第16話 水滴るオアシスで夢色を食す

アスワンに到着した時、オアシスとは何かを知ったと思った。身も心も飲み込まれんばかりの砂漠を横断してきた私たちは深い緑生い茂るナイルの流れに呆然となったのだ。


それはまさに湧き出した命の楽園。遺跡や神殿もうっすらと水のベールの向こうにあって、同じようなレリーフさえも他の町とは違って見えた。それらはどれも、果てしない時間の上に咲く瑞々しい花のようだった。


12月のエジプトは季節的には冬で、さすがに朝夕の冷え込みはあった。けれど昼間は容赦ない日差しに汗ばむ。スーダンとの国境がすぐのこの町ではそれはより顕著になって、私はシャツの袖を捲り上げ、白い帆掛け船ファルーカに乗った。


ふと好奇心が勝り、目の前に迫る緑の水面みなもに手を差し入れる。水は冷たく心地よかった。けれど次の瞬間、私はさっとその手を引き上げた。すぐ後方に丸い黄金の輝きが二つ。船を追走しているのか伴奏しているのか、どちらにせよ見るからに成熟した個体のもの。


いけないいけない。彼らは彼らの愛で持って接してくるから、手を出してはいけないと注意されたばかりだ。ごめんなさいと心の中で謝り、吹いてくる風に目を細め、胸の奥深くまで水の香りを吸い込んだ。でもちょっぴり、そのドキドキが嬉しかったりした。


そんな町で、毎朝テーブルに並んでいたのは驚くほど淡い色のザクロの実だった。まだ熟れていないものをもいできたのかと思いきやそれは十分に甘くかぐわしかった。透き通り、柔らかで煙るようなピンク。その色はまるで夢のように、過去と現在が混在して揺らめく、アスワンという町を象徴しているかのようだった。


もしかしたら、あの日からザクロが好きになったのかもしれない。季節になれば飽きもせず買い求めるけれど、今まで一度として同じ色のものを見たことがない。それはそうだろう。あれはあそこだから食べられるのだ、あそこだからいい。


ヘタにナイフを入れた瞬間、懐かしい水の香りがふと鼻先をかすめたような気がした。砂漠の宝、青き流れのオアシス。いつまでもそうであり続けて欲しいと、深い血色の果肉を手に、遠く古代の都を今日も想う。

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