第149話

 明日里見が帰る。

 

 

 

 

 

 なのに、なのか、だから、なのか。

 

 

 七星が来る、今日。

 

 

 気持ち的にどうしたら、どう持って行ったらいいのか分からなくて、僕はずっとそわそわしていた。

 

 

 

 

 

 区切りのいいところで仕事を終わりにして、朝が遅かったから必然的に遅くなったお昼ご飯を食べて、昨夜の夜空観察の仕上げを一緒にして。

 

 

 特に何かを話すこともなく。

 

 

 でも僕はいつもよりずっとそわそわしていた。

 

 

 

 

 

 そわそわしながらも、いいのだろうかと、思う。思っていた。

 

 

 このまま終わって。

 

 

 このまま、まさに命がけで来た里見との日々を終えて。

 

 

 

 

 

 何かをしたような1週間。

 

 

 何もしなかったような1週間。

 

 

 

 

 

 これで終わって里見は。

 

 

 

 

 

「ねぇ」

「ん?」

「明日何時に帰る?」

「………特に決めてないよ」

 

 

 

 

 

 仕上げの手を止めて聞く僕と、手を止めず答える里見。

 

 

 それが、何かを誤魔化しているように見えた。

 

 

 

 

 

「真面目に聞いてるんだけど」

「うん。俺はそれに普通に答えてる」

 

 

 

 

 

 手を動かす里見を見て、少し低くなった声で聞いたら、里見はやっと手を止めて僕の方を見た。

 

 

 

 

 

 痩せた頬。

 

 

 増えた白髪。

 

 

 昨夜寝たのが遅かったのもあるのか、隈が目立っている気がする。

 

 

 

 

 

 昔を知っているだけに………痛々しい。

 

 

 

 

 

「何時に帰るの?」

「だから決めてないって」

「じゃあ何時までうちに居る?」

「だから」

「決めてくれないと色々困るって分かるよね?」

「………別にそんなに困ることなんか」

「困るよ。じゃあ何時に起きればいいの?里見と過ごす最後の日だよ?何かする時間はたくさん取れなくても、朝ご飯ぐらいちゃんと作りたい。洗濯物は?夜に帰るなら朝一で洗えばかわくよ。荷物をまとめて宅急便で送らないと。何時の電車に乗る?何時に家を出る?それまでに里見」

 

 

 

 

 

 一気にそこまで喋って、僕は黙った。

 

 

 

 

 

 それまでに、帰るまでに。

 

 

 お前の心残りを、僕との心残りを、少しでも心残りじゃなくしないと。

 

 

 

 

 

「もう、会えないんだよ?」

 

 

 

 

 

 もしかしたら、この先同級生とか、仲の良かった友人枠で会うことが、もしかしたらあるかもしれない。

 

 

 でも、かつてのコイビトとしては。

 

 

 過去の回収としては、消化して昇華させるために、は。もう。

 

 

 

 

 

 時間を決めて、その時間まで目一杯使って、僕たちは僕たちをきちんと終わらせないと。

 

 

 

 

 

「もう、会えない、な」

 

 

 

 

 

 ぼそっと里見は言って。

 

 

 

 

 

「お昼過ぎには出るよ」

 

 

 

 

 

 目を伏せて、笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何かしたいことは?

 

 

 

 

 

 聞いた僕に、里見は答えた。

 

 

 もういいよって。もう十分って。

 

 

 ああでも、少し触らせてって、ソファーに並んで座った僕の頭を抱き寄せて、旋毛にキスをした。

 

 

 僕はされるがまま、黙って里見の身体に自分の身体を預けた。

 

 

 

 

 

 もういいよ。

 

 

 もう十分。

 

 

 

 

 

 もっとあるんじゃないの?って思うけれど、そのもっとをもっと聞くのがこわくてそれ以上聞けない。

 

 

 聞いて、また言われたらって、思うと。

 

 

 

 

 

『夏目を抱きたい』って。

 

 

 

 

 

 簡単だよ。身体を、脚を開くことなんか。

 

 

 目を閉じてただそれが終わるのを待てばいい。

 

 

 

 

 

 ………イヤ、だけど。

 

 

 

 

 

 七星との幸せでしかない行為を知ってしまった今、気持ちのない行為なんかしたくない。

 

 

 例えそれがかつてのコイビトと、心残りの、後悔の回収として、でも。

 

 

 

 

 

 それでもやろうと思えば多分できる。

 

 

 できるだろうけれど、思う。

 

 

 やろうと思えばできる程度の気持ちでの行為を、里見は望んでいる?

 

 

 

 

 

 それはない。

 

 

 きっとない。

 

 

 

 

 

 里見が望んでいるのは。

 

 

 里見が本当に抱きたいのは、今ここに居る僕じゃない。

 

 

 里見を好きだった、かつての僕。

 

 

 

 

 

 そう思うけれど、思うだけだから、聞くのがこわい。

 

 

 

 

 

「………夏目」

「………ん?」

「………ありがとう」

 

 

 

 

 

 明日。

 

 

 まだ明日がある。

 

 

 もしかしたらこの先も。

 

 

 

 

 

 でも、そのありがとうが、僕には。

 

 

 

 

 

 どうしてか、さよならに、聞こえた。

 

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