何でもない日

 愛する悪魔と互いの想いを確認し合った頃、人間で言えば「付き合い始めた頃」、私は彼にケーキを作ったことがある。百年前に彼からもらった、プレゼントのお返しとして。その後にも、バレンタインの贈り物として作ったことがある。だから、ひとりでケーキを作るのには、少しだけ慣れてきたと言っていい。……筈なのだが。

「ああ、天使サマ、そこにボウルを置いておくと危ないぞ」

「え、あ、すまない」

「いや大丈夫だ。ああ、卵を泡立てるときは……ちょっと貸してくれるか」

「あ、……」

 黒いエプロンを身につけた悪魔が、私よりも素早く丁寧な所作で調理を進めていく。

 ふたりでこうしてキッチンに並んでケーキ作りできるのは嬉しいが、何事においても卒なく完璧にこなしてしまう彼の、足を引っ張っている気がしてならない。

「ん。どうかしたか、天使サマ」

「その……私は足手まといではないかと思って……」

 黒い切長の目が、ぱちぱちと瞬いた。

「何だって? はは、そんな訳ないだろ。お前とじゃないと意味がないんだから」

 呆れたように笑う横顔に、ホッとする。そうだ、確かにこれは、ふたりでなければ意味がない。

「うん、そうだね。……喜んでくれるかな」

「喜ぶだろ。あいつは単純で、素直なやつだ」

 美味しいお菓子を食べているときはいつも満面の笑顔なんだぜ、と悪魔は笑う。彼にとって、そして私にとっても大切な存在である、ひとりの少女の笑顔を思い浮かべる。

「ダイアナちゃんには誕生日でも記念日でも何でもない日だけれど……そういう日を共に楽しく過ごせるのが、一番幸せなことかもしれないね」

「そうかもな」

 軽く頷き、悪魔は冷蔵庫の中を覗く。みずみずしく艶やかな果実を確認しつつ、鼻歌でも歌いだしそうな様子だ。と思っていると、彼は私の指に触れ、そこについていたらしい生クリームを、ぺろりと舐めてしまった。

「天使サマ、またクリームついてたぞ」

「……お前はまたそういうことを……」

「ははは、そう赤くなるなって。さて、あのお転婆が帰ってくる前に仕上げないとな」

 こういう、何気ない一瞬一瞬が、どんなに貴重であることか。

 天使である私と悪魔である男、そして可憐な少女の使い魔とをつなぐのは、ほんの僅かな偶然の重なりだ。その奇跡のような繋がりを、これからも大切に守りたい。

 ケーキの焼ける、いい香りがダイニングに広がる。私と男は、軽やかな足音が聞こえてくるのを心待ちにする。

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