第133話

 目が覚めたらひとりだった。

 

 

 

 

 

 ベッドじゃない場所での目覚めに、一瞬の空白。

 

 

 それから。

 

 

 

 

 

 里見は?

 

 

 

 

 

 腕枕をしてもらった。

 

 

 そのまま眠った。

 

 

 

 

 

 なのに里見が居ない。起きたら居ない。

 

 

 

 

 

 起き上がって里見が居たはずの場所に触れる。布団。

 

 

 そこはもう冷たくなっていた。

 

 

 

 

 

 いつから居ない?

 

 

 どこに居る?

 

 

 

 

 

 ソファーに里見の姿はなかった。

 

 

 台所も静か。物音がしない。

 

 

 

 

 

「里見?」

 

 

 

 

 

 呼んでも返事がなかった。

 

 

 

 

 

 出かけた?僕に何も言わず。

 

 

 だとしたらどこに?何をしに?

 

 

 

 

 

 心臓が、変にどくどくと脈打った。

 

 

 

 

 

 一応台所を覗いて、誰も居ないのを確認してから玄関を見に行った。

 

 

 靴が。

 

 

 

 

 

 どうして?

 

 

 

 

 

 里見の靴が、ない。なかった。

 

 

 

 

 

 居ない。里見が居ない。

 

 

 どこに行った?

 

 

 里見が帰るのは土曜日だ。今日は木曜日。まだ2日ある。

 

 

 

 

 

 ………帰った?

 

 

 奥さんを好きだと思う気持ちに気づいて、恋しくなって、悪いと思って。

 

 

 

 

 

 一種のトラウマなんだと思う。

 

 

 過去の、里見との別れによる。

 

 

 だから、急に居なくなられると。

 

 

 何も言わず居なくなられると。

 

 

 

 

 

「里見?………里見⁉︎」

 

 

 

 

 

 心臓がうるさい。

 

 

 知らず呼吸が荒くなる。

 

 

 

 

 

 イヤだ。行かないで。何も言わないなんてダメだ。別れるならちゃんと終わらせて。黙って居なくならないで。イヤだ。待って。行かないで。僕をひとりにしないで。僕をもう、この家で。

 

 

 

 

 

「里見⁉︎里見‼︎………里見‼︎」

 

 

 

 

 

 

 うろうろした。家の中を。

 

 

 トイレかもしれない。洗面所かもしれない。お風呂かもしれない。

 

 

 

 

 

 靴がないのに家の中を探した。

 

 

 

 

 

 自分がおかしいのがどこかで分かる。

 

 

 落ち着かないと。落ち着けよって思う。

 

 

 

 

 

 ちょっと出かけただけだよ。コンビニとか、散歩とか。すぐ戻って来るよ。

 

 

 

 

 

 頭がそう言うのに過去が僕をさらう。連れて行く。感情を過去に。でもこれは、今で。

 

 

 

 

 

「里見‼︎里見⁉︎里見‼︎里見‼︎里見‼︎」

 

 

 

 

 

 どこ。

 

 

 何で居ないの。何で何も言わずに居なくなるの。居なくなるなら、また黙って居なくなるならどうして。

 

 

 

 

 

 どうして来たり、したの。

 

 

 

 

 

 かくんって力が抜けて、僕は廊下に膝をついた。

 

 

 

 

 

 僕は『また』、捨てられたの。

 

 

 里見に『また』、捨てられたの。

 

 

 

 

 

 胸のところにぶら下がる小さな天球儀を、僕は握った。

 

 

 

 

 

 苦しかった。息が。胸が。心が。

 

 

 

 

 

 その時、だった。

 

 

 

 

 

「夏目⁉︎」

 

 

 

 

 

 里見の声が聞こえた。

 

 

 居間の方から聞こえた。

 

 

 

 

 

「里見‼︎」

「どうした⁉︎」

 

 

 

 

 

 僕の声をどこかで聞いたんだろう。

 

 

 珍しく慌てたように声を荒げて、ばたばたと音が聞こえて。

 

 

 

 

 

 居た。

 

 

 居た。里見だ。里見が。

 

 

 

 

 

 僕はへなへなとその場に座り込んだ。

 

 

 

 

 

「夏目⁉︎」

 

 

 

 

 

 慌てて駆け寄って来る里見。

 

 

 どうした⁉︎って里見も膝をついて僕を支えてくれた。

 

 

 

 

 

「………里見が、居ないから」

 

 

 

 

 

 ほっとしたら、情けないことに涙が滲んだ。

 

 

 

 

 

「俺?」

「起きたら居ないから、どこか行っちゃったんじゃないかって。また黙って居なくなったんじゃないかって」

 

 

 

 

 

 何を言っているんだろう。僕は。子どもじゃないんだから。子どもじゃないのに。いい大人なのに。

 

 

 でも、心臓がまだ、どくどくしていた。

 

 

 言葉にしたら本格的に涙が溢れた。

 

 

 

 

 

 こわい。こわかった。

 

 

 もうイヤだ。もうあんな思いはしたくない。

 

 

 あんな。

 

 

 

 

 

「………」

 

 

 

 

 

 里見が泣く僕を、眉間にシワを寄せて見下ろしている。

 

 

 

 

 

 ………さすがに引く、か。

 

 

 どこに居たのかは分からないけど、起きて里見が居ないってだけでこんなオーバーリアクション。

 

 

 

 

 

 自分でもどうかしてると思うよ。

 

 

 

 

 

 ごめんって、立とうとした。そしたら。

 

 

 そしたら、里見が。里見は。

 

 

 

 

 

「………っ」

 

 

 

 

 

 里見は、僕を抱き締めた。

 

 

 一瞬息が止まるぐらい、僕は強く里見に抱き締められた。

 

 

 そして。

 

 

 

 

 

「………ごめん」

 

 

 

 

 

 きっと、僕の過剰反応に責任を感じているだろう、小さな声が聞こえた。

 

 

 

 

 

「………どこに居たんだよ、ばか」

 

 

 

 

 

 僕も里見を抱き締めた。

 

 

 僕もごめんって、抱き締めた。

 

 

 

 

 

 びっくりしただろうから、こんな僕に。

 

 

 

 

 

「庭」

「何で庭なんかに」

「草取り。夏目が寝てる間に全部やって、褒めてもらおうと思って」

「………ばか」

「うん、ごめん」

「ばかだよ」

「だからごめんって」

「僕は一緒にやりたいのに」

「………え?」

「ほんとばか」

「………ごめん」

 

 

 

 

 

 ばかとごめんを言い合って、しばらく僕たちは、そのままで居た。

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