気高き獣のように

@seek-to-love

はじめに

 僕たちは自分のことを動物ではなく、何かもっと別の崇高な人間という存在として捉えてるところがある。

服を着て、立って歩いて人語を話し、あさましいところは表に出さず、道徳に沿って清く正しく生きようとする。


人間には、他の動物と比べると相対的に高い知性と尊厳を持っていると考えている。


僕はあなた方に問いかける。

果たしてそれは本当に善いことなのだろうかと。


人間だって疲れれば、立って歩くのが辛い時はある。本当なら、道路の地面がもっと快適であれば、立って歩く以外にももっと楽な方法があるはずなのだ。


同じように、人間には必ず家が必要だと多くの人が考える。外の環境は厳しく、服を着ていても人が一人で暮らしていくには辛いところだからだ。


でももし、雨を心地よく感じたり、また、雨に濡れても体調を崩さないのであれば。

そう、外もどこでも寝ることができ、雨の何らかの影響で諸々の辛い思いをせず、プライベートな空間を維持できるのであれば。


---語りは代わり行き。


僕は「人として最低限の〜ない」という言葉が大嫌いである。人より少し知恵が足りないという言葉に、この枕詞が付くだけでより差別的になる。


人として最低限の〜ないという言葉によって人を否定すると、遠回しに、かつ剛直にその人をクズ呼ばわりできるのだ。

これは由々しきことであり、あってはならないことであると僕は考える。


ある成功者は語った。

長者曰く、「プライドは何の役にも立たないばかりか、人生を大いに妨げる」と。

僕もそのように思うところである。


ではプライドというものが有害なのであれば極論、人としての尊厳を捨ててしまえばいいことになる。


「これは驚いた。なんという暴論を唱える人がいるのだろう」

あなた方もそう思ったかもしれない。


もしそう思うならば、あなた方は固定観念にとらわれている。

それは「動物は人間より卑しく、人間でなければ尊くあることはできない」ということと、そして、「人間というものが存在している」ということだ。


一つ一つ誤解を解いていこう。


まず一つ目に人間というものが存在しているということだ。

共通認識として我々が生物であるということは誰もが知るところであろう。

「ではただ生物・獣である我々が、人という単なる生物ではなく、人間という崇高なる存在足り得てるのはなぜなのだろうか」と多くの学者が昔から哲学してきた。


それは未だに結論が出ていないが、それも当然の話である。

人間という言葉が指すものは、詰まるところは人類全体の共通幻想である。

試しに人権の各項目を見てみればいい。

どれも人という生物種が、その本能と性質上、必要としたものを十分に満たせるようにできている。

何も「人間」などというものの尊厳を守るためにああいったものが存在するわけではない。

南北戦争しかり、人が人を虐げるさいに人を隷属して物扱いしたり、現代日本しかり、虐待や貧困、差別などを防ぐためにあいうものが存在する。


これが一つ目。「人はどうあがいても、完全には人間という存在になることはできず、人間というものは存在しない」


次に、動物は人間より卑しく、人間でなければ尊くあれない。


これは中世当時の間違った認識である。

時代的な背景として動物は人間の脅威であった。今で言う虫のようにどこにでも現れ、公衆衛生を害し、人に襲いかかる野蛮な生き物であった。

その中の一つである野犬も、集団で人里に現れ、人間に襲いかかり、街に住む個体はしばしば生ゴミなどを食い漁った。

だから犬という言葉が、世界各国において侮蔑の言葉として伝わっているのだ。


長いまでは動物行動学の研究が進み、他の生き物にもヒトとは異なる知性を持つ者がいることがよくわかってきた。

そのものたちと対話をすることも試みられ、一部の生物種との間ではお互いにコードのやり取りができているケースもある。


だから、動物が卑しいというイメージはいつしか薄れていき、我々も彼らと同じ自然の一員なのだということを皆が知ることとなった。


今では、一部の獣たちがこう評されるようになっている。

以下は、同じ人間の一人である僕が、個人的に動物へ思っているイメージをあげたものだ。


……………………………………

「狼は気高くてストイックで、散り際が美しい」

「オランウータンは人間味があって優しい」

「犬は賢く人間のよき相棒だ」

「猫は付かず離れず程よい距離で、いつも隣にいてくれる」

……………………………………

どうだろう。あなた方にも覚えがあることではないか。

動物に親しみや慈しみの気持ちを持つ事は、とても素晴らしいことである。あなたもそう思わないか。

ならば。動物園に彼らを押し込んで、ただ遠くからじっと眺めていると悲しい気持ちになるのなら。

あなたはきっと優しく、正しい心の持ち主だろう。

そういった形に特に本書をお勧めしたい。


この本は、人間という幻想に縛られた我々人という生物がより幸福に生きるための一つの手がかりとして人々へ献じ上げる書物である。


あなた方の人生が、より豊かで幸福でありますように。


アーメン。

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