あるエクソシストの執心(3)

 悪魔の住むマンションから出たところで、先ほどまで話題の的だったマイケルと出くわした。びっくりしてしまったけれど、向こうは私よりもびっくりしているようで、慌てて白い息を吐きながら駆け寄って来た。

「こんな所でお会いするとは……こちらにお住まいなんですか」

「いいや、そうではないんだ。ちょっと用事でね。君は、こんな所でどうしたんだい、マイケル?」

 さっきの話から大方の予想はついていたが一応尋ねると、どこか幼さの残る顔がちょっと引き締まった。

「それがですね……ここに、悪魔が住み着いているようなんです」

 大当たりだ。

 その仕事に対する情熱を褒めてやりたくなったが、そんなことをしては話がこじれてしまう。私は真剣な顔を作り、彼の話に耳を傾けた。どうやら、ほぼ、私の悪魔が推測した通りらしい。マイケルは自分が担当する地区をしらみつぶしに巡り、あの男の邪悪の気配を辿り、この建物に逢着ほうちゃくしたということだった。

「ぼくの予測では、あの悪魔はそろそろ仕事に向かうはずです。奴の行動パターンは捉えにくかったのですが、なんとか今日の動きは割り出しましたよ」

「そうか、それはすごいな。……でも、その男が本当に悪魔だという確証はあるのかい。いや、君の能力は私も知っている。けれど、誰にでも見落としや勘違いというものがあるからね」

 さりげなく誘導を試みたが、やはりマイケルはそんなことで揺らぐような人間ではなかった。カソックの胸を張り、腰に手を当てて、彼は首を振った。

「あの男の体に染み付いている邪悪の匂いは、ぼくの勘違いなどではありません」

「そうか……」

 ラブ、済まない。私ではやっぱり、この正義感溢れる若き司祭を説得することは、できそうにない。

 心の中で悪魔に謝っていると、マイケルが近所の公園を指差した。夏には緑が溢れるはずの公園は、青青とした常緑木の生垣に囲われている。

「先輩がいてくれると心強い。一緒に、あの邪悪な者を待ち受けて、退治しましょう」

「え……でも私はこのあと……」

「大丈夫です、教会にはぼくから事情を説明しますから」

 有無を言わせぬ口調で、マイケルはずんずんと茂みの向こうへ行ってしまう。私は慌てて、その後を追った。しかし、茂みに隠れて建物を見張るなんて、この間見た刑事もののドラマのようで、……ちょっと楽しい。

「ところで、その男が悪魔だったとして……どうやって退治するつもりなんだい」

 見たところ彼は身につけているカソック以外、特に荷物を持っていないが、カソックは聖職者の仕事着である。恐らく、その内ポケットに、さまざまな道具を忍ばせているのだろう。

「この一週間ほどで色々用意できたのですが、今回持って来たもので最も効果がありそうなのは、聖水ですね」

 ああ、神よ。

 天を仰ぎそうになった。しかし、祝福があるとはいえ、主に悪魔の無事を祈るわけにはいかない。もしもあの男の身に本当に危険が及ぶようなことがあれば、そのときは私が何とかしよう。

 そう決めて、私はマイケルと共にマンションの入口に目を凝らした。果たして、そこに人影が現れた。……しかし、私の悪魔ではない。黒髪の、ハイスクールに通う年頃の少女だった。少なくとも、見た目はそうだ。これはもしかすると、と思ったとき、マイケルが声を上げた。

「あの少女、うっすらとですが、邪悪の気配があります。今、ぼくが追っている件に関係するかもしれない」

「え?」

 そう言えば確かに、先ほど悪魔が言っていた。マイケルは、少女が悪魔に取り憑かれる事件を追っているのだと。

「邪悪の者を追うより、今はあの少女の方が気にかかる……行きましょう」

「え、あ……」

 マイケルはさっさと立って、少女の後をついて行く。即断即決。それまで執着していたものにこだわることなく機に応じた対応をできる彼は、稀に見る行動力の持ち主だ。こういう人間は、じっくり考えて石橋を渡る人間とは違った方法で思考し実行する。見ていて、とても面白い。主が人間に多様な性質を与えたもうたことに感謝しながら、私もマイケルについて行った。これはきっと、あの悪魔の思惑通りの展開だろう、とも薄々思いながら。

