五之十三(第五章完)
突如――。
エミリオの頭上に雷光が走った。
彼は瞬時に察して横に飛んで避ける。
落雷は轟音とともに社の前の境内を黒く焦がす。
続けて第二第三の雷が彼を目掛けて
すべての閃光を躱したものの、彼の手の炎はいつか消失していた。
境内の隅に追いやられたエミリオは忙しく眼を走らせた。
石段の下から、灰色の人影が、悠揚として境内に登ってくる。
「そこまでじゃ」
人影――果心居士の声はしわがれた老人の声であったが、誰にも反駁を許さない毅然とした響きを含ませていた。
エミリオは、老人を凝視した。
居士は地面を藜の杖でこつりとついて、
「帰って恭之介に伝えい。その素っ首綺麗に洗って待っておれ、とな」
何を思うのか、バテレン神父はフードの内でにやりと笑みを浮かべた。
そうして居士を寸時みつめたあと、マントをひらりと翻すと、霧散霧消、まさに黒い霧となって姿を消したのだった。
果心居士は鼻をひとつ鳴らすと、嵐に歩み寄る。
「まったく、後先考えもせんと、暴れほうだい暴れおってからに」
そうして、野武士の死体を見やると、
「貴重な検体を何匹も殺してしまいおって」
まあ良いわえ、などと云いながらしゃがみ込むと、上半身の四散した屍に手をのばし、なかば飛び出しかけている臓物の中から、寄腔蟲をつまみだした。
五寸ほどの芋虫のような身体をくねらせ、白い体表に粘液をまとわりつかせ、細長い何本もの脚を不気味に蠢かしながら住処から引きずり出された蟲を、居士はちょっと観察していたが、すぐにどこかから手に入れてきた腰の
居士が顔の横でそれを振ると、酒だか水だかが入っているのか、ちゃぷちゃぷと音をたてた。
「死なねばよいがのう。後でじっくり観察しようわえ」
瓢箪を腰にぶら下げると、嵐を見て、
「じゃあ、帰るぞ。村人は放っておいてよいじゃろう、そのうち眼も覚めようで。……いや、待て」
と居士は何か悪だくみを思いついたような、悪意の滲んだ笑みを浮かべた。
「ひとつ、面白い座興を思いついたぞ。そこの鳥居の辺りに、逃げ出した鶏が一羽おった。ほかのはこいつらが生で喰ってしまったようじゃがの。お前、ひとっぱしり行って、その鶏を絞めてこい。で、血をたらいに入れて持ってこい。いいつけを守らなんだ罰じゃ」
肉はわしらの晩飯にするで捨てるでないぞ、と命じる果心居士の意図を解しかねたが、嵐は云われるがまま指示に従った。
云われた通りに鶏の血を持ってくると、居士はその悪だくみをせっせと整え、それが済むと、すたすたと境内を出て行ってしまうのだった。
嵐も後に続く。その歩みはどこか浮き浮きと、楽し気な足どりであった。
村人たちが眼を覚ましたのは、翌朝、霧の立ち込める払暁のころであった。
彼らはほとんど同時に起き上がり、村人ほぼ全員がなぜ神社の境内に集まって倒れていたのか、一様に不審がった。
なかの老人がひとり、社の扉が開いているのを怪しんで、中をのぞき、立ち込める霧を吹き飛ばしそうなほどの叫声をあげた。
村人たちは、一斉に社の前に集まり、中をのぞきこんだ。そうして、皆が悲鳴をあげた。腰を抜かした。
社の壁や床には、一面、もう乾いて黒々とした血のようなもので、
――たたりをおそれぬ愚か者どもが。お前たちは、わしが留守にしているにもかかわらず、欲望を満たすために生け贄にかこつけて娘を辱めた。じつにけしからんことである。よって、罰をあたえた。もし今後おなじようなことを繰り返すなら、再びわしは舞いもどり、今回よりももっと厳しい罰を下すであろう。
こんなようなことが、田舎の百姓にもわかるような簡単な文章で、しかし血の滴るおどろおどろしい文字で、書きなぐられていたのであった。
しかも最後に、
――おんまえんら
などと署名まで書き添えられていたのだった。
大久保彦左衛門は、床几を蹴り倒すように立ち上がった。
「なんだと!?」
怒気が腹から飛び出したような大声が、陣幕にこだまするように轟いた。
報告に来た兵士が、まるで自分が怒られでもしたように、身体をひいて後ずさりした。
まわりにいる床几に腰かけて雑談をしていた朋輩たちが、いっせいにこちらに顔を向ける。
「あのじじい、戻って来たとはどういう料簡だ!」
迷惑そうに見やる一同の視線をあびながらも、まるでものともせずに彦左衛門は陣営を飛び出した。
赫怒に顔を染め、憤激に身を焦がし、今回もはち切れそうにふくらんだ青筋をこめかみに浮かびあがらせ、老武士は茶臼山の頂上に組まれた櫓のもとへと地響き立てながら急いだ。
いた。
平然とした顔で果心居士が岩に腰かけ景色を眺めて、その傍らには、あの背の高い小娘もいる。
「おいじじいっ、誰が帰ってきていいと云った!」
その大坂城内まで届きそうな怒声を、居士はまるで聞こえていない様子で眉ひとつ動かさない。
しかし、嵐は首をまわして彦左衛門を見やった。
口もとに、得意そうな笑みをにっと浮かべて。
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