第9話 「夏休み!」

気が付いたら、小学校は夏休み。


長い梅雨が夏の訪れに気づかなかったらしく、2,3日憂鬱な雨を居座わらせたが、やがて夏が慌てたように、猛烈な暑さで街を襲った。


空の青がまぶしい。チビの元々まぶしそうな顔も、一層くしゃくしゃになった。




”小さな僕”と、奇妙な同居が始まって3か月。


自分同士のくせに極端に人見知りだった2人。いつの間にかおしゃべりが増え、家の中はにぎやかになっていた。




好奇心旺盛なお年頃らしく、


「なんで空は青いの?」


「なんでパンダは白黒なの?」


とずっと聞いてくる。


なかなかうまく説明できない。テキトーな言葉でおさめても、腑に落ちてくれない。それはそれでいい。自分から話すようになれたのなら。




チビとの夏休みは、とにかく遊んだ。大学も休み、フットサルサークルも就活がうまくいかなくて疎遠になった。なので時間はある。


父ちゃんに遊んでもらったように、チビにもできるだけ同じように接してみようと思った。僕がしてもらって嬉しかったことは、コイツも嬉しいに違いない。なにせ僕自身だから。


思えば、チビのためのつもりだったのに、僕にとっても良かったのかもしれない。しばらく忘れていた子供っぽい遊びが、僕のオトナの硬い殻をほぐしてくれる気がした。あとで思えば、人生で一番楽しい時間だったと言ってもいい。






時には、


ばあちゃんの物干しざおの先に虫取り網を括りつけて、近くの神社で蝉捕りをした。




父がよく連れてきてくれた境内。石畳を踏むと、頭上の木々から一斉に蝉の声が降り注ぐ。ひんやりとした空気に深い緑葉の匂いが溶けている。


一番高いところ、木漏れ日に透かしてブローチのような黒いシルエットを見つけた。茶褐色の羽が透ける…アブラゼミだ。




チビといたずらな目線を交わし、身を屈めて忍び足で木の根元へ。獲物は油断して樹液を味わっている。狙いをつけて高みに網で忍び寄る。竿の重みに腕が小刻みに震え、先端の網が大きく揺れる。うっかり葉に触れた振動で気づかれてしまわないよう、迷路のような枝の隙間をすり抜け、上へ、上へ…。気づくなよ、気づくなよ。




あ…鼻がムズムズする。太陽が目に飛び込んでクシャミがでそう。チビも鼻をムズムズさせている。こんな時にシンクロしないでよ。ダメ。今はダメ。目で制すると、うん、と鼻をつまむ。




息をひそめ、蝉の高さまで忍び寄る。獲物の背後で、網が無言でぱっくり大きな口を開けている。いよいよだ。チビを目を合わせ、息を合わせて、せーの、と素早く幹に叩きつけようとしたその瞬間、鼻がムズムズ…




「へえっくしょん!」


「へえっくしょん!」




網を叩きつけた時には手遅れ。


ジジッジッと飛んでいく蝉の声が空へ吸い込まれる。




「あーあ。」


「あーあ。」




顔を見合わせ。「……」




「チビが悪い!」


「兄ィが悪い!」




言い合う言葉さえもシンクロする僕ら。


あざ笑うかのように大勢の蝉の声が降り注いだ。






また時には、


街を秘境に見立てて大冒険した。




見知らぬ路地の古い民家の間。塀の隙間に体を這わせながら、どんどん中へ。


時には庭を抜け、塀の上を渡り何軒も越えて、まるで巨大迷路。命の危険も顧みず危険な密林を進む、われわれ探検隊。路地裏というジャングルの奥へ。




挟まった僕をチビが引っ張り、チビを僕が塀に押し上げ、2人は助け合いながら進んだ。黙々と進む小さな隊長を、追いかけ進んでいく。すばしっこいチビに置いて行かれないよう食らいついていく。右へ曲がるか、左へ抜けるか…前を行く小さな背中に意識を寄せるうち、次の動きがなんとなく分かるような気がしてきた。


「もしかしたら心が読めたりして…?」調子に乗った好奇心で、試しに目をつむってみたら、がんっ!とブロック塀の出っ張りにスネをしこたまぶつけた。


「んぐぐぐぐ」




ただの住宅街だ、何かがあるはずもない。でも、僕たちには違った。


塀の隙間のその先には一体何が待ち受けているのか?想像すると胸の鼓動が高まってきた。何だろこの気持ちは?ワクワクで大きな声を出したくなる。高揚した顔のチビが「わかる?」と誘うように、こちらを振り向く。感情がシンクロする。子どもだましの探検ごっこが、こんなにも心を揺さぶるなんて。大人になって忘れていた。




やがて、暗い隙間の遠い先に、逆光さし込む出口が見えてきた。


長い長い通路を抜け、茂みのような植木をかき分けたその先に広がっていたのは…


…まるで見たことのない奇妙な場所だった。




巨大な敷地に、幾何学的なデザインの建物たち。磨き上げられたようなツルツルのビルが並ぶ。


美しく揃えられた芝生の緑。その上に白いローラーで自由に曲線を描いたみたいな遊歩道。歩道橋やビルをつなぐ通路の立体交差に未来を感じた。


人が誰もいない。信号はまだ灯らず、道路に車の姿もない。新しい車道の白線の白さがいやに目立つばかり。燦燦と日光が降り注ぎ、植栽は生命力に満ちあふれている…にもかかわらず、誰もいない。




隅には、土嚢や建設資材が寄せられていた。そういえば駅前に再開発エリアができるらしい。ショッピングモールでも建設途中なのだろう。でもそんなあたりまえの現実なんて今の僕たちにはカンケイない。われわれ探検隊には全く違う景色に見えた。


そう、これは絵本で見たスペースコロニーだ。宇宙人が密かに作った未来都市。夜中に人知れず空から舞い降り、静かに横たわっているのだ…。そんな幼稚な空想も、”同じ自分”のチビとイメージを分かち合うのに言葉は要らなかった。




われわれ探検隊の世紀の大発見だ。街を支配したかのように大興奮した。感情がシンクロして奇声を上げながら思わず同時に走り出す。芝生の上を飛び跳ねるように転げまわった。芝の柔らかなチクチクした感触と微かな草の匂いが心地いい。


そうだ、ここには小学校のいじめも夏休みの宿題もない。就活や卒論の悩みもない。僕たちだけだ。僕たちの新天地だ。ユートピアだ。チビの笑顔がはちきれそう。良かった。


気持ちが高ぶって2人の口からあふれたのは、あのメロディ。僕らそれぞれ違う時代に、同じ父から子守歌として聴かされていた口笛。2人おどけた鼻歌で歌いあった。




「♬ら~ら~らら~」




「おい、誰だ!!」




警備員だ。遠くから走ってくる姿が目に飛び込んだ。


やばい。僕たちは一目散に逃げながら、なぜか笑いが止まらなかった。怖いけど、スリルと興奮を2人で共有していることが、おかしくておかしくてたまらなかった。


その時、もはや僕の心は8歳の男の子。


追いかける警備員の目に映ったのは、もしかしたら笑いながら裏路地を駆け抜ける2人の同じ顔した子どもたちだったのかもしれない。




それは、僕と小さな僕が”ともだち”になった日だった。






(つづく)

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