 黒髪の少女は、絶妙に人けのない道を歩いて行く。まったく人が通らないわけではなく、平日の昼日中に散歩に出歩く老人や、幼子の手を引く母親などがちらほら見える、静かな道だ。そして、絶妙なタイミング……少ない通行人が一瞬絶えたタイミングで、ふらふらとよろめき、近くの住宅の塀に寄りかかった。そのまま、お腹を抱えるようにうずくまってしまう。

「ああ、やっぱり……大丈夫ですか!」

 マイケルは急いでそのそばへ走って行った。

「どこか具合が?」

 カソック姿のマイケルに、少女はホッとしたように小さく頷いた。

「寒気とだるさが……それに、めまいも」

「それはよくない。どこかで休みましょう。ああ、あの喫茶店がいい」

 おあつらえむきに開いていた喫茶店で、私とマイケルは少女と向かい合って座った。静かな店内で、少女はポツリポツリと話した。最近、体調が優れないこと。頭の中で声がしたり、自分が自分でないような気がすること。

 マイケルは言葉を挟まず真剣に、親身になって聞いている。私も、ある確信を強めつつ、それにならう。やがて少女は語り終え、私たちの前には空になったカップが並んだ。私は一種の好奇心を抱きながら、隣に座る新米エクソシストを見遣った。

「病院には行かれましたか」

「いいえ、ここまで酷くなるとは思っていなかったものですから」

「それでは、まずは心療内科を受診することをお勧めします」

 言いながら、彼は懐から小さな黒革の手帳を取り出し、ページを破り取った。そこにサッと何事か書きつけて、少女に渡す。

「受診してしばらく様子を見ても治らなかったら、この番号へ。ぼくで力になれそうであれば、いつでも喜んで駆けつけます」

 マイケルの言葉に、少女は嬉しそうに頭を下げた。

「ありがとうございます、神父様」

 そうして、少女は去った。マイケルには溢れんばかりの笑顔を残し、私にはいたずらっぽい笑顔を残して。

「マイケル。今のは……」

 私の物問いたげな視線に、マイケルは頷いた。

「あの邪悪の者は、少女たちの体に取り憑いて何事かを企んでいるのです。大方、人間界に入り込んで悪事を働こうと言うのでしょう。ぼくは、ある少女から相談を受けていまして、彼女に染み付いていた邪悪の匂いを追って、あの悪魔に辿り着いたのです」

「そうだったのか。ところで、これは単純な興味でしかないんだが……その悪魔というのは、君に何かした?」

 本当に、単純な興味だった。あの悪魔が話してくれたことによると、どうやらマイケルの反応が面白いから色々とからかっているとかいう話だった。人間の、それも能力のある司祭相手に、あの男がどんなからかいかたをするのか、気になったのだ。マイケルは、顔を真っ赤にして口ごもった。

「それは、その……邪なことを口にして、悪の道にとそうと誘惑を……」

「そうか、それは怖かっただろう。君は強い人間だね」

 信仰に生きる道を選んだ者にとって悪魔の誘惑は、自らの道を汚されることに等しい。私も一度、その心境を体験したことがあるから、分かる。それを、もう四度も耐えているというのだ。この前途ある若者に、神の祝福がありますように。

 マイケルは気を取り直すように首を振った。

「しかし、きっとあの男はもう、マンションを出たことでしょう。少女のためにはよかったと思いますが、タイミングが悪かった……」

 いや、むしろタイミングはばっちりだったのだ。ただし、マイケルにとってではなく、悪魔にとって。

 そんなことを言えるわけもなく、少しばかり気落ちした様子のマイケルと並んで店を出る。太陽はまだ輝いているが、まだまだ冬だ。きっとすぐに日が落ちて、冷たい藍色が降りてくる。

「先輩、お付き合いくださってありがとうございました。ぼくはまた巡回して、あの悪魔を探してみます」

「ああ、分かったよ。くれぐれも気をつけて」

 手を振って背を向けたマイケルを少しの間見送って、私は小鳥に姿を変えた。

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