ふたりっきり、味の証人
高戸優
ふたりっきり、味の証人
高木家秘伝の味よ、と母はいつも笑っていた。
台所に立つ父は、どんなのだっけと苦笑い。
私は後ろから覗き込んで、首を傾げるだけだった。
「なんか……練り物入ってた気がする」
「かまぼこ? なると? ちくわ?」
「ちくわじゃないかな……赤はなかった、はず。うん……」
スーパーの冷蔵エリアでうんうん唸っていたお父さんの背を叩いたのは一時間前だ。そしてそれを思い出したのは、今もお父さんの背中を叩いたからだ。
今の私はというとJKと中年男性が立つには狭いキッチンにお父さんと横並びになりながら、仁王立ちをしているところだった。お父さんは相変わらずのもじゃもじゃメガネの格好で、青いポロシャツとズボンの癖にカフェエプロンなんて小洒落たものをつけて包丁を握りしめている。
「そんな持ち方でできると思ってるの? それ人刺しに行くやつだよ」
「料理したことないんだからしょうがないでしょ」
久しぶりの出番が来たまな板と包丁。我が家の台所の番人が最後に使って以来だから、数ヶ月ぶりとかそこらへん。そんなことを思っている中、お父さんは買ってきた野菜やちくわをシンクに広げつつ
「横から言うならマリが切ってよ」
「私は火を通す専門ですぅ。可愛い娘が手ぇ切ってもいいって言うの?」
「ああもう……わかったよ」
そういうとこ母さんに似てるね、という小言にはぷいっと聞こえないふり。そんなお母さんと結婚してラブラブだったのはお父さんじゃないと言ってやりたかったけど、今日の計画がおじゃんになるのは困るから黙っていることにした。
「じゃあマリは鍋出して」
「鍋ってどれ?」
「母さんがゴローって呼んでたやつ」
しゃがみ込んでコンロ下のドアを開ける。鼻についた線香の香りに気づかないフリをして、いくつかある中から赤くて大きな鍋を取り出した。
台所の番人だからと言い訳しつつ、もはやオタクと化していたお母さんのキッチン用品収集。一目惚れだったの、と我が家にやってきた鍋は「五番目だから五号機のゴロー」と呼ばれてお母さんの味をいつも守ってきた真面目なやつだ。お母さんが何度も磨いていた、不思議な高級感のある鍋。
「はい、ゴローの登場」
立ち上がってコンロの上に置く。その間まな板の上では軽い戦争が繰り広げられたらしい。そこには猫の手すら作れないお父さんが切った不恰好な野菜とちくわが、これまたごろごろと転がっていた。
「……クソ下手。お母さんに笑われてるよ」
「自分でやればよかったじゃん」
「やだよ」
冷蔵庫からバターを取り出して鍋の中へポトン。じゅわっという音と共に広がったそれを伸ばしながら、不恰好なにんじんとじゃがいもを投入した。……ちゃんと芽と皮は取れたようだから良しとしてやろう。
木べらで適当に野菜を炒める。もっと愛情を込めて、一箇所に固まらないように。そんなお母さんの小言が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。それでも時期的に来ているのかもしれないと、いい子ぶりたい私は丁寧な動作に切り替えた。
「ルーの箱貸して。次どうするの?」
「はい。ちくわじゃない?」
「それもそっか」
お父さんが言ったからちくわを投入。それからしばらく黙って炒め続けていれば、窓から差し込む痛い日差しやいろんな蝉の大合唱が気になってきて仕方がない。台所って暑いんだよ、とお母さんが言っていたのをようやく理解できた気がした。確かに、火と向き合ってる中このBGMと照明はクソ暑い。
計量カップで水を測り、投入してからしばらく煮立たせる。これであっているかお父さんに再三確認したカレールーを投入してしまったら、あとは機械的に混ぜていくだけ。
頭の中、母の笑い声が木霊する。高木家秘伝の味と言っていたあのカレーには隠し味とかがあったに違いない。だけれど、悲しいことに私もお父さんもそれに気づけなかったし聞かなかった。
私が家を出るまでは変わらず食べれると思ってたから。
ちょっと上の位置でお父さんが鼻を啜る音が聞こえる。私は聞こえないふりをして、ただ静かに鍋を掻き回し続けた。そんな中、どこからともなくやってきた線香の香りが小さなやりとりを頭の隅から引っ張り出す。
「あ」
「どうした?」
「……んーん、何でもない」
それは、お母さんと私の会話。ちくわカレーにしたら、お父さんがおいしい、ちくわ入れるなんて大発明じゃん! ってすごい喜んでくれたのって笑顔で報告してくれたこと。
私はただ静かに頭を振って、大喜びした癖にわすれていたお父さんに一発蹴りを入れてからカレーの成長を静かに見守る。
これがもし母の味に届かなくても、何度でも作ればいいと思えた。
だって、高木家秘伝の味は、受け継ぎたい。
ふたりっきり、味の証人 高戸優 @meroon1226
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