第38話 新しいコルセット③
数人の侍女がカラカラと音を立てながら、部屋の中に入って来た。
カラカラという音は、彼女達が押しているトルソーの音である。
トルソーとは、主にアパレルショップなどで洋服を飾る時に使用する人型をした物で、マネキンと呼ばれる物とは違い、頭や腕、脚がないタイプだ。
アパレル業界では、ボディと呼んだりもする。
この世界では、ディスプレイ用としてではなく、ドレスなどを作る際に、依頼主の体型に合わせたトルソーに直接布を当てて、作製していくのが主流であるので、服作りの必需品として使用されている。
「……これが新しい、コルセット?」
アルフレッドは、パチパチと瞳を瞬かせた。
部屋のほぼ中央に並べられた四体のトルソーには、それぞれに新しいコルセット――ボディスーツが着せられている。
――ルナリアの体型に合わせたトルソーなので、通常の物よりも太めであることは……余談である。
「ええ、そうです。私は『ボディスーツ』と呼んでいます」
「ボディ……スーツ。これは、普通の物と何が違うんだい?」
トルソーに近付いたアルフレッドは、顎に手を当てながらまじまじと見ている。
「従来のコルセットよりも柔らかいのに、きちんと補正効果のある仕様になっておりますわ」
「へぇー」
「実際に触っていただいても構いませんよ?」
「…………良いのかい?」
ルナリアが首を傾げながら言うと、アルフレッドは驚いたように瞳を見開いた。
「ええ。触ってみないと分からないではないですか」
いつも無遠慮にルナリアのお腹を触っているくせに、どうしてただのトルソーに躊躇するのだろうか?
アルフレッドが困惑している意味が、ルナリアには分からなかった。
「……ルーナが良いなら、遠慮なく……」
コホンと咳払いをしたアルフレッドは、一番手前のコルセットに触れた。
ルナリアが作ったボディスーツは触ってみてこそ、その価値が理解できるはずだ。
「本当だ……柔らかい」
アルフレッドは感嘆の声を上げた。
「引っ張っていただいても大丈夫ですよ?」
「こんなに薄いのにかい?」
「はい。薄く思えますが、しっかりと糸が重ねられているので平気ですわ」
「そうか……」
アルフレッドは恐る恐るという風に、生地を引いた。
「これは、凄いな……」
「自信作ですもの」
伸縮性のある特殊な糸を加工して作り上げたボディスーツは、袖の部分がキャミソール、タンクトップ、3分袖、五分袖丈とドレスの種類によって使い分けができるようにした。
今回は、どんなドレスの色にも響かないベージュで作ったが、ドレスの色に合わせてオーダーするのも良いだろう。
胸ぐりが広く開いており、股下まで繋がっているので、胸から腰にかけてのラインだけでなく、ヒップラインも整えられる。袖のあるタイプなら腕の矯正も可能だ。
ブラジャーを着た状態で、頭から被るのではなく、足元からゆっくりと上に引き上げていく。
そうすることで、重力に負けないボディラインに整えやすくなるのだ。
コルセットのように思い切り細く矯正はできないが、充分に効果が期待できる。
この他にもカップ付きのものや、総レースの高級感のあるものなど……まだまだ試作中のものもあるが、ここにあるのは第一弾目の完成品である。
「これならば、身体を矯正して倒れる女性はいなくなると思いますわ」
「ああ、本当に凄いな」
アルフレッドは珍しく、子供のようなキラキラと瞳を輝かせている。
「ありがとう!ルーナ」
アルフレッドは両手を広げて、ルナリアをガバっと抱き締めた。
「いえ……」
喜ぶアルフレッドの瞳を曇らせるのもなんだが……
ルナリアには言うべきことがあった。
「ただ、これを浸透させるのは難しいと思います」
「え?」
「『コルセットなんてなくなって欲しい』と願う女性は少なからずいますが、コルセットの信者が多いのも確かです」
酸欠で倒れてしまうこともあるが、コルセットが細い腰を作ってくれるのは事実で、着用し続ければそれを維持できる。
