八之七
門から道へと出た碧たちは、垣根に隠れるようにして腰を落として走りだした。
が、腕部ばかりが異様に大きな人影が垣根を飛び越えて道をふさぐ。
ゼニヤスが自慢のからくり腕を道いっぱいに広げてとおせんぼをしている。
「伊賀のお嬢ちゃん、真田のお姫様、あきらめな。おいたがすぎるとお仕置きするぜ」
細くて貧相な見ためとはうらはらの、気取った声調で彼が云う。
ふたりと一匹が同時にきびすを返すところへ、門から巨体が飛びだした。今度は相撲取りのようなトロハチで、
「おとなしく、もといた場所に帰んな」
間延びした、しかし昼間の少女たちと接していた時とはまるで違う、厳しい声音であった。
垣根は低く、碧が立ちあがれば即座に善珠の弾丸が襲うであろう。
しかも、ライフル銃の銃声に眼をさました屋敷の者たちが庭に出てくるし、周辺の村人たちがぞろぞろと道に集まってくる。
まったく、袋のなかに追い詰められた鼠のような状況であった。
碧はあぐりを背と垣根の間にかばいつつ、左右から迫る強敵ふたりに交互に眼を走らせる。
善珠の威嚇で撃った弾が、碧の頭上を飛んで闇に消えていく。
――姫は置き去りに、まずは私だけが逃げるべきか……。
昼間の善珠のようすから察して、姫に手荒なことはしないだろう。
混迷する碧の頭のなかで、そんな発想が浮かんだが、すぐに打ち消した。もう鶫を見捨てた後のように苦しむのは嫌だ。
両側からのふたりの男たちが接近し、ふたりの手が、碧に届きそうなほど、すぐそこにあった。
と……、
「さがれい」
すぐ間近で、うなるような、まるで地響きのような男の声がする。
「さがれ、下郎ども」
碧も、あぐりも、ゼニヤスもトロハチも眼をまるくして、声の主をじいっと見つめた。
「しゃべった、のは、雷音かえ……」
喉からしぼりだすように、あぐりがつぶやく。
雷音は左右のふたりを威嚇するように、低くうなった。
そしてそのうなり声が高鳴るとともに、雷音の身体がにぶく光を放ち、じょじょに膨らんでくる。見る見る間に、二倍、三倍と膨れ上がり、やがて、前後八尺はあろうかというくらいの――まさにライオンのような大きさに巨大化した。
体毛の三毛模様はそのまま、眼はぎょろりと大きく見開かれ、口からは鋭い牙が見え、鋼をよりあわせたような四つの脚に、たくましく筋肉の盛り上がる胴体だ。
仔犬にしか見えなかった雷音が、首からはえたちぢれた毛をなびかせ、まさに獅子か狛犬のような姿に変貌を遂げた。
皆が唖然とその魔物を見た。
道に出てきた村人たちも、垣根の向こうの善珠たちも、あんぐりと口をあけて、吸いつけられたように雷音から眼がはなせないでいる。
が、意外にも最初に動いたのは、普段ぬぼうとしているトロハチであった。
その丸い巨体が、気合い声を発して機関車のような迫力で、雷音に飛びかかった。
しかし、直後に雷音から発せられた霊気の波動によって弾き飛ばされて、巨体が、あっけなく道に転がった。
「姫よ」雷音が云った。「我が背に乗れ、姫よ」
あぐりはうんと答えて、殃狗の背にまたがった。
「こ、このまま、私と碧どのを九度山の屋敷に連れて行っておくれ」
姫の懇願に、しかし、雷音はううむとうなって、
「それは、できぬのだ」
「どうして」
「姫、そなたは、俺に名前をくれた。ただの殃狗であった俺に、はじめて名前をつけてくれた。そして思いやり深くかわいがってくれた。それには感謝する。だが、主命には逆らえんのだ」
「なにを云っておるのじゃ」
「すまぬ、姫よ。俺とともに来てくれ」
「雷音?」
「あるじより先に、姫と出会いたかったものよ」
云って雷音は大地を蹴った。戸惑うあぐりを背に乗せたまま、いっきに二丈ばかりも飛びあがる。
それに善珠が反応した。
「ちくしょう、せっかく手に入れた掌中の珠!」
叫んで銃を撃つ。即座に弾を込めて、また撃つ。
「真田様に取り入る珠玉!」
だが、二発の弾丸は、雷音の霊気にはじかれる。
殃狗は、さらに続けて放たれる何発もの弾丸をまるで意に介さず、夜空を蹴り、駈けて行く。
集まるものたちがのけぞって夜空をみあげ、その姿を見送るなか、碧は一気に駆け出した。
あっ、とゼニヤスが気づいてロボットアームのパンチを繰り出すが、碧は跳んでかわして、村人たちの間を走り抜けて、去っていく殃狗の姿を追った。
「碧どの、碧どの!」
上空を走る殃狗の背から、小さく助けをもとめる声が地上に届く。
「あぐり様、あぐり様!」
碧は声をからして叫んだ。
されど、雷音の速度は碧よりもはるかに速く、追えども追えども差はひらくばかりであったが、それでも碧は脚をとめなかった。
消えゆく魔物の姿を懸命に追いかけ続ける。
西へ、西へと……。
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