一之十三

 碧たちが小舟で岸にたどりついて、後ろを振り返ると、蒼紫の炎は巨大な船体を覆い尽くすように、燃え広がっていた。

 なぜか煙のようなものは立ち昇っていなかった。

 エミリオと名乗った神父は云った。

 ――その炎は、全てを燃やし尽くすまで絶対に消えることはない。炭になり、灰になっても消えない。物質が完全に無に帰すまで消えないのだ。

 まさか塵煙すら燃やし尽くすとでも云うのだろうか。

 陽はもうずいぶん高く昇って、空は青く澄んでいた。

 その空を背景に紫の炎が船を焼いていく。帆が焼け落ち、マストが軋みをあげて倒れる。彼女たちの仲間の遺体も、そこに残してきた碧の無念も、すべてを焼き尽くしていく。

 その向こうに広がる天空は、残酷なまでに青い。


「なんだ、もう帰るのか」

 報告を終わって、かちで里へ戻ろうとする碧たちに、九鬼家の中年の侍が声をかけた。

 碧はただ、ええ、とだけ答えた。

「だったら、俺たちの馬を使え」

 優しさからか、いたわりからか、侍は提案してくれた。

 他の若い侍たちは不満そうだった。それはそうだろう、彼らは鳥羽の城下まで歩いて帰らなばならないことになってしまうのだから。

 じろりと中年の侍がにらむと、彼らは首をすくめてちょっと後退りする。

「いえ、それでは申し訳ないので」

 碧が断ろうとすると、

「いや、気にせんでくれ。向こうに着いたらすぐに使いの者に返しにこさせてくれればいい。どうせ俺たちは、あれが燃え尽きるまで、見張っていなくちゃならんのだからな」

 碧はちらと燃える南蛮船を見やった。

 侍の云う通り、そんなに早く燃え尽きるようすはなかった。

 碧たちは後に知るのだが、この船を焼く炎は、この後三日三晩燃え続けた。海上の船体を焼き尽くしても炎は消えず、海水の中でも燃え続けたという。そして、船のかけらすらもなくなって、やっと消えたのだった。

「では、お言葉に甘えて」


 そして陽が傾き出したころに、彼女たちは津の屋敷に到着していた。

 小杉平兵衛がねぎらいの言葉と、風呂を用意してくれた。

 ここでも言葉に甘えて、三人は素直に風呂につかるのだった。

 この屋敷の風呂は大きいので、浴槽に三人並んで浸かってもまだ余裕があるほどだ。

 三人は、ずっと無言だった。

 馬を走らせている道中も、屋敷に到着してからも、一言も言葉を交わさなかった。

 彼女たちが心ならずも殺めることとなった同郷の者たちのことが、頭から離れることはなかったし、嵐と鶫は、許婚の行方がいまだにつかめない碧に気を使ってもいたのだった。しかもその許婚である花神恭之介は伊賀を、少なくとも藤林衆を裏切った可能性があるのである。

 天井から水滴がしたたり落ちて、碧の頭にぽつりと落ちた。その冷たい雫にはっとしたものの、またすぐに、彼女は思考の闇の中に、沈殿していったのだった。

「ああ、辛気くせえ」

 しばらくして嵐がやっと口を開いた。ぽつりと。

「なんか、気晴らしにやろうぜ」

「なんかってなによ」鶫がつっけんどんに言葉を反す。

「そりゃあ、おまえ……、なんかだよ」

「まったく、考えをまとめてから発言しなさいよ。結論ぐらいさきに用意しときなさい」

「いやいや、あたしは皆でそれを考えようと話を振ったんだよ。それを、あげあしとるようなこと云いやがって。根性捻じ曲がっているんとちがうか」

「ふん、あんたほど捻じれてないわ」

自分を挟んでで争い始めたふたりに割って入るように、碧はくすりと笑った。

「そうね」と無理に話をもとに戻し、「なにかしたいけど」

「なにも思い浮かばないわね」鶫が残念そうに言葉を受けた。

「そんなもんかね」嵐がつぶやく。

「そんなものよね、気持ちがふさがっていると、えてして妙案は浮かばないのよ」碧は云って首を振った。

「気分転換をしようにも、その気分転換の方法すら思いつかない、か」鶫が溜め息まじりに云う。

「このままじゃあ、気が滅入っちまうよな」嵐も溜め息をまじえて云う。

「ちょっとここで休んだら、里に帰って、ご飯食べて、寝て」少しでも気持ちをやわらげようと、碧は無理に笑みを浮かべる。

「そうね、明日になれば、ちょっとは気持ちも落ちつくかもね」鶫が結論づけた。

「やっぱり眠るのがいちばんかねえ」嵐は納得したのかしていないのか。

 それで会話が終わってしまった。

 彼女たちは、また無言で、湯船にしたたり落ちる水滴の音を聞きながら、その波紋をただ見つめたり、天井を仰ぎ見たり、壁の羽目板の節を数えたりしていたのだった。

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