第62話
「………え?」
暗い美浜公園。
聞こえる波の音。
頬を撫でる潮風。
見上げれば星も瞬いているだろう。
ずっと里見と一緒に、そしてひとりで見上げ続けていた星空が。
最近ではそんなに見上げることもなくなった星空が。
そこに聞こえた里見の声が、誰もが知る病名を告げた。
自分はそれだ、と。
先週退院してきたばかりだ、と。
痩せた。細くなった。小さくなった。
改めて見た里見は、スポーツを、バスケをやっていた身体に見えなくなっていた。
今までろくに運動をしてきたことがない僕よりも。
「自分があとどれぐらい生きられそうなのかも聞いた」
「………」
あとどれぐらい。
それは。………余命宣告って、こと?
僕は、右側の、すぐ側に立つ七星の左腕にしがみついた。
七星はすぐに僕を囲うように右手で僕の背中に触れてくれた。
「それを聞いたとき、夏目って。夏目に会いたいって思った。会って謝りたい。会って好きだと伝えたい。今でも好きだ。俺はずっと夏目が好きで、忘れられなくて………」
「………」
「心残り、なんだよ。………治療をしたら、もしかしたら聞いた時間よりもっと長く生きられるかもしれないし、逆にもっと短いのかもしれない。ただ、自分がもしかしたらあまり長くないかもしれないって思ったら、ただただ心残りで………」
僕は、何も言えず、動くこともできず、里見の淡々とした声を、言葉を聞いていた。
静かな公園に、里見の声はよく聞こえた。そんな話は聞きたくないのに、こんなときこそ聞こえなくていいのに、よく聞こえた。
どくどくと脈打つ、自分の鼓動も。
「ずっと後悔していた。している。だから、残された時間が僅かかもしれないなら、夏目にもう一度会って、謝って、気持ちを伝えて、そして………」
「………そして?」
口を閉ざした里見を、七星が促した。
「………1週間、妻から時間をもらった。1週間、俺の好きにさせて欲しいと。………勝手なことを言っているのは分かってる。本当は二度と会うつもりもなかった。………でも。1週間でいい。もっと短くてもいい。夏目とふたりで、ふたりきりで、過ごしたい」
僕は、七星の腕の上で拳を握った。
色んな感情が僕の中で吹き荒れた。ぐるぐる回って、まるで竜巻のように。
何で。
どうして。
僕を選ばなかったのは里見。
僕を捨てたのは里見。
待っているしかできなかった僕に、何も言わず、さよならさえ言わず居なくなったのは里見。
もっと何かできたかもしれない。
黙っていたのは僕。だけど。
いつもいつも、里見は。お前は。
「………1週間って、いつからの1週間?今日?」
「今日からの、1週間」
「泊まるところは?」
「ビジネスホテルを取ってある」
「さすがに今日の今日からどうこうできるなんて思ってないですよね?」
「………さすがにそれは………思ってないよ」
「じゃあ、今日はこのままそのビジネスホテルに帰ってください。どうするかはこっちから連絡します。連絡先を教えてください」
「………分かった」
真澄ちょっと待っててって、七星が僕から離れて里見と何かしている。
僕はそれを見て。
見て。
「………ふざけるな」
「真澄?」
「ふざけるな‼︎帰れ‼︎今すぐ帰れ‼︎」
「真澄」
「何が病気だよ‼︎何が余命だよ‼︎知らないよそんなの‼︎知らないよ‼︎」
「真澄、落ち着いて」
「いつもお前はいきなりだ‼︎いきなりキスしてきて‼︎いきなり居なくなって‼︎いきなりまた現れて、また居なくなって‼︎結婚したんだろ⁉︎僕より世間体を選んだんだろ⁉︎なのにまたお前はっ………‼︎」
吹き荒れる感情のままに叫んだ。喚いた。止められなかった。
知らないよ。何だよ、心残りって。何だよ。ふたりきりで過ごしたいって。
僕はもう。里見のことはもう。
「真澄」
抱き締められた。
七星に。ふんわりと。分かったよって。行こうって。
帰ろう。家に帰ろう。帰ってコーヒーでも飲もう。俺がいれるよ。
「………七星」
「うん。大丈夫。だから今日は帰ろう」
溢れる涙。
ぼろぼろ泣く僕に、僕の涙に、七星はそっとキスをしてくれた。
優しい優しい笑みを浮かべて。
僕が好きな七星。大好きな七星。
僕は七星に抱きついて、七星に抱き締めてもらった。
「………悪いと思ってる。ごめんって。でも」
「やめてください、里見さん」
「お願いします。俺に、夏目との時間をください」
閉じていた目を開けたら、七星の後ろに膝をつく里見が見えた。
頭を地面につけて。
土下座。
「………っ」
何で。
どうして。
「………連絡します。タクシー、呼んでくださいね」
そして僕は七星に連れられて、美浜公園を後にした。
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