第119話

 帰りの車中、里見は喋らなかった。

 

 

 

 

 

 気のせいだろうか。

 

 

 疲れているように見える。怠そうに見えるのは。

 

 

 

 

 

「帰ったら昼寝しよう」

「………お前っていつもそんなに寝てるの?」

「そうだよ。いつも昼寝する。だから今日もする」

 

 

 

 

 

 嘘だった。嘘だよ。

 

 

 いつもは、しない。

 

 

 眠いときは確かに少し寝たりすることもある。七星と豆太と居間でまったりしすぎて気づいたら寝ていたとか、そんなこともある。

 

 

 でもそれは時々、で。

 

 

 

 

 

「一緒に寝よ」

「………」

 

 

 

 

 

 里見が断れないように僕は言った。

 

 

 僕が寝たいんじゃない。里見を寝かせたい。

 

 

 それを悟られないように。

 

 

 

 

 

「手繋いであげるから」

「………お前」

「ん?」

「妙にかわいいこと言った後は必ず上から目線なんだな」

 

 

 

 

 

 くすって、小さな笑い声。

 

 

 

 

 

 バレていないのか、本当はバレているのに、気づかないフリをしてくれているのか。

 

 

 どっちなんだろう。その声からは、分からない。

 

 

 

 

 

「里見だからね。特別感ありありで嬉しいでしょ?」

「そういうことにしておくよ」

「ってことで寝ようね」

 

 

 

 

 

 信号が赤で、僕はゆっくりとブレーキを踏んだ。

 

 

 止まって横を見る。こっちを見ている里見を見る。

 

 

 

 

 

 やっぱり、疲れた顔をしている気がする。

 

 

 

 

 

「………しょうがないから寝てやるよ」

 

 

 

 

 

 僕の表情から何か感じたのか。

 

 

 里見は前を向いて、静かにそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨夜は正直、何時に寝たのか分からない。

 

 

 布団に入ったのはわりと早かった。でもなかなか寝付けなかった。

 

 

 里見の、絶対無理な、できない、でもやりたいことを聞いたから。ぐるぐるとその言葉が頭の中をまわって。

 

 

 プラスで今日は朝ご飯のために早く起きて、出かけた。だからだと思いたい。

 

 

 里見を寝かせるためにと昼間から布団に横になったのに、僕は多分里見より先に寝落ちた。

 

 

 

 

 

 狭いのに同じ布団に入った。

 

 

 抱き締めて寝たいって言われた。

 

 

 だから僕は里見に背を向けた。すぐに昨夜と同じように後ろから抱き締められた。

 

 

 

 

 

 髪にキス。

 

 

 おやすみって。

 

 

 

 

 

 複雑な気持ち、だった。

 

 

 

 

 

 里見には、奥さんがいる。少し特殊ではあっても、ある種の愛情をお互いに持っているだろうことが分かった奥さんだ。

 

 

 そして僕には七星がいる。

 

 

 

 

 

 そんな僕らが、同じ布団で、こんな風に。

 

 

 

 

 

 七星。

 

 

 

 

 

 今日も配達の時間に僕は居なかった。

 

 

 車がないのを見て、七星は何を思っただろうか。

 

 

 

 

 

 里見に抱き締められながら目を閉じて、僕は七星のことを考えていた。

 

 

 

 

 

 七星。

 

 

 七星に会いたい。七星に触れたい。七星に触れてもらいたい。

 

 

 

 

 

 ………こわい。………つらい。

 

 

 

 

 

 言葉にしないようにしていた言葉が言葉になる。

 

 

 

 

 

 こわい。里見の中にある、確かにある、死が。

 

 

 つらい。それを見るのが。見ているのが。感じるのが。

 

 

 

 

 

 胸にぶら下がるのは、七星とお揃いのネックレスではない。

 

 

 でも僕は、握った。縋るように。幼いあの日に、別れの日に、里見にもらった天球儀を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めたら里見が居なかった。

 

 

 びっくりして起き上がったら、里見はソファーに座って夜空観察のファイルを見ていた。

 

 

 ひとりで。

 

 

 

 

 

「ごめん。起こしてくれれば良かったのに」

「気持ち良さそうに寝てたから、何か悪くて」

「いつから起きてる?」

「30分ぐらい前だよ」

 

 

 

 

 

 もう日が傾き始めていて、部屋の中は薄暗くなっていた。

 

 

 その中でひとり、ファイルを開く里見。

 

 

 

 

 

「コーヒー、いれるよ」

 

 

 

 

 

 里見が見ているのは、いつの観察記録なのか。

 

 

 

 

 

 ファイルに書いてあるけれど、ファイルは里見の脚の上に乗っていて、見えない。分からない。

 

 

 でも多分。

 

 

 

 

 

 ………多分。

 

 

 

 

 

 

 後。離れた後。別れた後。

 

 

 そんな気がする。だって。………だって。

 

 

 

 

 

 

 薄暗い部屋。ひとりソファーに座る里見が。

 

 

 

 

 

 死んでいるように、見えたから。

 

 

 生きている人には、見えなかった、から。

 

 

 

 

 

 だから僕はコーヒーを言い訳に台所に逃げて、またぎゅっと、小さな天球儀を握った。

 

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