第12話 「猫ちゃん」
それからというもの、猫ちゃんは僕らを観察するため、よく家に訪れた。
専用のお箸やお茶碗までばあちゃんが用意してくれるほど。
ばあちゃんと僕だけだった辛気臭い家に、他人が、ましてやこんな若い女性が足を踏み入れるなんて不思議な気分。ふすま戸の貧乏臭いすきま風でさえ、ショートヘアを揺らした香りで爽やかな風に変える。
それにしてもこの人、よく笑うな。チビと猫ちゃんがいると賑やかになるな。
子どもと一緒に住むのなんて面倒くさいな、って最初そう思ってたけど、これはこれで悪くないかもな。
”小さな僕”が猫ちゃんにキャッキャと甘える様子がなんか気になった。
けど、じろじろ見るのは良くないよな。バレると恥ずかしいから、点いていないテレビの画面ガラスに反射して映る姿をチラ見する。
チビがくらいついて離れない。お前、僕自身のくせに。誤解されるだろ。
いくら子どもだからって、猫ちゃんに甘えすぎだろ。こら、もうちょっと離れろって。くそ、ガラスの反射だと見えにくいな…。
「ゆうちゃん、テレビ点いとらへんのに、なんで見とんの」
ばあちゃんの声で皆は笑った。
猫ちゃんと目が合って、バツが悪くて愛想笑い。
だけど、皆で笑っているこの時間、好きだなって思った。
猫ちゃんも、そう思ってくれるかな。
昼食をすませトイレに行こうとしたら、庭の下駄をひっかけた猫ちゃんが植木の葉を指先でいじりながら電話をしているのに気が付いた。
相手は上司の犬巻だろうか。感情的に何かを訴えているようで、
「このままでいいんでしょうか。私にはそう思えません。話をさせてください…。」
この前と一緒だ。一体なにがあるというのだろう。
通話を終える気配に誘われて、
「大丈夫ですか?」と思わず言葉が口をついて出ていた。
振り向く彼女。その真っ直ぐな瞳に、ひるんで後ろめたくなった。いえ、こっそり聞いていたわけじゃないんです。すみません。
「ええ」
メガネの涙をぬぐいつつも、自然に振舞おうとする猫ちゃん。いつものような柔らかい微笑がちょっぴり寂しそうだった。
なにか良くないことのような気がして、
「よかったら…」
「はい?」
「…あの、聞かせてもらえませんか。」
「え?」
「よかったらで…ですよ、よかったらで…あ、いやならいいんです…でも、よかったら。」
モジモジする僕の姿が可笑しかったのか、少し表情が和らいだ。
「もう、だいじょうぶです。ごめんなさい。それにしても…」
話題を変えられた。
「それにしても?」
「よかったですね」
「え?」
「…ユタカさんと、おチビちゃん、すっかり仲良くなりましたね。」
「そうですかね。」
「本物の兄弟みたい。」
「本人同士ですけどね。」
「あは、そうでした。」
「時々、小憎たらしいですけどね。それなりに楽しくやってます。」
「ですね。私も楽しいです。」かみしめるように言った。
「ですね。」
「ずっとこうしていたいなぁ。」空へ向かって無邪気に背伸びをした。
ずっとこうしていたい…。
ちょっと引っ掛かった。深い意味はないのかもしれないけど。
踏み込むのもいけない気がして、僕が精一杯絞り出した言葉は、情けない相槌だった。
「…ですね。」
気まぐれに吹いた風が肩までの髪を揺らし、振り向いた猫ちゃんは僕に優しく微笑んだ。
(つづく)
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