二之十(第二章完)

「よかろう」

 嵐の健気な懇願に、この老人にはめずらしく、妙にはっきりと応諾した。

「伊賀崎の、おぬしは明日から滝に打たれて来い」

「はい」嵐は寝ころんだままであったが、気合の乗った返事をした。

「城戸の、おぬしはこの数日、こっそりと滝に打たれておったの」

 居士の言葉にえっ、と鶫をみたのは碧と嵐であった。ふたりの知らぬ間に、居士にも黙って、鶫は勝手に滝行をしていたらしい。そのふたりの視線に、鶫は照れたように苦い笑みを浮かべた。

「もうそれはよい、藤林にかわって、山野を駆け巡って霊気の律動を身体に定着させろ」

「はい」鶫はあくまで静かに返事をする。

「藤林の」

「はい」

「おぬしはふたりに変わって雑用をせい。あいた時間は座禅せい。おぬしはまだ心の波長が整っておらぬ。魂、心、身体、みっつの波長を同期させて初めてお前自身の真の力を発揮できるのじゃ。そうしてやっと暁星の真の力を引き出せるのじゃ。これは藤林だけではない、伊賀崎と城戸も魂魄石を扱わぬとはいえ魂心体こんしんたいの律動を整えておけば、そんじょそこらの妖鬼程度、いや、恭之介にも、今日の浮浪坊主にも、志摩で出会ったというバテレンにも、負けることなどあるまいて」

「はい」三人がほがらかに、決意に満ちた返事をした。

 そして、三者三様に修行を重ね、日々がすぎた。

 少女たちが旋律の律動なる意味のわからない言葉を体感として理解した時、もう月がかわって十月にはいっていた。

 高地にある果心居士の庵は、はや歳寒の冷を感じさせる朝夕の大気につつまれていた。

 そんな、身震いするような早朝、薄霧の中を、藤林からの伝令がやってきた。

 連絡に来たのは、藤林の家人けにんで卯之助という男で、忍としては技量が伸びず大成しなかったが、脚の速いのと記憶力が良いのとで、連絡係として藤林長門が重宝している青年だった。

「碧様、頭領からすぐに帰るように、とのお言伝です」

 縁側の前に膝をついて卯之助が云うのへ、碧は、

「では、花神恭之介の行方がつかめたのですか」

 勢い込んで訊いた。

「いえ、そうではなく別の任務のようです。くわしくは私も存じませんので、ご帰宅のうえ、お訊きのほどを」

「わかりました」

 高揚が削がれたような気持ちになって、碧は残念そうに答えた。

 短い応対が終わると、卯之助は霧の中へ溶けるように消えていった。

「かまいませんか、お師匠」

 碧は炉端に戻ると、熾火の温かさが身体の芯まで染み込むような気持ちよさであった。そこに座って、囲炉裏の向こうで朝粥をすすっている果心居士に伺いを立てた。

「ああ、かまわんよ」

 居士はそっけなく云った。

「ただ、本当は仕上げになにか実戦で締めておきたかったが……、まあよいわ。いきなり強敵と闘うでないぞ。雑魚で、いや、ほどほどの妖鬼でもみつけて旋律の律動を確かめるのじゃ、よいな」

「はい」碧は額が床につくきそうなほど、深々と低頭した。

「魂心体の律動、かならず完璧に修得してみせます」鶫が静かに頭をさげる。

「恭之介の首、かならず見せてやるからな、それまで死ぬんじゃないぞ」嵐はさきのしおらしさはどこへやら、頭もさげずに笑っている。

「恭之介が、魂魄石を集めて何をしようと企んでいるのかは、わしにもわからん。ただ、魂魄石に秘められた霊力は膨大だ。そんなものを数個集めれば、どれほどの尋常ならざる力を得られるか、まるで計り知れぬ。もっとも、それほどの霊力を、彼奴が操れたとしての話じゃがの。おぬしたちはとにかくその暁星丸、いやその柄に埋め込まれた魂魄石を守り抜け、是が非でも、な」

「はいっ」

 三人はあわせたように、元気横溢、凛とした声を放った。

 そして三人、朝霧も消えないうちに、庵を発っていった。

「さてさて、どうなることやら」

 囲炉裏のわきから動かずに少女たちを見送った果心居士は、しかし、なにか嬉し気につぶやくのだった。

 ほんの短期間で弟子たちを飛躍的に成長させることができた満足感なのか、それとも、不肖の弟子花神恭之介を誅戮ちゅうりくする手段を掌裡しょうりに握った喜びか……。

 山羊の鳴き声が、どこか寂しそうな余韻を引いて、庵のなかにまで響いている。

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