言うな

 ストリートピアノなる物があるらしい。


 道端や駅、そういう所にアルコール容器と共に設置され、誰でも好きに弾いて良いのだと。

 動画サイトでよく投稿されているのを見掛けるけれど、私の目的は猫ちゃん動画、内容を見たことは一度もない。

 存在だけは頭に入れて、日々を過ごしてきた。


 今日までは。


 犬の散歩はよくあれど、猫──飼ってる猫との散歩はそんなに聞かないはず。だけど我が家の猫は、私とデートするのを好いているらしく、暇そうにしていれば外に出るぞと、ぷにぷに言いながら鼻や前肢を押し付けられる。

 猫の鳴き方としてそれは合っているのか? 知らない。我が家の黒猫はそう鳴く。

 いつも通りにお誘いを受け、そして何となく、いつもとは違う道を歩いていた時、ふいにピアノの音が耳に入る。どんなに音楽に興味がなくとも、聴けば誰でも分かる曲──『猫踏んじゃった』を弾いているらしい。

 テンポが速くなったり遅くなったりと、かなり遊んでいるようで、まさに音を楽しんでいるみたいだけれど、飼い猫とのデート中には弾いてほしくない曲だ。

 足元を見れば、何か気にする素振りもなくすたすた歩く我が家の黒猫。そういえば、この曲を聴かせたことはないし、恐ろしきタイトルを口にしたこともない。きっと知らないはず。

 誰もそのタイトルを口にするな。

 いやいっそ道を変えるべきか。これ以上聴かせてはいけない。飼い猫を抱き抱えようとしたけれど、奴め、するりと避けていく。何度も何度も。

 気付いた時には、演奏を終えたピアノの傍。弾いていたのは可愛らしいお嬢さん。私と同じくらいの歳か。

「どうだった、三歩さんぽちゃん」

「かなり遊んでたね」

「つい。三歩ちゃんもどう?」

 どうやら友達と来てたようで、すぐ後ろに立っていた少女へ親しげに話し掛けている。

「弾けないよ、何も」

「適当でいいよ。三歩ちゃんとも遊びたい」

「……あっそ」

 お嬢さんが半分退けば、空いた隙間に少女は腰を下ろす。

「本当に適当に弾くから」

「うんうん、いいよ。じゃあ、さっきと同じ猫ふ」


「ぷに」


 唐突な猫の鳴き声。

 仲良く話していた二人が、揃って声のした方──私を見る。

「……」

 私が足元に一瞬視線を向ければ、二人もそっちを見てくれて、同じタイミングで小さく口を開ける。

 お分かりいただけただろうか。

 目で訴えれば、お嬢さんだけ頷き、少女の肩を叩く。

「ね……ね……猫の曲、うん。猫の曲、やろ、うん」

「……うん、そうだね」

 お分かりいただけたようだ。

 そして二人はピアノに向き合い、少女は宣言通り適当に、お嬢さんはちゃんとやったり、少女に合わせてアレンジを効かせながら弾いた。

「……ぷにー」

 黒猫はそう鳴くと、二人の音楽に耳を傾けることなく歩き出す。私としてはもう少し聴いていたかったのに。

 かといって一匹で行かせるわけにもいかない。そのまま勝手に旅に出られたら困る。まだ一度もないけれど、絶対にやらないとは言い切れない。

 猫の背を追う前に、ちらりと二人を見る。

「そんな音も出せるんだ」

「すごいよね」

「すごいすごい、すごいよ織愛おりえ

「私じゃないよ、ピアノだよ」

 ……楽しそう。

 見ていて微笑ましいのに、何故だろう、少しだけ──淋しさを感じる。

 本当に意味が分からない。そんな必要もない。彼女らの奏でる音楽に、最も似つかわしくない感情だ。

「……っ」

 二人からすぐに視線を逸らして、足早に飼い猫の背を追う。

「ぷにっぷー」


 やはり本物の猫の鳴き声は、可愛らしい。


 わざわざ振り返ってくれた黒猫に応えるように、私も言ってみる。

「ぷに」

 さっきのよりかは、本家に近いか? ……いやいやいや、外でやるようなことじゃない。

 徐々に込み上げてくる羞恥心に思わず顔を隠したら、黒猫本家が「ぷにっ」と鳴く。


 何となく、心配してくれてるのが伝わってくる鳴き声だった。

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