八之十四
庄屋
もう陽も落ちかけて、庭の隅にはいくつかの篝火が燃えていて、揺らぐ炎の明かりが、垢と土埃で汚れた黒い男たちの顔を、薄暗い空のしたに浮かびあがらせていた。
身を乗り出すように聞く者、真剣な眼差しの者、あまり乗り気ではなく鼻毛を抜いたりあくびをしたりする者、地主から水呑みまで、雑多な農民が集まっていた。
杉谷善珠一味の三人は庭のかどに散らばって警戒しているし、鶫と祥馬は母屋の縁の前に立って百姓たちの様子を眺めていた。ふたりは、もちろん、花神の配下ということで北村ともつなぎをつけてあった。
北村は沓脱石の上に立って、この一揆に参加する意義を説き、成功した後の報酬などで釣って、皆の意思を動かそうとしている。
話が終わると、参加表明をさっそくする者がいたり、迷う者もまるで関心のない者もいて、参加する者は演説を聞こうが聞くまいがはなっから参加する気だったし、興味のない者は演説の内容を理解する気がまるでなかったというふうであった。
しばらくして、鶫が前に出た。
子供のようにかわいらしい顔をして、小柄な身体に不釣り合いな豊満な胸を持つ娘を、数十のまなこが食い入るように見つめた。
「皆さんにおたずねしたいことがあります」
鶫が話をはじめると、北村の時よりもずっと真剣な眼をして皆が注目する。
「最近、この辺りで不審な、見なれない娘を見かけたかたはいないでしょうか。私と同じくらいの歳で、背丈はもうちょっと高くて、これといって特徴のない顔をした娘です」
ちょっとの間、皆が一斉に考え込んだようだった。
そうして、
「あの娘かな。ほら、九度山のほうから嫁に来たっちゅう」
「同じ娘かはわからんが、わしは誰ぞの親戚で手伝いに来てるって聞いた」
「ああ、おらも話した、たしかにこれといって特徴のない、ごく普通の……」
「見た見た、痩せても太ってもいない……」
「そうそう」
「おら、もっと背の高え女子だったと思うだが」
「そりゃあ、おめえがちっこいからじゃろ」
「そうかのう、器量もなかなかじゃったぞ」
口々にそう云った。
「その娘は」と鶫が云った。「この辺りをさぐりにきた徳川の隠密です。皆さんの動向をさぐって、浅野に報せ、一網打尽にする腹積もりなのです」
「なんじゃそりゃあ」
「虫も殺せないような顔をして、悪い女子じゃ」
「けしからん」
その空間が、いっせいに色めき立った。数十人が吐き出す息がいっぺんに空気を濁らせ、むせるようだった。
「その娘をとらえなくてはなりません」
鶫の眼が不気味に冷酷な光を宿している。
「捕らえた後の処分は、皆さんのお好きなように」
いくつかの生唾を飲み込む音が、篝火のはぜる音にまじって鶫の耳にきこえてきた。なにかふとどきな思いを頭に描いたようであった。
「どこに潜伏しているか、どなたかご存じではありませんか」
またいっせいに考え込んだ。
実際、居場所を知らない者が大半であったろう。
知っている者も、娘を自分の好きなようにしたいという欲望を持ちつつも、だからと云って、その娘がほんとうに隠密かどうかも確信はなく、咎人かどうかもわからぬ娘を売りとばすような行為にためらいがあるようだった。
「有力な情報をくださったかたには、いくばくかのお礼をさしあげます」
と云って、鶫は懐からとりだした包みを手のひらの上で広げた。数両の小判が、篝火の明かりに照らされて輝いている。
「おら、知ってる」
ひとりの男があっさりと口を割った。
「船戸の伊野っちゅう牢人の納屋に暮らしてるだ」
鶫の唇が、にやりとゆがんだ。
「どうも気に入らないね」
とつぶやいたのは、なりゆきを黙ってみていた善珠であった。いつのまにか、ふたりの子分が近くに寄っていた。
「やっぱり、あの爺さんの家にいたのは伊賀の嬢ちゃんだったようだね。けど花神一味は気にくわないね、気味が悪い」
「どうしやす?」ゼニヤスが問うた。
「どうもこうもありゃしないよ。私たちは一切関与しないよ。あの裏切り娘の好きにさせとくさ」
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