第16話 クラスメイトのサークル


 俺達は三人で会場の屋内へと歩き始めた。

 時刻は午後を周り、正午になると待機列が解消されるので午前よりも会場内にいる来場者が増えたためか会場内は密度がなお濃くなる。

 冷房の効かない会場内に午後になったことで気温がますます上がって湿度も高くて、息苦しい空気にもなる。

 先ほど陸野と歩いていた時と違い、今度はコスプレイヤーの小宮と一緒なので目立つ姿の為か移動中、周囲がこちらをちらほら視線を向けているのが気になった。

 中には「あれサタンフォーチューンのコスじゃねえ?」と小宮のコスプレのアニメタイトルを上げる人もいるほどだ。

 やはりマイナーなアニメでもこれだけの大勢の来場者がいればそのアニメを知ってる者もいる。


 再びホール内へ入ると、午後になったことによりアニメ系ジャンルのサークルが集まってるこのホール内はかなり熱気がすごかった。

 ふと天井を見るとうっすらと霧のような白い靄が見える。まるで空に浮かぶ雲のように。

「あれがいわゆるコミケ雲か……」

 夏コミのとても高い気温と湿度で会場内の多数の参加者の汗が蒸発して空気を上がり、天井でその水分がたまり雲のようになることからあの靄のことをコミケ雲というらしい。

 噂では聞いていたがまさか本当に見ることになるとは……。それだけこの会場内は高温であり、暑いということだ。

 俺の顔も汗がつたってきていくらタオルで吹いても噴き出てくる。

ホール内の人ゴミの中には小宮のようにカラフルなコスプレ衣装を身に着けたコスプレイヤーがちらほらとみられる。

「江村―、どこ行くのよー。暑いんだからさっさと行くとこ行きましょうよ」

 後ろで付いて来た小宮があまりの暑さで汗でメイクが落ちないようにと常に温度には気を使っていた。

「えーと、俺達が行くのは『こ』ー二十三bか」

 俺はあらかじめプリントアウトしておいた会場マップにサークルチェックをしていたのでそこを目指して歩き始める。

 アニメ系ジャンルはやはり現在人気アニメのサークルが集中しているだけあって、参加者が密集していて混雑していた。

「ここが『か』の島だから、「き」「く」……」

 コミケのサークルスペースはアルファベット順やあいうえお順で島が配置されているのだ。

 あいうえお順に島をたどっていき、深山のサークルがある「こ」の島を見つけた。

 島はアニメ系ジャンルのサークルの列だ.。

 原作有の作品だと原作の連載雑誌、少年漫画や青年漫画といったジャンルコードになるがアニメオリジナル作品だとそれはアニメ系ジャンルのスペースになる。

深山のいるのはアニメ系ジャンルでもスコルピオン学園のサークルである。

 カタログをチェックしたところ今年の夏コミに参加しているスコルピオン学園のサークル数は全部で七つ。

 アニメ放送が三年前とそこそこ前なので現在のサークル参加は落ち着いていた。

 きっと放送直後なら大勢のサークル数が参加していたのだろうがアニメ系ジャンルとは放送終了から時間を迎えると減少する傾向にある。

一番サークル参加者が多いのはアニメ放送直後など、やはりメディア展開が盛り上がっている時だ。

 スコルピオン学園も三年前のアニメなので流行はすでに去っているものの、いまだにイベントにサークル参加するサークルがあるということはそれだけ熱心なファンがいるということだ。

 島になっているサークルスペースの前を通過すると、深山と散々見たスコルピオン学園の二次創作イラストなどのポップが目に入る。

 机上の頒布物はもちろんスコルピオン学園の非公式グッズや同人誌といったものだ。

 自作のグッズや同人誌などの創作物がこのイベントではこうやって頒布される。


 お目当ての深山のサークルがみえてくると、こちらに気づいた深山がサークルスペースの中の椅子から立ち上がる。

 ようやくサークルの前にたどり着くと俺は挨拶をした。

「よお。どうだ?」

「江村くん、えと……陸野さんも来てくれたんだ」

 深山はサークル参加ということでおしゃれよりも動きやすくさ重視でなおかつとても暑い会場の中でも通気性がいい服装、ということでラフなシャツにデニムのパンツという服装だった。

