Like an angel.(4)

 人間は日記というものをつける。単に記録のためというやつもいるが、多分に感傷的な理由で毎晩帳面に向き合うやつもいる。館の主人、暫定的ご主人サマは後者だった。

 俺がメイドとして働き始めた日、主人は、書斎は自分で掃除するから立ち入らないで欲しいと言った。だから俺は、その日の夜にこっそり忍び込んだ。何か、次の仕事に繋がるような弱みや有益な情報があればという、職業的興味からだ。しかしそこで見つけたのは、見ただけでわかる男の善性を更に強固なものにするアイテム……日記だった。

 全てに目を通すまでもない。ここ数日間の記録からだけで、主人の細やかな神経をうかがうことができた。

「あの子が生き返った、か」

 天使についての記述を読んだ時、俺は思わずページを繰る手を止めた。

 人間は生き返らない。それは何より人間たちがよくわかっていることだ。あり得ないことだからこそ、強く願う。その強さゆえに、俺たちと契約するに至る者さえいるくらいだ。

 だからあの男は、子供とは言え素性の知れない赤の他人である天使を引き取るなんて真似をしたのだ。

 まったく……天使サマは変なところで罪なことをする。

 以前、天使から聞いた画家のことを思い出す。基本的には人間に与える印象が薄いはずのあいつは、ときおり無自覚に人間を惹きつけてしまうようだ。

「メアリ・アン? どうしたの? 頭でも痛いの?」

 可愛らしい声にハッとする。天使が俺の顔を覗き込んでいた。

「大丈夫ですわ、御坊ちゃま。ちょっと考え事をしていただけです」

 シルバーのカトラリーを磨きながら、俺はすっかり人間の子供のようになってしまった最愛の相手を見つめた。……このままこいつの記憶が戻らなかったら、俺は……。

「やっぱり具合が悪いんじゃない?」

 心配そうな天使は隣の椅子に座り、俺の額に手を当てた。

「熱はなさそうだね……」

 綺麗に整った顔が目と鼻の先に近づいて、危うくカトラリーを取り落とすところだった。純真無垢な瞳が瞬き、すぐに頰が真っ赤に染まった。

「あ……ごめんなさい、つい心配で」

 恥ずかしそうに俯いて、天使はそそくさと椅子から降りてしまった。もう抱きしめてこのまま連れて帰ってしまいたいが、こいつの記憶が戻らない以上、それはできない。歯がゆいが、耐えるしかない。

 しかし、本当にいつになったら記憶が戻るのだろう。このままではあの男、自分で引き取ると言い出すに決まっている。それを誰かと電話で相談しているのを聞いてしまったので、ほぼ間違いない。法律的な問題は色々とあるだろうが、金も人望もある男に不可能はない。ましてや、当の少年本人が懐いているのだ。養子縁組くらい簡単な話だ。

 記憶を消す魔法はあれど、消えた記憶を戻す魔法はない。部分的には可能な場合もあるが、アイデンティティと共に失われた記憶全てなど、戻せるわけがない。記憶が戻るためには、何か引き金になるような出来事が起きねばなるまい。そうでなければ……。

 俺はひとり、頭を抱えた。

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