六之十一
地鳴りのような鬨の声。遠く聞こえる鉄砲の音。大地を揺さぶる馬蹄の響き。人々の咆哮、悲鳴、怒号。
人々の命がむしけらのように潰されてゆく戦場の片隅で、碧は、膝をふるわせて立ち尽くしていた。
足軽の格好をして、藤堂軍の一兵卒として紛れ込んでいた。
陣笠を目深にかぶり、華奢な体型を陣羽織でごまかし、どうにか小柄な少年にみせている。
嵐は任務失敗となった場合にそなえて後方に待機させている。もっとも、不首尾となっても書簡だけは是が非でも持ち帰らねばならないが。
藤堂勢は、間者の内応によって城内に火の手があがるのを合図に谷町口の城門へと進行する予定であった。
そのどさくさに紛れて、城内に忍び込むのが碧の計画である。
夜に忍び込むことも考えたが、現状敵も夜の警戒を厳重にしている。かえって発見される可能性が高いとみた。
人影ひしめく軍勢のなかでは戦線全体の様子をうかがい知ることはできないが、惣構え東南の真田丸付近では凄まじい攻防が繰り返されていたが、どうも徳川方の前田軍や井伊軍が押されているらしい。
碧は、もう一刻以上も吐き気をこらえ、歯の根を鳴らし、槍を持つ手を震わせて立ち続けていた。
やがて、一条の煙が、城内から立ち昇った。
一斉に軍勢が、鎧兜を打ち鳴らし進撃を開始した。
藤堂勢ばかりでなく、東隣の松平忠直勢もいっせいに大坂城南面に向かって、大進軍をはじめる。
だが、この狼煙が罠であった。
豊臣軍は寄せ手を充分に引き付け、軍勢が惣掘(空堀)に入り込んだのを契機に、城内から鉄砲の雨を浴びせた。
それがやむと、門を開いて敵軍が突撃してくる。
寄せ手はたちまち混乱をきたした。
とくに、戦の経験のない松平勢はさんざんに蹴散らされ、鉄砲除けの竹束も鉄盾もほうりだして潰走するありさまであった。
だが、藤堂軍は戦馴れしている。関ヶ原以来の十余年のブランクを感じさせない落ち着きをみせた。
矢弾を仕寄り盾でふせぎつつ、じりじりと後退をしていくのだった。
追撃の敵軍が迫った。
盾兵がさっとさがり、長槍隊が押し出す。
人馬が目前に迫る。
碧も周りの雑兵にあわせて長槍を振った。さすがに歳若い女の碧には重い。槍を振り回すというより、槍に振り回されている感覚であった。
「なにをしている下手糞!」
後ろから碧に向けて罵声が飛んだ。
「槍を振り回すな、上からたたけ!」
はじかれるように彼女は槍の軌道をかえた。
その長槍隊の攻撃に、相手の人馬がちょっとひるんだ。
「よし、さがれ!」
組頭の号令で皆がどっと後方へ駆け出す。
碧はもう、任務のことなど忘れそうであった。ただ生き延びるので精一杯で他の事はなにも考えられない。
ふたたび、敵軍が隊の背後に迫った。
碧たちの頭を飛び越して、矢が飛び交い、空を黒く覆い尽くす。
その一本が隣の歳若い足軽の頭頂に突き刺さり、声もなく倒れ伏した。若者の遺骸は誰に認識されることもなく、あとから駆け戻る同勢が踏みつけて行く。
「槍隊とまれ!」
槍兵がくるりと反転して、また長槍をばたばたと地面に叩きつけた。
だが、今度はその隙間を抜けて、騎馬武者が数騎突入してくる。槍襖に錐で開けられたような一穴を押し広げるように、豊臣軍が寄せてきた。
人馬が入り乱れる。混戦である。
皆、長槍を捨てて刀を手にして、応戦する。
周囲で怒号と悲鳴があがり、敵も味方ももがき苦しみながらな息絶えてゆく。
もはや、誰が敵で誰が味方かもわからない。
ただ、自分に向けて攻撃してくる者を敵と定めて斬りあうだけであった。
碧は、むやみやたらに刀を振り回してくる雑兵の攻撃を、忍刀で弾き、躱し、戦場を逃げ回っていた。
――もう人は斬りたくない。
この一心であった。
あの、志摩のガレオン船で朋輩を斬った感触が、いまだに彼女を苦しめ続けていた。
味方の背から背へ、見え隠れに姿を移し、いつしか彼女は敵勢のなかへ没し、何食わぬ顔で、(見せかけではあったが)藤堂勢に対して刀を振り回していた。
そして、退却する豊臣軍に紛れて、城内へと入り込んだのだった。
うかうかと軍中にとどまれば、また出撃せざるをえなくなる。
惣堀うちのこのあたりは、もともと民家が少ないうえに、陣立ての邪魔になる建物は打ち壊されていて、身を隠すような場所がなかなかみつからない。
彼女は陣所や足軽用の陣小屋の影をつたい、雑木の間を三町ほども進んで、やっと見つけた町屋のその一角へと身を隠した。
隠れはしたものの、しかし、そこから身動きがとれなくなった。
将兵たちがあわただしく行きかっていて、下手にみつかれば、敵のスパイとしてではなく、敵前逃亡として斬り倒されかねない。
書簡を本丸まで侵入して直接豊臣秀頼に届けるのは不可能だ。
それよりも、豊臣家総裁である大野修理に届けるのが妥当であろう。
幸い、彼の軍の陣所が眼と鼻の先にある。
頃合いを見計らって、乗り込むしかない。
碧は寒気のする身体を抱くようにして、垣根に寄り添って咲く寒椿と椎の木の間に身を寄せたのだった。
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