勝利と涙のコンチェ

 火曜日、茂樹くんは警察に被害届を提出した。被害届はすぐに受理され、捜査が始まったようだ。水曜日にはスイートラジオの金庫に警察が捜査の手を伸ばした。そして、土曜日の朝9時きっかりに、スイートラジオの固定電話が鳴った。

「容疑者を逮捕しました」

 それからの茂樹くんは大変だった。昼を食べていると電話が鳴った。

「こちら、スイートラジオです……あ、国営テレビさんですか。取材……良いですよ。……盗まれたのは防犯上制作していた偽のレシピです」

 そして土曜日の午後8時45分、国営放送のニュース番組は私たちの勝利を告げた。

「世界的人気を誇るくろがね市のチョコレート店『スイートラジオ』のレシピを盗んだなどとして、くろがね市内の田中良子容疑者が逮捕されました。田中容疑者はスイートラジオのレシピをダークウェブと呼ばれる非合法サイトで販売しようとしたということで、調べに対し『スイートラジオを破綻させようと思った』などと供述、容疑を認めているということです」

「全国のニュースでも取り上げられるからね」

「そういえば電話で取材受けてたね」

「そうそう」

 その日の夜、私は奇妙な感情にとりつかれていた。眠れぬまま何度も布団に目をこすりつけ、かすかに出てくる涙を拭いた。

「私は、結局何もできなかった」

 そのことが、何よりも悲しかった。今年の初めである1月の、それも18日間という短い期間で、ヒシマキとの契約は見直され、ヒシマキへのお試し出店のみでスイートラジオとヒシマキの協力企画は終わることになった。そして茂樹くんの作戦は、見事にスイートラジオに迫った危機を退けた。思えば激動の18日間だ。だが私はといえば、なんの役にも立てず指をくわえて見ていることしかできなかった。私は水の一滴にすら、なれなかった。そんなことを思っていると、いつしか私の目からは温かいものが流れ、布団を濡らしていた。

「泣かないで」

 ふと気づくと、隣の布団で寝ていた茂樹くんが私の頭をなでていた。大きなその手は、遠い記憶の中の父を私に思い出させた。私は泣きながら、問い続けた。

「どうして……?どうして……」

 私の泣き声の向こうで、茂樹くんはずっと私に優しい言葉をかけてくれているのだろう。でも、その声は私には届かなかった。私の泣き声が、あまりにうるさかったから。

「私はなんの役にも立てなかったのに……どうして茂樹くんは私にこんなに優しくしてくれるの?なんで?茂樹くんはずっと……でも……」

「好きだからだよ」

 その声は、泣き疲れた私の声をぬって私の耳に素直に入ってきた。

「理由に……なって……ない」

「でも僕は優花さんが好きだ。それ以外に何も理由はないよ」

「……」

「好きな人に優しくしないとしたら、誰にも優しくできないよ。優花さん、泣かないで。優花さんはちゃんと僕のためにいてくれた」

「でも……私はただ見てることしかできなかったのに……」

「それでいいんだよ。優花さんは僕の隣にいて、僕のことを見届けてくれればいいんだ。それが優花さんの義務だって、ちゃんと言わなかった僕が悪かった。ごめんね」

「なんで茂樹くんが謝るの」

「泣かせてしまった相手に謝るのは当然だろ?」

「……」

 茂樹くんは私をぎゅっと抱いて、茂樹くんの布団の中に引き寄せた。

「……え?」

「えじゃないよ。布団が濡れると風邪を引くからね」

「……そうかもね」

「明日が休みだからって、夜更かししちゃだめだよ」

 茂樹くんはそう言うと、私の目の前で寝息を立てだした。茂樹くんの目の前で、私の意識も気づけば眠りの中に落ちていた。


 翌朝、私は茂樹くんより先に目を覚ました。こう書くと、4時頃に目を覚ましたと思われるかもしれない。実際のところ、私は8時に目を覚ました。茂樹くんは私が起きると、すぐに目を覚ました。そうして私たちは、再びスイートラジオの忙しい日常を過ごすのだった。

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