第170話
「明日、七星を実家に連れて行くんだ。家族に紹介する」
「………え?」
ナポリタンを頼んで待っている間、僕は里見に伝えた。
何となく、里見には言っておいた方がいいと思って。
里見が驚きに絶句している。
目を見張って僕を見ている。
やっと上げた顔はウソだろ?って顔。
『あの日』。
僕と里見がキスをしているところを里見のお母さんに見られた日。
すぐに僕の家にも連絡が行って、その日のうちにお互いの両親が顔を揃えた。どういうことだ?って。
その時の顔。目。
まだ覚えている。里見のお母さんの悲鳴と共に、まだ覚えている。忘れられない。
その何年か後、僕が女の子を家に連れて行ったときの、あからさまな安堵の顔も。
だから。
「こわいよ。正直、何を言われるんだろうって。どんな顔をされるんだろう。『あの時』のことがあるから、行きたくないって思ってるのも本当」
「………なら、無理に行かなくても」
「七星の家族に紹介してもらって、僕もいつかはって思った。認めてもらえないかもしれないけど、でも、いつかこのこわさがなくなったときに、七星を紹介できたらって」
「………」
「でも分かった。こわいからって先延ばししたところで、そのいつかは永遠にいつかのままだ」
「………永遠、に?」
「こわさはどんなに待ったってなくならない。そうでしょ?僕たちがそうだったでしょ?こわいから逃げてすべてをダメにするのか、こわくても、そのこわさを乗り越えて行くのか」
里見が、一瞬も僕から目をそらさず、僕の言葉を聞いていた。
「だから明日行く。いつかでも、来週でもなく、明日。里見が来てくれたから、その覚悟ができた」
「………俺、が」
「そうだよ。里見が見せてくれた。こわくても逃げずにそのこわさを乗り越えた。そしたら結果どうなるか。………こわかったでしょ?ここに来るの。僕に会いに来るの」
「………そうだな。大袈裟でもなく、人生で一番」
「………うん。でも、だから僕は、里見が来てくれたから、過去の後悔を回収することができた」
「………」
「次は僕の番。僕がやる番」
里見がここに来る、来ようと思ったきっかけは病気で、余命宣告だった。
それがなかったら、多分僕たちはそのままだった。
そのまま、膿んだ傷を抱えたまま、この先もずっと。
でも里見は病気になって、残りの命を考えて、僕のところに来てくれた。こわさよりも自分を。こわさよりも僕を。選んだ。選んでくれた。
そして、里見がそうまでして来てくれたのにこわくて逃げようとする僕を、七星がそっと支えてくれた。背中を押してくれた。
七星だって、もしかしたら僕が里見を選ぶかもしれないって、こわかったはずなのに。
「久保くんが、好き?」
里見が聞いた。
「好きだよ。大好きだよ。大切で、すごく愛しい」
「………そこまではっきり言われると、ここまでばっさり振られると、いっそ清々しいな」
「でしょ?里見はこれから、里見のすぐ側に居てくれている人たちのために生きるんだから、いつまでも僕に未練たらたらじゃダメなんだよ。そんな可能性はこれっぽっちもないんだって、はっきりばっさり分からせてやらないと」
「出たな。その超上から目線」
里見が笑ったところで、ウェイターがナポリタンを持って来て、僕たちの前に置いた。
伝票を伏せて置いて、ごゆっくりどうぞってまた戻って行った。
「できるかな。俺に」
何を、とは、言わなかった。
でもきっと。
奥さんと娘さんと向き合うこと。大切にすること。幸せになること。
里見の顔が、そう言っているようだった。
「里見は、26年もの間ひとりの人間を好きでいることができたすごいやつなんだ。だからこれからどんなことでもできる」
「どんなことでも?」
「どんなことでも」
「生きることも?」
「生きることも」
里見が目を伏せた。
瞼に押されて、頬に涙が落ちた。
「………夏目」
「ん?」
「お前を好きになって良かった。ずっと好きでいて良かった」
「………うん。僕もだよ」
里見という人間の26年間。
そんなにも長い間、僕は僕という存在を好きでいてもらえた。
同時に、ほぼ同じぐらいの長さで僕は、里見という存在を好きでいた。
それができるなら。
「食べよ」
「………うん。あ、一回お前にあーんって食べさせたい」
「だから同じナポリタンなんだけど」
「いいだろ、小学生の頃からの夢だったんだから」
里見はそう言って自分のお皿のナポリタンをフォークに巻いて、僕の口の前にあーんって言って持ってきた。
僕はそのナポリタンを、あーんって言って食べた。
美味しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます