挿話 真田問答

挿話之一

 大坂城は城塞都市であった。

 数キロ四方を惣構えで囲い、その中へ人流の渦巻く大都市を、まるまる取り込んでいる。このような形式の城を稀有総代な構想のもとに築城したのは、大坂城の前には北条氏の小田原城くらいなものである。もっとも、小田原城の場合は数十年ものの期間をかけて、いわば増改築を繰り返したようなものであり、当初の設計段階から城塞都市を目指した大坂城とはいささかその設計思想を異にする。

 その大坂城内から、戦に備えて退避した住人は数えきれないが、反対に城内に残留した人々もまた数えきれない。

 猿飛佐助がその男を見かけたのは、まったくの偶然であった。

 彼は、平野口に建築中の出丸の視察を終えて真田幸村にあてがわれた屋敷に報告に戻る途次で、街では、商人たちが雑兵、侍の別なく物売りに精を出していた。昨今、大坂方に召し抱えられた者たちは、ほとんど着の身着のまま、転がり込むように入城してきた者たちばかりで、配られた支度金は当然日用雑貨から生活必需品、もちろん甲冑や刀、槍等の戦支度に使われる。

 需要があるのだからに商売をしないてはない。手をこまねいていては商人の名折れだ。

 戦などという自らの命にも関わる騒乱さえもビジネスチャンスと捉えて、実際に商いを敢行しているのだから、大坂の商人というのは商魂たくましいもんだと、佐助には思えてならないのであった。

 そんな人と人とが折り重なるようにひしめく雑踏の中に……。

「あの時の雲水ではないのか?」

 道端で足軽と商人が、買えの買わないのと押し問答しているのを、興味深げに見物しながら、直綴じきとつ姿の、いわおのような体躯の、四角い顔をした坊主が道を横切っていく。

 九度山で、霧の中、二三言葉を交わして、数合やりあっただけであったが、あの体格である。見間違うはずもない。

 ――たしか鬼巌坊と云ったか。

 なぜ大坂城内にいるのか。

 もちろん、彼ら一党に煮え湯を飲まされた腹立たしさもあったが、忍としての義務感と、いくばくかの好奇心に突き動かされて、佐助は雲水をつけてみようという気になった。

 辺りは人いきれが充満している。舞い上がる砂埃、人が行動するに合わせて生み出される塵芥。汚濁した空気と視界を埋め尽くす人混みに紛れてすぐに見失いそうになる坊主の背を、彼は追った。

 幸いなことに陽が釣瓶落としに落ちていき、街はどんどん暮色がおおい始めていた。

 雲水は自分がつけられているとはまるで思わぬ気振りで、まったくの警戒心もその後姿からは感じさせず、ずんずん歩を進めて行く。

 途中何度か町かどを折れる。どうやら北西の方向を目指しているようだ。

 提灯に灯りを入れている飯屋の親父に、景気はどうだね、などと気軽に声をかけたり、袖を引いて誘いかける客引き女に、今日は用事があるからだめだ、今度ゆっくり相手してやるからな、などと楽しげにやりとりを交わし、やがて街を抜け、坊主はとうとう三の丸へと入っていった。

 三の丸にも軍隊が陣を張っていた。

 その中を、鬼巌坊は平然と通り過ぎていくし、雑兵たちもとがめだてするどころか、もう顔なじみになっているようで、気軽に手をふったり声をかけあったりしている。

 このまま三の丸を通り過ぎるようなら、その先にあるのは、

 ――西の丸?

 くらいしかない。

 案の定、外堀を渡って大手門をくぐり過ぎ、その足は北へ進路をとった。もう庶民のおいそれと近づけない区域に入っているというのに、泰然として臆する様子などまるでない。

 その影は長大な塀を持つ屋敷の門の前で立ちどまって、門番とやりとりをしている。

 ――ここは……。

 大野修理大夫治長おおの しゅりだいふ はるながの屋敷であった。

 佐助は迷わなかった。

 さっと左右を見回して人目がないことを確認すると、平然とその塀を乗り越えてしまった。

 大野家の屋敷は広大で、居住している家臣たちも多く、もはや、ひとつの町と云っても大仰な物言いにはならないだろう。

 逆に云えば、変にこそこそと隠密行動をしなくとも、何気ない態度で歩いていれば、誰からも見とがめられることもないのである。

 げんに数人の侍とすれ違ったが、不審に思われた様子はない。

 門を入ってきた鬼巌坊を見つけるとさらに後をつけた。

 雲水は、治長の邸宅を横目に北へ、家臣たちの住む長屋が並ぶ一角を過ぎ、庭園を横切って、さほど大きくはないが、風格のある建物に入っていった。その家は、塀で囲われていたし、小さいながらも門もしつらえてあるし、それなりの身分の者が居住しているであろうと思われた。

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