警視庁へ

 その後、木場は昼食を半分以上残し、一番手近にあったシャツを掴み、ネクタイをぞんざいに締め、スーツの上着を引っかけて家から飛び出して行った。目指す先はもちろん警視庁だ。

 車をすっ飛ばして約30分。木場が警視庁に到着した頃には、正面玄関の前にすでにマスコミが群がっていた。容疑者が現職の刑事という情報を聞きつけたのだろう。警官が足早に通り過ぎるたびに無数のフラッシュが焚かれ、レポーターが我先にとマイクを突きつけている。木場はこっそりと中に入ろうとしたが、彼にも容赦なく矛先は向けられた。

「警視庁の方ですか!? 現職の警官が逮捕されたことについてご意見をお願いします!」

「容疑者は50代男性とのことでしたが、何か役職に就いていたんでしょうか!?」

「容疑者の人物像は? 犯罪性を窺わせる兆候はあったんですか!?」

 餌に群がるピラニアのような彼らに揉みくちゃにされながら、木場は沈黙を貫いて正面玄関を通り過ぎた。万が一、自分が容疑者の直属の部下だという事実が知れたら、どんな質問を浴びせかけられるかわかったものではない。

(第一、まだ逮捕されたわけじゃないんだよ。あくまで重要参考人ってだけで……)

 木場は内心そう反論したが、2つの言葉の間に大差がないことはわかっていた。

 膜のように心を覆った深憂を引き摺ったまま、木場は取り調べ室へと向かった。


 長いリノリウムの廊下を歩き、木場は取り調べ室のある一角の前に辿り着いた。ガマ警部はどこにいるのだろう。木場は片っ端から覗き窓を開けて見たが、中にいるのは知らない人間ばかりだ。誰か知り合いでもいれば部屋を聞くことも出来るのだが――。木場は額に手をやってきょろきょろと廊下を見回した。

 その時、一番端にある取り調べ室から3人の男性刑事が出てくるのが見えた。全員スーツ姿で、一様に顔に疲労を滲ませ、火葬場に向かう参列者のような面持ちで木場の方に歩いてくる。

 その中の1人と木場は目が合った。相手は不審者でも見つけたように片眉を上げ、暗視スコープのような目つきで木場を上から下までとっくりと見回した。

「あ、あの、自分、警視庁捜査一課の木場と申します。」木場がしどろもどろに言った「あ、あの、ガマさ……蒲田警部が重要参考人として連行されたってニュースで聞いて、それで……」

 木場が弁解している間にも、3人の刑事は冷ややかな視線を向けてくる。これではまるきり不審者ではないか。木場は警察手帳を取り出そうと慌ててジャケットの内ポケットを探ったが、あいにく家に忘れてきてしまったようだ。嫌な汗が背筋を伝う。

「……知っている」

 真ん中に立つ刑事が静かな声で言った。木場はおずおずと顔を上げた。刑事は後ろの2人と顔を見合わせ、わざとらしく肩を竦めて見せた。

「警視庁捜査一課の木場巡査。お前は署内じゃちょっとした有名人だからな。知らない人間はいないさ」

「え、そうなんですか?いやぁ照れちゃうなぁ」

 木場は後頭部に片手をやった。嫌味が通じなかったことで、刑事達は顔を見合わせてもう一度肩を竦めた。

「あ、あの、それでガマさんは?」木場が要件を思い出して尋ねた。

「この取り調べ室の中だ」刑事は今出てきたばかりの部屋の方を振り返った。「今、ちょうど休憩に入ったところだ。10分程度であれば、話を聞いても構わない」

 あの中にガマ警部がいる――。途端に緊張がこみ上げるのを感じ、木場はごくりと唾を飲み込んだ。

「ただ、あまり多くを期待しない方がいい」刑事が言った。「いくらお前があの人の部下だろうが、語る言葉は同じだろうからな」

「どういう意味ですか?」

「聞けばわかる。すぐに交代の捜査員が来るだろうから、手短に済ませることだな」

 刑事はそれだけ言うと、残りの2人を従え、木場の脇を通り過ぎて行ってしまった。木場は困惑しながらその背中を見送ったが、すぐに部屋の方に向き直った。扉に近づき、2回ノックする。応答はない。

 木場は少し迷ったが、そのまま扉を開けて部屋の中に入って行った。





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