 服装にあまり気を使えない分を補うように女子高生らしく胸を飾るアクセサリーが可憐さを演出している。

 サークルスペースの机の上には深山が作った同人誌と手製のポップと値札が飾られていた。

 今回の深山の頒布物はこのほんの数週間前に原稿を描いていたこの一冊のみだ。

 それを表紙と裏表紙を合わせて一枚絵になるように在庫を二列に積み上げていた。

「事前にpixivで宣伝した効果もあるみたいで転々とこのスペース寄った人が買ってるって感じ。結構カタログとかで見てスコ学好きな人が寄ってくれてるみたい」

 どうやら売れ行きは初参加だけに激売れという感じではないがまあまあのようだった。

 すでにアニメ放送から何年も経過しているとはいえ元がそこそこ話題を呼んだアニメだ。

 アニメ放送終了後にはまった人もいたりするのでこういったイベントでのサークルはやはり需要はあるらしい。

「へー、サークル参加してる知り合いって深山さんだったんだー」

「しかも同人誌まで作ったってこと!? 深山さんが絵がうまいのは噂で知ってたけど漫画描けるなんて知らなかった!」

 陸野も小宮も深山のサークルスペースを見てそう言う。

 クラスメイトが直接サークルスペースにやってきたのである。

 イベント会場ではサークルスペースのテーブルの前では横に広がると隣のスペースにまではみ出して迷惑になるというから俺達三人は周囲に横に広がらないように、なるべく中央に寄って話す。

とはいえさすがに三人となるとテーブルのスペースいっぱいになってしまうのではみ出さないギリギリの範囲だ。

「これが深山さんが作った同人誌なんだー」

 スペースにある同人誌を見て話す小宮を見て深山はとまどった。

「え…っと、あなたは?」

 コスプレをしているために深山は小宮がクラスメイトとわからないらしく、陸野と同じ反応をする深山に俺はそっと教えた。

「このコスプレイヤーさんはクラスメイトの小宮恵子だよ」

「あっ、小宮さんなんだ! コスプレ参加なんだね! 今日はわざわざうちのスペース来てくれたんだ。ありがとうー」

「やだ、あたしたちこういうイベント参加するってことはもうオタク仲間じゃなーい。名前で呼んでよ。ね、桃菜」

 小宮は俺と初めてしゃべった時はきつい態度だったのに、オタク仲間の女子となると壁が緩むらしい。やたら女子には心を許す。

「じゃあ、恵子ちゃん」

「あたしのことも名前で未祐でいいよ。よろしくね、桃菜ちゃん」

「これからは未祐ちゃんって呼ぶね」

 本当はこういったイベントで参加者の名前を本名で呼ぶのは周囲に個人情報な事が漏れるといった事情でよくないらしい。

 イベントではリアルの知人でも個人情報の件で本名を呼ぶのはよくないらしく、イベント会場で会う人達はサークル参加者だと手伝った家族や身内でもペンネームやハンドルネームで呼び合うといったこともあるくらいだ。

