と。

 

 

 

 

 

「ご飯どうする?」

「あ、俺あそこ行きたい」

「どこ?」

「美浜公園の少し手前に昔からある喫茶店」

「あー、美浜カフェね」

「ずっとない?あれ。俺が知ってるってさ」

「うん。ずっとあるね」

「ずっとあるのに、俺、1回も行ったことないから行きたい。時々ローカル番組で紹介されてたような気がするんだけど」

「あそこは、実は僕も小さい頃しか行ったことない。テレビには今も時々出てるよ」

「へぇ」

 

 

 

 

 

 近づく最後。

 

 

 近づくさよなら。

 

 

 

 

 

 僕たちは話しながら、でも、視線を合わせることはしなかった。できなかった。

 

 

 

 

 

 視線を合わせたら。

 

 

 

 

 

 意味もなく………泣いてしまいそうだった。

 

 

 

 

 

 美浜カフェは僕が子どもの頃から、里見が引っ越して来る前からある喫茶店。

 

 

 僕が子どもの頃のこの辺りには他にお店っていうお店がなくて、ちょっとしたご褒美のときに連れて行ってもらっていた。

 

 

 今ではファーストフード店もあちこちにできて、この辺りもひらけてきたけれど、それでも昔ながらの喫茶店である美浜カフェは、常連が多いのか、今も閉店することなく残っていた。

 

 

 

 

 

 今から美浜カフェに行きます

 

 

 

 

 

 約束通り七星にラインを送って、里見と一緒に美浜カフェに向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小学生の頃が最後かな。美浜カフェに来たのは。

 

 

 

 

 

 かすかに残る記憶と目の前の店内。

 

 

 リンクして思い出して、クリームソーダを食べてたなあって、懐かしい。

 

 

 

 

 

 時刻はまだお昼前で、店はそんなに混んではいなかった。

 

 

 

 

 

「里見、あっちに座ろう」

 

 

 

 

 

 お好きな席にどうぞって、アルバイトだろうか、若い男の子に言われて、僕は里見を引っ張った。

 

 

 

 

 

 窓際。

 

 

 

 

 

 窓の向こうに、海が見えた。

 

 

 

 

 

「大きくなったら夏目とデートでここに来たい」

「え?」

 

 

 

 

 

 向かい合わせに座って何にしようってメニューを見ていたら、里見が言った。メニューを見ながら。

 

 

 

 

 

「………って、小学生のとき思ってた」

「何そのかわいい告白」

「かわいいか?」

「かわいいでしょ」

 

 

 

 

 

 照れてるんだろうか。

 

 

 里見がメニューを見たまま、何にするかなって話を変えようとしている。

 

 

 

 

 

「それは小学何年生のとき?」

 

 

 

 

 

 話を変えようとするから、話を戻す。

 

 

 僕もメニューを見ながら。

 

 

 何でもないことのように。

 

 

 

 

 

 小学生の頃には、自分が普通ではないことに気づいていた里見。

 

 

 小学生の頃には、自分が同性に惹かれることに罪を感じていた里見。

 

 

 転勤族であることさえ武器にして、一生懸命小さな心で壁を作って自分を守っていた里見。

 

 

 

 

 

 その里見が、大きくなったら僕とって。

 

 

 

 

 

「………四年」

 

 

 

 

 

 それは、里見が転校してきた学年。

 

 

 僕たちが出会った学年。

 

 

 

 

 

「26年経って、その夢が叶った」

「………26年」

 

 

 

 

 

 改めて年数で聞いて、胸が痛かった。

 

 

 里見の、こっちを、僕を見ないままの笑みが、痛かった。

 

 

 

 

 

 目の前のこの人は、26年もの間僕を好きでいてくれた人。

 

 

 

 

 

「僕ナポリタンにしよう。里見は?」

「俺も」

「え?真似しないでよ」

「真似じゃないって。こういう喫茶店って言えばナポリタンって思っただけで」

「………同じ理由で選んだだけに違うのにしなよって言えないんだけど」

「だから同じのでいいって」

「えー、里見のちょっともらおうと思ってたのに」

「ナポリタンで良ければやるけど」

「同じのもらってどうするの?」

「違うかもしれないだろ」

「そんな訳ないでしょ」

 

 

 

 

 

 幼かった頃の夢を叶えて、里見は今、何をどう思っているのか。感じているのか。

 

 

 

 

 

 気持ち伏せ気味の顔からは、表情が見えない。

 

 

 

 

 

 すみませんってアルバイトのウェイターを呼んでナポリタン2つって言っている里見を、色んな思いで僕は、見ていた。

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