ある天使の肖像(1)

 天使と悪魔の繁忙期がどうにか過ぎ去り、私と彼は、ようやく週に一度、どちらかの自宅で落ち合えるようになった。よく使う喫茶店は最近、近隣の区画を担当する天使が顔を出すようになったので、あまり落ち着いて話が出来なくなってしまったのだ。

 今日は悪魔が私の家に来て、ひとしきり、人界の世界情勢について話をした。結局のところ、人間はまたも同じ過ちを繰り返そうとしており、悪魔はそれを誘導し、天使はそれを牽制している、という訳だった。

「しかし仕事とは言え、気が滅入るぜ。悪意は好物だが、最近は純粋な悪意以外も蔓延していて、腹がいっぱいだ」

 私の淹れたコーヒーを飲みながら、黒髪の悪魔は嘆息する。

「それなら、少し手を抜いてくれよ。お前の働きぶりは、他の天使たちから聞いてる。お前がちょっと休んでくれれば、人界も多少はのんびり出来る筈だ」

「冗談。ご主人サマから受けた命令は絶対だ。お前もそうだろ」

 悪魔は肩をすくめ、空になったカップを置いた。

「そもそも俺たちは、仕事とセットで生まれてきたんだからな。仕事しないなんて、死んでるも同然だ」

「まあ、それはそうだけれど」

 確かに私たちにとって、仕事をしないなんて選択肢はあり得ない。あり得ない、のだが‥‥‥。ついこの間、目の前の男は仕事を永遠に放棄することを選択して自分を封印し、私は私で全ての仕事を放棄して男を探し歩いたのだ。それを思うと、なんだか少しおかしい。

「天使サマ? 何を笑ってるんだ」

「いや、何でも。そうだ、コーヒーのお代わりを持って来よう。ちょっと待っててくれ」

 カップを受け取ってキッチンに立って、戻ってきたら、もう男の姿がなかった。いったいどこに、とよく見ると、いつもは閉めてある寝室へ続く仕切り戸が開いているのが見えた。

「あ、ラブ、そっちは」

 焦って寝室を覗くと、やはり、悪魔がそこにいた。長身を屈めて、寝台の裏、ほとんど物置となっているスペースに頭を突っ込んでいた。

「天使サマ、全然こっちには入れてくれないから気になっていたんだが‥‥‥、お前にしちゃ随分と雑然としているな」

 見られたくなかった場所をとうとう見られてしまい、恥ずかしさにいたたまれなくなりながら、私はため息をついた。見られてしまったものは仕方ない。観念するしかない。

「だから見せたくなかったんだ。天使の仕事をしていると、どうしても人間とのかかわりの中で物が増えていってしまってね‥‥‥。捨てたり売ったりするわけにもいかないし‥‥‥」

 悪魔と違って天使の仕事は、長期的に同じ場所で行われることが多い。もちろん定期的に配置換えを行いはするが、戦場の真ん中で幻術を使ってすぐに姿をくらます悪魔のような、瞬間的な仕事は殆どない。だから、人間に混じって仕事をする中で、プレゼントをもらう機会もあるし、一緒に何かを作ることもある。食べものなら残らないが、彫刻や絵画、アクセサリーなどはそうもいかない。それをくれた人間のことを全て覚えていられるわけではないが、それをくれた暖かな気持ちは、物を見ればすぐに分かる。だから捨てることも売ることも出来ず、増えていく一方なのだ。

「魔法でコンパクトにして、どうにか収納出来てるようだが‥‥‥、これ、圧縮を解いたら、ここいら一帯が骨董品で埋まっちまうぜ」

「そうなんだ‥‥‥。仲間の天使にも相談してみたんだが、皆、どうしようもないから捨ててしまったと言って、全然参考にならなくて」

「そりゃあ、そうだろうな」

 悪魔は相槌を打ちながら尚も暗がりの中でもぞもぞと動いていたが、不意に「おっ」と声を上げた。

「天使サマ、これはお前か?」

 彼の手の中には、小さなキャンバスが収まっている。そこに描かれているのは、数世紀前の姿ではあるが、確かに私だった。

「懐かしいな。それは、ある画家が描いてくれたんだよ」

「へえ。もっとよく見てみたいな。圧縮を解いても?」

 私が肯くと、悪魔は指を鳴らしてキャンバスを元のサイズに戻した。ついでにどこからかイーゼルも出現させた彼は、それを掛けて、まじまじと見つめた。

「これは‥‥‥俺が知らない頃のお前だ。ふうん、今より少しばかり年齢が上に見えるな。それに、今よりももっと‥‥‥」

「は、恥ずかしいから、そういうのはよしてくれ」

 慌てて止めて、私は寝台に腰かけた。立って話をするには、少しばかり長くなる思い出だ。私に合わせて、悪魔も隣に座った。

「あれは、そうだな‥‥‥大きな戦争が始まる前の、小休止のような時代だった」

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