第70話
七星の実家から美浜公園はすぐ。
電話が切れて、10分ぐらいで七星は来てくれた。原付で。
すぐ横に来た原付の音に顔をあげたら、七星がおりるところで、僕は車から出て、泣きながら七星に抱きついた。
まだヘルメットも脱いでいない七星が、僕より大きな身体でしっかりと抱き締めてくれた。
七星は何も言わず、何も聞かず、僕を泣かせてくれた。
「………ごめんね」
しばらく泣いた後、七星にしがみついたまま、抱き締めてもらったまま言えば、飯食った?って。
七星が僕を覗き込んでそう言った。
「………食べてない」
「だろうなってことでさ」
「………うん?」
「母さんが持ってけって、色々持たせてくれたから、真澄んち行って食お」
「………え?」
「俺、来るのちょっと遅かっただろ?」
電話が切れてから、10分ぐらいだと思った。だから全然遅いなんて、僕は。
「電話切ってそっこー来たら3分だって。なのに母さんと姉貴があれもこれもってタッパーに入れるから遅い遅い」
「………何か、ごめん」
「いいんだよ。真澄の一大事は久保家の一大事。詳しくは何も言ってないけどな。何も。電話で俺が真澄と話してるの聞いて用意してくれた」
「一大事って」
「ちなみにケーキもあるから」
「え?」
「母さんが姉貴が来るし俺も来るし、で、ケーキ食べようって父さんに言って、父さんが買ってきたんだよ。その数に、普通に真澄の分が入ってた。今日来ないぞって言ったらショック受けてた」
「………え?」
「で、『真澄くんの家に行くなら持って行け』って」
「………」
「『ここのケーキは最高にうまいからな。今度一緒に買いに行こう。今日のケーキは俺のイチオシケーキだ』だってさ」
「………」
「あれもこれもって、俺原付だっつーの。な?」
くすくす笑う七星。
途中から顔を上げて聞いていた。
途中からまた涙が溢れて止まらなかった。
七星が大きな手で僕の頬を包んで、親指でその涙を拭ってくれた。
受け入れてもらえてる。許されているということは、こんなにも嬉しいものなんだ。
改めて知って、改めて思い知って、改めて。
里見とのことが。
僕はこうして今七星と居る。七星の家族も、今実際に側に居なくても、居る。その心を、優しさを、愛情を感じる。
でも里見は今。
帰れって言ったのは僕。
………ごめんって、思った。
「落ち着いたら真澄んち行こ。あ、車に持たされたやつ乗せて欲しい。これでタッパー開けたらぐしゃぐしゃ、ケーキもぐしゃぐしゃだったら俺まじフルボッコ」
「………」
七星の言葉に、笑みさえ浮かんだ。里見と居たときの苛立ち。イライラが、キレイに消えた。ない。
だからこそ余計に思う。ごめん、と、何で。
七星と、には感じない。ない感情。
かつては好きだったはずなのに、嫌いになって別れたんじゃないのに、どうして。
七星と居るとただただ幸せ。幸せで、こんなにもあたたかい気持ちになるのに。
「………七星」
「ん?」
「………ありがと」
「うん」
七星はまた笑って、僕にそっとキスをしてくれた。
しょっぱいって、また笑った。
それから少しして僕の家にふたりで戻った。
今日はもしかしたら里見を呼ぶかもしれないって思っていたのに、今日も七星と帰ってきた。
里見と住むことを夢見て買ったはずの家に、その里見を呼べないなんて。
「ほら、食おう。腹減った」
ご飯やおかずが入ったタッパーを前に動けないでいたら、七星が僕の頬にキスをしながらそう言った。
見上げると『ん?』って優しく笑う七星。
僕は七星に寄りかかった。
「………ごめんね」
「何かあったの?」
「………ううん」
「なかった?」
「………」
「大丈夫だから、言ってみ?」
大丈夫、だから。
僕より大きな身体が、僕をすっぽりと抱き込む。
抱き締められるとすぐ目の前にお揃いのネックレスがあって、僕はそのネックレスを握った。いつもそうする。
里見はまだ持ってるのだろうか。
あの、小さな天球儀を。
僕がもらったそれは、仕事机の引き出しに、捨てられずに、まだ。
「………里見を見てるとどうしてかイライラする。腹が立つんだ。どうしても、どうしてかイライラして。………僕が一方的に腹を立てて、帰れって」
「………そっか」
「………どうしてか分からない。七星と居るときは全然なのに。………せっかく『あの』里見がここまでしたのに、七星が僕の背中を押してくれたのにひとりで帰れって。………僕って最低」
「最低じゃない。最高」
「………七星」
全然。
最高なんかじゃない。最低だ。
僕ってそんなだった?そんななの?七星と居るときも?
違う。違うよね?僕は決して褒められるような人間ではないかもしれないけど、そこまで。あんなに。
「悲しいんだろ」
「………え?」
「悲しいんだよ。悲しかったんだ。それをずっと黙ってたから、言わずに居たから、今になってあらわれた里見さんに何でってなるんだよ」
「………」
悲しい。悲しかった。何で?
僕は。
僕、は。
「あ、また泣いてる」
「………ごめん」
「泣けばいいよ。悲しいんだから、悲しかったんだから、泣けばいい。一緒だよ、真澄。逃げるからいつまでもいつまでも胸に残ってる。感情も、一緒。悲しいなら、泣くのが一番」
七星。
僕は七星の胸で、里見って、泣いた。
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