三之十五

 繰り出される拳、受け流す手のひら。

 ふたりの手と手が交差するたびに、霧の中に波紋が放射され、風船がはじけるような破裂音があたりに響くのだった。

 嵐が正拳突きを打つ。鬼巌坊が手のひらで嵐の拳を受け流す。

 鬼巌坊がくるりと回転し、その勢いを乗せて真っすぐに突きを出す。

 嵐は左腕で受け流し、カウンターの右腕を放つ。

 鬼巌坊は、筋骨たくましいその身体からは想像できないほどの柔軟性で、後ろに上半身をそらし、嵐の突きを顎の先すれすれで躱した。そしてその不自然な体勢から、右脚を蹴りあげる。

 嵐は後ろに跳躍する。

 身体を起こした鬼巌坊は、その眼を、心底驚倒したとでもいうように、大きく見開いていた。

「こいつはびっくりだ」破戒僧のその顔は、しかし、爽快なほどの笑みを浮かべていた。「三日会わずば刮目せねばならぬのは男子ばかりではないな」

 嵐は、先のみぞおちに喰らった一撃から、この鬼巌坊が、ただ肉体的な強靭さから、凄まじい打撃を放ったわけではないことを悟っていた。

 それはつまり、体内のエネルギーを打撃とともに、手や足から放出させ、壮絶な破壊力を得ていたのだと、嵐は野性的な勘をもって看破したのであった。

 ――ならば……。

 頭を使うのが、大の苦手な嵐は、生まれてこのかた使ったことがないほどの脳回路を全開に働かせた。果心居士のもとで修業を積みながら、ずっと考え続けたのだった。そしてやがて、おぼろげながら結論が浮かびあがってきた。

 自分も同じように、体内からエネルギーを放出すればいい。そうすれば打撃の破壊力が増大するのはもちろん、相手と同種の――、つまり果心居士が云うところの、旋律の律動を相手と同調させれば、鬼巌坊の凄まじい攻撃すらいなし、はじくことができるだろう。

 そして嵐は、彼女が本来持っていた格闘センスも相まって、新たなる力を身に付けた。魂心体の旋律の律動を、拳に集中させて放つ、

「律動拳!」

 嵐は得意満面で、命名センスのまるでない技名を叫ぶ。

「律動拳?」

 おうむ返しにつぶやいた鬼巌坊は、戸惑った。

 ――言葉の意味が、まったくわからぬ……。

 彼は、長年修行を積み重ねる中で、体内に流れる「氣」を操るすべを身に付けた。普段、全身にまんべんなく、しかし散漫として満ちている生命の氣脈を操り、打撃とともに一点に集中させて打ち出す技であった。彼女の云う律動とは、彼の云う氣と同種の意味あいであろうが……。

 鬼巌坊が十数年かけて身に付けたその氣脈操作術を、この歳若い女忍者は、果心居士の指導があったからではあろうが、たった十数日で会得しているのだ。

 彼は、ある意味でプライドがずたずたに引き裂かれた気分であった。

 しかし、鬼巌坊は笑った。哄笑した。

「な、なにがおかしい、糞坊主」

「これが笑わずにいられようか」

 鬼巌坊は、満面に喜色を浮かべ、云うのだった。

「これほど素晴らしい才能を持つ相手と巡り会えたのだ」

 そして、彼は、背を立て、腕をくるりと回して、ふたたび戦闘体勢の構えをとった。

「久しぶりに本気で闘える相手と巡り会えたのだ」

 好敵手を得た喜びに、彼は声を震わせて云うのだった。

 嵐も構える。その顔は、鬼巌坊とそっくりな喜色を浮かべていた。


 全身を覆い尽くすほど絡みついていた触手の、締め付けていた力が、ふと緩んだ気がした。

 鶫は、気持ちを落ち着かせ、旋律の律動を整える。

 そして、絡みつく触手の持つ律動に反する種類の律動を、接触面に流す。

 その各所から、破裂音とともに波紋が放出され、触手の緊縛を解いていく。

 それは、碧がやったものと同一の技であり、各務の意識が鶫に向いている隙に碧がそれを使い、碧に意識が向いた瞬間、鶫が使ったわけである。そして、その技は、嵐が鬼巌坊との対決で使っている律動拳とも同種の物であった。

 別段三人が話し合ってその技を開発したわけではないが、果心居士の修行の中で各々が、偶然からか必然からか、同じ技を同時に身に付ける結果に至ったのであった。

 鶫は、まだ自分の周辺でうごめく触手の中から這いずるように抜け出して、川に向かって走った。

 崖の端から川をのぞく。

 するとそこには、あぐり姫だけではない、みっつの影が揺らめいている。そして、そのひとつは、霧を裂くような光芒を放つ炎の剣を閃かしてした。

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