 しかしどうしても学校のクラスメイトというリアルの知り合いでペンネームで呼ぶのもおかしいかと俺達はあえて名前の部分は周囲に聞こえない小声で呼ぶようにしていた。

 周囲も混雑していてそこそこざわめきがあるのでそれほど気にしなくてよかったのは幸いだ。

「これ、スコルピオン学園の同人誌?」

 陸野は深山のスペースの机にある同人誌を見つめながら言った。

「スコルピオン学園って前やってたアニメよね。私はちょっとしかみてなかったけど、一応最初辺りの話は見てたからキャラは知ってる」

 陸野はすでにスコルピオン学園を知っているようで、一目でなんのジャンルかは見抜いたようだ。

「へー、これスコルピオン学園ってアニメの本なんだ。私はこのアニメ見なかったなあ」

 小宮はスコルピオン学園のアニメを見ていなかったらしく、初めて知ったタイトルなようだ。

「読んでみてもいい?」

「あたしも読みたい、クラスメイトが作った同人誌だもの」

 二人はどうやらリアルの知人が作った創作物という理由で読みたがっているようだ。

 同人誌はその名前の通り、同じ好みを持つ人、に読んでもらうことを前提にした本だ。

 本来なら二次創作というものは原作をよく知らない人が見てもまずキャラクターや原作のストーリーを知らない、という理由で理解できなかったりする。

 しかし深山はこの同人誌は原作を知らない人が見ても楽しめるようにストーリーを考えた自信作だと言っていた。

 スコルピオン学園をよく知らないこの二人が読んでも問題ないだろうということを判断してたのか深山は「どうぞどうぞ」と二人にさっそく見本誌を見せた。

「じゃあ、俺も読んでみてもいいか?」

「うん、どうぞ」

 見本誌を一冊見せてもらったのでその場でざっと読むことにした。

 すると、ページを開いた瞬間、深山の美麗な絵による世界が広がった。

 すでに事前にプロットを一部教えられているのでストーリーは知っていたつもりだったがそこに深山の絵が加わるとその凄さを目に見た。

 まずネット上やスケッチブックで見た絵よりも実際に紙に印刷された深山の絵はそれらよりも何倍にも映えて見えた。

 内容はスコルピオン学園のアニメ最終回のその後を描いていて、主人公・エルザードの回想シーンをはさみ、学園の仲間達との本編エピソードを生かした内容だ。

 エルザードの能力覚醒にいたるまでの部分を捏造で回想シーンに入れて、こういった過去があったからこそ主人公エルザードの生き様のまさに公式でもありそうな話、を見ているようだった。

 公式である原作の良さを生かしつつ、それでいてストーリーとして読める

 まさにアニメ本編では描かれていなかったスコルピオン学園の良さを補い、なおかつ深山が考えたストーリーが良すぎるのだ。

 それでいてさらに深山のプロの漫画家並にうまい作画が加わり、もはやプロットで見た時よりもさらにストーリーが追加されていてずっとずっと出来栄えがいい同人誌だった

 俺はあまりの完成度の衝撃に、読み終わった後、台詞が出てこなかった。

「なんというか…これだけですでにアニメでは描かれてなかった部分を補って一つのストーリーが完成されているっていうか。すっげえ」

 俺は思ったままの感想を言った。もうそれしか言葉が出てこない。

「本当!? 頑張って作ったかいがあった!」

 そしてさらに見本誌を見ていた二人も感嘆の声をもらした。

「ナニコレ、ナニコレ…ちょー感動ものなんですけど!」

「深山さんの作ったこの本、めっちゃいいじゃない!」

 スコルピオン学園をよく知らない二人までもが絶賛する。

 それだけアニメを知らない人が読んでも響く内容だったということだ。

「この本、スコルピオン学園知らない私が読んでも面白い!同じ年でこんなにクオリティの高い同人誌を作れるなんて!」

「私、スコルピオン学園のアニメをちゃんと見返したくなった!」

 深山がいっていた「原作を知らない人が読んでも面白いと感動させてなおかつその原作見たいと思わせるほどの同人誌を作る」という点は見事にクリアされたようだ。

「この本買わせて! 七百円だっけ?」

「私も買う!」

 クラスメイトというリアルの知人が描いたものだから、というのも効果があるのか二人はこの本を買うつもりだ。

「じゃあ俺も一冊買う」 

 それに誘われるように俺もこの同人誌を買うことにした。

「ありがとうございます」

 深山に同人誌の料金を支払って俺は深山の同人誌を手に入れた。

 陸野は財布を出して、支払うとその時何か様子がおかしかった。

「あれ? あれ…!?」

 陸野がトートバックに財布をしまおうとすると、突然うろたえた。

「おかしいなあ、なんで!?」

 陸野はトートバッグの中を手探りで触っていた。

 急に陸野の表情が焦りで青ざめてきた。

 先ほどまで笑顔だった陸野の突然の豹変にただごとではないと感じた。

「どうしたんだ?」

 陸野はうろたえた表情で言う。

「スマホがない! トートバックの中に入ってないの!」


とんだトラブルが起きてしまった

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