Like an angel.(7)

 天使の体には傷ひとつなかった。記憶を失っても天使は天使だ、こいつのご主人サマが気を利かせてくれたのかもしれない。まあ、もしそうならさっさとこいつに記憶を戻してやって欲しいもんだが。

 伸びてしまった男たちを尻目に外に出ると、爽やかな夜風が俺と天使を撫でた。先ほどまで煮えくり返っていた胸の内は既に落ち着き、ただ俺の手を握る天使が無事でいてくれたことにホッとする。

「御坊ちゃま、ご無事で何よりでしたわ」

 その目線にしゃがみ込んで言うと、天使は俺の頭を軽く抱えるように、胸の内に抱き込んだ。

「メアリ・アン、助けてくれてありがとう。君が怪我をしなくて、本当によかった。君が強い人でいてくれたことを、主に感謝しないと」

「御坊ちゃま……」

 ああ、体が小さくなろうと記憶が失われようと、本当に、天使サマは天使サマだ。どこまでいっても失われることも損なわれることもない、攫われる恐怖に揺らぐことさえもない完全なる善性にくらくらしていると、更に意識が遠のくことが起きた。

 天使がそのまま、俺の額にキスをしたのだ。

「え……」

 混乱する俺を見つめて、天使は微笑んだ。

「本当に、ありがとう。……大好きだよ」

「私も、……」

 つられて好きだと言いそうになってから、我に返った。メイドである今、そのようなことを口走るのはまずい。

 ともかく、まずは屋敷に帰らねばなるまい。どこかで車を拾って……。

「……んっ」

 突然呻いて、天使が頭を押さえた。顔色が悪い。苦しげに眉を寄せて、うずくまってしまった。

「御坊ちゃま! 大丈夫ですか!」

 もしかして、見えないところに乱暴でもされていたのか。天使も悪魔も本質は霊的存在だから肉体へのダメージなど普通は大した問題ではないが、自分が天使であるという認識を失っている場合、どうなるかは分からない。

 俺は急いで衣服を緩めてやろうとしたが、他ならぬ天使が、それを止めた。

「……大丈夫、怪我じゃないから……」

「でも」

 天使はゆるゆると首を振った。心なしか、顔色がよくなっているような。よく見ると、空色の瞳に瞬いていた子供らしさが、すっと、なりをひそめたような気もする。

 天使は尚も心配で顔を覗き込む俺に、笑いかけた。

「本当に大丈夫だよ。記憶が戻っただけだから」

「記憶が……」

 一瞬、言葉の意味が分からずに復唱してしまった。ぽかんとする俺を見て、天使は面白そうに笑う。そして再び、俺の頬にキスをした。

「本当に、いつもおまえは私を助けてくれるんだな。……ありがとう、ラブ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る