第88話
里見はどこか大人びた子どもだった。
大きな声で騒ぐこともなく、調子に乗ってくだらないことを言うこともなく。
かと言って学校行事に非協力的なわけでもない。積極的にではないにしても、やっていた。それなりに楽しそうにやっていた。
ただ、どこか………。
クラスの輪から自ら一歩引いていた僕に、そんな里見は心地よかった。
そんな風だったのは、里見しか居なかった。
でも、そんな風だった理由が。
僕は耳で。
里見は。
強烈な、自己否定。
七星もそうだったと言っていた。期待するだけ無駄だと。だからサッカーに打ち込んだと。
里見と七星。
僕の、かつてのコイビトと、今のコイビト。
共通することがいくつもあるのに、現れている『今』がここまで違うのは。
選択の、結果。
逃げたか、逃げなかったか。
里見は逃げ、七星は対峙した。
どうしてそうだったのか。
どうして里見は対峙できなかったのか。どうして七星は逃げなかったのか。
共通するものを抱えて、どうして。
それは、元の性格。形成された性格。そしてやっぱりあの。あの日の。
悲鳴。
幼すぎた僕たちに、多感だったあの頃の僕たちに、里見に、あれに耐えうる力はなかった。
もしあれが、あと何年か後に起こっていたら。あれが、もう親を必要としなくても生きていけるぐらいの年齢になってからのことだったら。もしかしたら、七星のように里見も。
「今も、でしょ?」
「………何が?」
「里見は今も、自分が嫌いでしょ?」
何となくふとそう思って、僕は里見に聞いた。
里見は少しの間黙って、それから頷いた。そうだな。嫌いだなって。
「好きになれる要素がまるでない。これで自分が好きなんて、言えたらすごいよ」
強烈な自己否定。
里見に大きくあって七星にはさほどないもの。
僕にもある。
聞こえない左耳。それがイヤで、コンプレックスで、自分から言ったことはほとんどない。自分から言ったのは里見と七星ぐらい。
でも僕はそれだけで、里見にも七星にも何ごともなく受け入れられた。
あの日の悲鳴に突き刺された里見への気持ちはあっても、今僕には七星が居て、七星の家族が居て、こわいぐらい満たされている。
里見が。里見だけが。
「………そろそろ何か食べない?食べられる?」
時計を見れば、もうお昼をとっくに過ぎていた。
「食べれるよ。どうする?どこか食べに行く?」
「いいよ。作るよ」
「夏目が?」
「僕が」
「お前、料理できるんだ」
「何年もひとり暮らししてるんだから、できなきゃおかしいでしょ。何食べたい?」
そう言えば、昔。中学生の頃、里見の家に泊まりに行って、里見がカレーを作ってくれたんだっけって思い出した。
カレーは料理のうちに入らないって。
「………カレー」
同じことを思い出したのか、里見が僕を抱き締めたままで言った。
「それは夜じゃない?そしてカレーは里見が作るんだよ」
「え?俺?」
「カレーは里見」
「俺、もうずっと料理なんかしてない」
「大丈夫だよ。カレーは料理のうちに入らないから」
「………言ったな。俺が」
「言ったよね、里見が。じゃあ決定。夕飯は里見がカレーを作る」
「まじか。じゃあ昼は?」
「お昼は………ま………夏目特製、ふわとろオムライスでも作ろうか」
「何そのネーミング」
『真澄特製ふわとろオムライス‼︎』
七星と過ごす日曜日。
お昼ご飯に何がいい?って聞くと、食べに行くことも、お昼近くまで寝ていることもあるから、お昼の時間にちゃんと作って食べることもあまりないけど、七星に聞くと高い確率で七星はそう答える。
だからつい『真澄』特製って言いそうになって、言い直した。夏目特製。
「一時期すごい練習したんだよ。ふわとろオムライス。こんなの作れるのかって、お前を驚かせたくて」
できなかった、実家ではやらなかった料理を、この家で僕はやった。練習した。
来ない、来るはずのない、里見に食べてもらうもしもの日を夢見て。
「オムライスでいい?」
「………いいよ。食べて驚きたい」
「じゃあ待ってて」
僕はオムライスを作るために、里見の腕から抜け出した。
里見は、また泣きそうな顔をしていた。
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