第157話

 音に気づいて唇を離した。

 

 

 音がした方を七星と見た。

 

 

 

 

 

 そこにはお風呂上がりの里見。

 

 

 

 

 

「ごめん」

 

 

 

 

 

 僕たちから顔を背けて、里見は足早に居間の方に行った。

 

 

 

 

 

 見られたくはなかった。見られたい人なんてあまり居ないだろう。しかも見た相手は………。

 

 

 

 

 

 でも。七星と里見。

 

 

 

 

 

 言うなれば、現在と過去。

 

 

 

 

 

 どっちを取るかと聞かれれば、そんなの、答えるまでもない。

 

 

 

 

 

 

 見上げた七星の目に、さっきまで浮かんでいた不安はだいぶなくなっていた。そう見えた。

 

 

 

 

 

 僕はまた、七星の首に腕を絡めた。

 

 

 

 

 

「七星、次お風呂入って」

「俺後でいい」

「え?早く汗流したいでしょ?」

「………流したいけど、それどころじゃない」

「それどころじゃないって?」

「………真澄のキスがエロすぎて、俺今ちょっと動けない」

 

 

 

 

 

 七星ははあって熱い息を吐いて、僕の肩に額を乗せた。

 

 

 

 

 

 今ちょっと動けないって、それはつまり………。

 

 

 

 

 

「僕も」

「え?」

 

 

 

 

 

 パッて、七星の顔が上がった。

 

 

 

 

 

「僕も今ちょっと動けない」

 

 

 

 

 

 意識しないようにはしていたけれど、今の深いキスで身体の一部が変化して。

 

 

 身体が七星を欲している。身体が七星を好きだと言っている。

 

 

 

 

 

 見上げる僕。

 

 

 見下ろす七星。

 

 

 

 

 

 額と額をくっつけて、笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し時間を置いて、七星が先にお風呂に入った。

 

 

 里見よりさらに短い時間で七星はあっちぃーってお風呂から出てきて、その声を聞いた居間で夜空観察のファイルを見ている里見に早すぎじゃない?って笑われていた。

 

 

 

 

 

「ビール飲むよね?」

 

 

 

 

 

 台所で片付けをしていた手を止めて聞いた。

 

 

 

 

 

 いつもは帰ってきたらお風呂に直行。

 

 

 そしてお風呂上がりにビール。

 

 

 ごくごくと喉を鳴らして飲んで、まるでコマーシャルのようにぷはーって、うまいって言うのが日課。

 

 

 その後はゆっくり飲む。ご飯を食べながら。

 

 

 

 

 

 でも今日は先にご飯だったから。

 

 

 

 

 

「今日はいいよ」

 

 

 

 

 

 飲むだろうと思って冷蔵庫を開けた僕に、七星はそう言った。

 

 

 

 

 

「お茶もらう」

 

 

 

 

 

 そう言った。

 

 

 言って、僕の横に来てお茶のペットボトルを出していく。

 

 

 パタンって閉まる冷蔵庫。

 

 

 

 

 

 七星に、変に気を使わせている。

 

 

 

 

 

 当たり前だ。気を使うなと言う方が無理だ。気を使うに決まっている。

 

 

 

 

 

 里見が居る。

 

 

 里見はかつての僕のコイビトで、里見は余命宣告を受け、内に死を抱えている。

 

 

 

 

 

 七星が不安げに目を揺らしたのは、里見がお風呂に入っている間だけだけど、そんなの、そうなるに決まっている。

 

 

 

 

 

「次、真澄風呂だろ。入って来いよ」

「………うん」

 

 

 

 

 

 やっぱり断った方が良かったんだろうか。

 

 

 里見のこれからのためなら、と、思ってのことだけど。

 

 

 

 

 

「真澄?」

 

 

 

 

 

 グラスにお茶を注いで一気に飲み干した七星が、動かない僕を不思議そうに呼ぶ。

 

 

 

 

 

 今ここで七星をうちに呼んだことを後悔したって、こんな時間に帰れと言うこともできないのに。

 

 

 

 

 

「どうした?」

 

 

 

 

 

 甘さと優しさが一気に増した声。

 

 

 

 

 

 里見が居る居間と台所は隣接している。

 

 

 以前はあっただろう戸は前の家主さんが改築して取り払われている。

 

 

 丸見えではない。

 

 

 里見が座っている場所からは見えない。

 

 

 ただ声は。

 

 

 

 

 

 声は多分、聞こえている。テレビもついていないから、筒抜けている。

 

 

 

 

 

「ごめんね、何か………」

 

 

 

 

 

 言いづらいのと、何て言ったらいいのか分からないのとで、それ以外言葉が出て来ない。

 

 

 ごめんね。

 

 

 結果巻き込んで。僕を信じて背中を押してくれた七星を、変な風に巻き込んで。

 

 

 

 

 

「何がごめん?」

「………気を使わちゃってるし」

「ん?ビールのこと?」

「そう」

「昨日飲み過ぎたんだよ」

「………」

 

 

 

 

 

 ウソ。

 

 

 それは、ウソだよ。

 

 

 七星は仕事でバイクに乗るから、次の日が仕事なら深酒なんかしない。

 

 

 

 

 

 俯いた僕の頬に、大きくて熱いてが触れた。

 

 

 顔を上げたら、そっと触れるだけのキスをされた。

 

 

 

 

 

 七星は優しく笑ってくれていた。

 

 

 

 

 

「そういうことにしとけ」

 

 

 

 

 

 抱き寄せられる。

 

 

 旋毛にキスをされる。

 

 

 

 

 

 そういうことに。

 

 

 

 

 

 僕は七星に身体を預けた。

 

 

 すぐそこに里見が居るのにそうした。

 

 

 

 

 

「ありがと」

「ん」

 

 

 

 

 

 僕は七星に包まれて。七星の愛情に包まれて。

 

 

 

 

 

 里見、聞こえてる?

 

 

 

 

 

 僕はこんな風に、こんなにも、幸せをもらっているよ。

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