九之二
堺――。
商人の治める、かつては自由都市であった。
織田信長、豊臣秀吉と勢力下に組み込まれ、現在は徳川へと支配者を変え、その自由をじょじょに失ってしまう。でありながらも、町の人々の独立精神はいまだ健在であった。
大坂へと堺の豪商たちがある程度移住してしまっていたが、その大坂が今混乱の渦中にある以上、この堺の商業と情報の集積地としての役割が一時的にせよ回復していた。
碧は港周辺での聞き込みを終えて、
この宿に草鞋を脱いで、すでに五日あまりも経っている。
碧と嵐は紀の川沿いを西へ向かいながら一揆と行方不明の真田家のあぐり姫の情報を集めた。が、まるで手がかりがない。住人の多い和歌山城下でも同様で、せんかたなく堺まで脚を伸ばすかたちでここまでたどりついたのだった。
一揆の探索はあらかた終え、浅野のほうからもあとは勃発のタイミングさえつかめればよいと云ってきたので、あとのことは小吉に任せて、碧はあぐりの捜索に専念することにした。
藤林からは引き続きかすみを送り込んだものの調査を続けるように命令が届いていて、かすみの件とあぐりの件はひとつに繋がっているとみている碧にとっては好都合であった。
好都合といえば、浅野のほうからもあぐりを連れもどすように内々に密命を受けていた。浅野家は、監視していた真田家からはすでに左衛門佐を逃してしまっているという落ち度があるうえに、彼の娘まで行方しれずであることが発覚すれば、公儀(江戸幕府)からどのような叱責を受けるかわかったものではない。ので、早々にあぐり姫を見つけ出して欲しいようだ。
堺の町は、富める者の余裕とでもいおうか、街ぜんたいが文化の匂いをはなっているようであった。
それは旅籠の女中にまでおよんでいるようで、この近くの長屋に住んで通いで女中をしている十五のおきよでさえも、他の町の娘では感じられない、知性と良識を持っているようだ。
「今日はいかがでしたか」
足をそそぐおけの前に座って、おきよが訊いた。
「港のほうでいろいろと訊いてまわったのですが、なかなか」
上がり端に腰をおろして足を洗ってもらいながら、碧は答えた。碧は彼女に、さきの大坂の戦で行方知れずになった知人の娘をさがしている、と云ってあった。
足を撫でられるたびに、一日の疲れが流し落されるようなここちよさがする。宿の者はみな物腰が柔らかく、細かいところまで気の利く人たちで、ちょっと外出して戻ってくるだけで足を洗ってくれ、当初のなれないころはどうも面はゆいような心持ちがしたものだった。
「見つかるといいですね、そのお嬢さん」
「ええ」
「先日お教えしたお店にはいきましたか」
「お店?」
「はい、
そういえば、そんな話を耳にしたな、と碧は思った。呂宋助左衛門の輸入した砂糖がいまだに残っているものなのか、と眉につばをつける思いで聞いたのを思い出していた。呂宋助左衛門が活躍したのは碧が生まれる前のことだったはずだ。
「ごめんなさい、人探しに忙しくて」
「たまには息抜きしませんと、見つかる人も見つかりませんよ」
おきよはさわやかな笑顔をしてそう云った。
それはそうかもしれないと思いつつ、足を洗ってくれた礼を云って、碧は部屋に戻った。
二階の四畳半の日当たりのいい部屋で、窓を開けると四月の気だるい空気がゆっくりと流れこんできた。その窓からは、南側の店のおもての活気に満ちた町並みが爽快な眺めであった。
――考えが甘かった。
と碧はいささかくやんでいた。
人の流動の多いこの町なら、様々な情報が安易に手に入ると思い込んでいたが、得るべき情報からかえって遠ざかっているような気もする。こんなことなら、もっと紀の川河口辺りで捜索を続けるべきだったかもしれない。
脚を洗ってもらってさっぱりして、せっかくとれたと思っていた疲れがまたぶり返してくるようだった。徒労だったと思うと、脚の疲れに重みが増すようだった。
途方にくれる気分で窓枠に手をついて傾いた陽に照らされる通りを眺めていると、百姓姿の背の高い娘が、人並みをかきわけて走ってくるのが見えた。
嵐であった。
あのようすだと、足を洗うのもことわって駆けこんでくるに違いないと思っていると案の定、まばたきを数回する間に廊下を踏み鳴らす足音が聞こえ、けたたましく入り口の障子が開けられた。
「いた、見た人がいたっ!」
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