胸元が開き、細腰を強調させるドレスが流行り続ける限りは、浸透させるのは難しいだろう。
「それに……何より、私には宣伝効果がありません」
そう。ぽっちゃりのルナリアでは広告塔にならない。説得力がないからだ。
綺麗な女性や、地位のある女性が、その魅力をアピールしなければ、浸透なんてしない。
「私が痩せれば「その必要はない」
かぶせ気味に言われた。
「ルーナが痩せる必要は微塵もない。あの時にも言ったが、母に協力してもらえば良いのだから」
ルナリアの頭に頬を擦り寄せながら、ぎゅうぎゅうと強く抱き締めた。
「王妃様は……協力して下さるでしょうか」
「大丈夫だ。そこは父にも協力を仰いだからな」
……父って。
「国王様にもですの!?」
「ああ。父は逆にコルセットには無関心だったから話が早かった」
瞳を大きく見開いたルナリアがアルフレッドを見上げると、空色の瞳がスッと細まり、唇の端がニヤリと持ち上がった。
「コルセットがどれほどまでに女性に苦痛を強いているか。それにより寿命が短くなる可能性をしっかりと説明して差し上げたからね」
「…………なるほど」
ルナリアがどうにか答えられたのは、その一言だけだった。
それはもう……懇切丁寧な説明以外に、迫真の演技をしたであろうことが、今のアルフレッドの表情から想像がついたせいだ。
「私がルールを愛しているように、父は母を心から愛しているからな」
アルフレッドはふっと表情を弛めた。
「あ、愛して!?」
「ふふふっ。そう。愛しているよ」
瞳を限界まで見開き、口をパクパクと開閉させるルナリアの額にチュッと口付ける。
真っ赤な顔で動揺しているルナリアを暫くジッと見ていたアルフレッドは、ふと表情を消して真顔になった。ゆらりと空色の瞳が不安気に揺れる。
「……アルフレッド様?」
「だから、無茶だけはしないで欲しい」
アルフレッドが心配しているのは、これからの作戦のことだ。
「……はい」
ルナリアは、『無茶はしません』とも『大丈夫です』とも答えられなかった。
冷静であろうとは思うが、いざという時に本当に自分が冷静でいられるか分からなかったから。
「……ルーナ?「アルフレッド殿下。実はこのようなものもありますが」
咎めるようなアルフレッドの声に、今度は今まで黙っていたシェリーの声が重なった。
「……何だ、それは?」
不機嫌そうな顔でシェリーを振り返ったアルフレッドの目が、シェリーの手元に釘付けになった。
「ルナリア様のストッキングをついでに幾つか新調しようと思っているのですが、殿下にデザインを決めていただこうかと思いまして」
シェリーはそう言いながら冊子をペラリとめくって見せた。
「お勧めはガーターストッキングですね」
「ああ、それは良い!ルーナの脚に食い込むような奴が良いな!」
アッサリとルナリアを解放したアルフレッドは、シェリーの持っていた冊子を奪い取った。
…………シェリー。何ということを。
恨めしそうな視線を向けると、シェリーが控えめに微笑んだ。
……ああ。
私はこの時に、シェリーが話題を逸らしてくれたのだと気付いた。
あのままだったら、無茶をしないように圧力をかけられたはずだから……。
だからといって、男性にストッキングの話題を……!?とルナリアは思わなくもないが……
「総レースの方が肌の白さに映えるだろか?」
「太腿の部分だけレースを変えては?」
「ああ、ルーナと同じ黒色や紫でも良いな」
「殿下がお好きそうなデザインがこちらにもありますが……」
「やっぱりお前は分かっているな!」
「私はルナリア様の専属侍女ですもの」
ルナリアをそっちのけて、アルフレッドとシェリーが白熱してきたが……。
……私は関わらないでおこう。
ルナリアは、こっそり部屋を抜け出すことにした。
ノエル達を連れて戻って来る頃には、落ち着いていると良いけど……。
――そう願いながら。
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