九之三十

 霊気の靄で形成された地面に、碧は着地した。

 と思った瞬間、脚が靄にめりこんだ。いや、地面がすでに瓦解していて、碧と碧に抱えられたあぐりは地上へ向けて落下していく。

「あ、碧どの」

 ふとあぐりが口をひらいた。

「お目覚めですか、あぐり様」

「うん……、なんかまだ夢のなかのようで、私は空から落ちているような気がするのじゃが……」

「もうちょっと、眠っていていただいたほうが、よろしかったようですね」

 ちょっと唸って、あぐりは碧の首に手をまわし、その手に力をこめた。

 冷や汗のつたう碧のえりもとを、突然何者かがつかんだ。たちまち落下速度が遅くなったようだ。

「おお、雷音かえ」

 あぐり姫の声に、碧がおそるおそる振り返ると、雷音が大きな口で着物の襟のあたりを噛んでいる。助かったことを喜ぶよりも、生地が破れないことをひたすら祈る碧であった。

 雷音は落下しながらも、横に駆けて、鶫と、続いて嵐をその背にのせた。

「ひい、助かった助かった」

 安堵しているのは嵐である。

 が、ゆっくりと安堵している暇はなさそうだ。

「おのれ、むしけらどもッ!」

 怒りを噴出させながら、マホシヒコが天之瓊矛あめのぬぼこを構えて追ってくる。

 雷音が落下にブレーキをかけながら落ちているのにくらべ、マホシヒコは落下速度に霊力での飛行速度をかけあわせて猛追してくる。

「天罰であるッ!」

 マホシヒコは槍を振り、霊力の矢を数発飛ばした。その青い稲妻のような閃光を、雷音は後ろに眼がついているかのごとく、左右に跳ねて躱す。

 さらに、マホシヒコは肉薄する。

 もう雷音の尻尾を、その穂先で切り飛ばせそうな距離だ。

 そして、皆が落ちていく諭鶴羽山頂もぐいぐいと眼前に迫ってくる。

 すると唐突に、嵐が雷音の背から飛んだ。

 意表をつかれてマホシヒコは、霊力で防御する間もなかった。

 嵐の飛び蹴りを槍で受け、衝撃でその槍を手放した。

 蹴られた槍は、皆よりもずっと上空へと舞いもどる。

 嵐は差し出された鶫の手をとって、ふたたび雷音の背にすわる。

 ほんの数瞬後――。

 雷音はぱたりと四つ足をならして、舞台のうえに着陸した。

 マホシヒコは舞台をぶちぬいてもとまらず、おそらく台下の地面に激突したであろう。

 三つ叉の槍はその穂先をしたに、台の東端に突き刺さった。

 その槍に、今までずっと夜空を見上げ状況を見守っていた鬼巌坊が走り寄った。

 しかし……。

 紺色の風がひゅっと吹きつけた。

「甘いんだよ、クソ坊主!」

 伸ばした雲水の手のひらより、一瞬はやく嵐が槍を引き抜いた。

「なんとっ!?」

 鬼巌坊は、そのいかつい顔を、驚愕の表情に変えた。

「このクソ坊主め、私に近づいて来た時に、なにか魂胆があるだろうとにらんでいたが、これが目当てだったか、クソ坊主」

「こりゃ、まいった」何度もクソ坊主とののしられながらも、鬼巌坊は苦く笑って、毛ののびた坊主頭をつるりとなでた。「槍を奪い、見抜けなかったのはおぬしの深慮のなさゆえ、そう云ってわらってやるつもりであったに。嵐よ、見なおしたぞ」

 云いながらも、鬼巌坊はすぐさま攻撃に出た。

 軟体動物のように、ゆらゆらと身体を右に左にゆすりながら、鬼巌坊は突きを連打してくる。

 嵐は、手に持った槍ではらい、受け、隙をみて足蹴りを出す。が、躱される。

 躱しながら鬼巌坊はくるりと這うように回転して、突き上げるような蹴りを放ってきた。

 蹴りは、槍の、穂の付け根にある物打ものうちにあたった。

 槍は嵐の手をはなれ上空高く、回転しながら飛んでいく。まるでついさっきのマホシヒコへの一撃を、反対に嵐が喰らったようなものであった。

 しかも、物打ちにつけられていた青色の魂魄石がはずれ、弧を描いて宙を舞った。

 嵐と鬼巌坊だけではない、碧も鶫も雷音も、そして碧に抱きかかえられたままのあぐりも、その青色の筋を描く石の軌道を眼で追った。

 驚いたのはあぐりであった。

 青色の魂魄石は、あぐり自身にむかって落下してくる。

 まるで、落下地点を、みずから選んだかのごとく……。

 石は、あぐりの額にあたり、しかし跳ね返らずにそのまま額に埋没していく。

 転瞬、あぐりが全身から青色の光を噴出させた。

 碧はその光の凄まじい圧力に、思わず彼女を抱いていた手をはなし、二、三歩退いてしまった。

 そうしてあぐりは、ふわりと浮きあがった。

 二、三尺ほどの高さでとまったあぐりは、眼を半眼にして、意識を失ったようすだった。

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