お待たせ
黒蜜夜花は本を読み、
黒蜜音夜はスマホゲームをし、
──黒蜜むーはひたすら待った。
◆◆◆
オレンジ色の豆電球、音夜のスマホの画面に、夜花のハードカバーに挟んでいるライトしか灯りのない、薄暗い居間。
夜花・むー・音夜の順に、人間二人は壁を背にして座り込み、黒猫一匹は毛玉だらけの薄汚れたブランケットに
むーは元々、捨て猫だった。
父親が仕事からの帰り道、道の端に置かれた段ボールから、ぷーにーぷーにーうるさく鳴く猫の声が聴こえてきて、無視することができず、家に連れ帰ってきたのだ。
ちなみに、猫の鳴き声としてそれは合っているのか少し気になるが、今はおいとこう。
家族は誰も飼うことに反対せず、その汚れた身体を洗い、餌を買いに行き、即席の寝床を作った。むーが包まるブランケットは、寝床に使われていた物であり、新しい物を用意しても、ゴミ箱に捨てても、気付いた時には自力で回収して包まっているものだから、今はむーの好きにさせている。
時刻は午前二時。
夜花も音夜も社会人、常であればもう寝床に入っている時間だが、二人に動き出す気配はない。
本を読みながら、ゲームをしながら、時折横目でむーの様子を窺うばかり。
むーも、一切動かない。
よく目を凝らさないと、呼吸をしているのかも分からないほど。
それなりに長く生き、身体もかなり弱ってきて──そう遠くない内に迎えが来るのだと、少し前に医師から言われた。
黒蜜姉弟にとって、むーは大切な家族。
かなり余っていた有給を全て使い、もう四日、こうしてむーの傍にいる。
さいごまで傍にいたい。──確かに、それもある。
ただ、それ以上に、待っているのだ。
むーの待ち人、いや待ち猫を。
「……姉さん、寝ててもいいよ」
「……何で?」
「もうずっとページ捲ってないし、ちょっといびきかいてたし」
「……気のせい、だし」
「はいはい。何かあったら必ず起こすから」
「……音夜は?」
「僕は昼間にちょっと寝たから平気。だから寝て」
「……」
眉根を寄せながら、むーの頭をそっと撫でる夜花。
嬉しそうな素振りを、見ることは叶わない。
口をきゅっと結び、手を離すと、自身の身体を横たえていく。
「……私が起きるまで、待っていてね」
そうして夜花は瞼を閉じると、一分もしない内に、寝息を立て始めた。
◆◆◆
黒蜜家に連れてこられた黒猫は、紫色の目をした『むー』と──黄色の目をした『きー』の二匹だった。
最初こそむーの方が少し大きかったが、きーはむー以上に食欲旺盛で、気付いた時にはむーよりも大きくなった。
四六時中一緒にいたが、時折きーは家から抜け出すことがあった。
庭へと続く居間の窓からふらりと。開けてあればそのまま出入りし、閉め出しをくらえば窓を引っ掻いて開けるよう訴えてくる。
外で事故に
ただ、帰ってくる時は必ず、居間の窓から入ろうとしていた。
むーがそこで昼寝をしているから。
むーの傍に駆け寄って、むーに頭を叩かれ、そしてむーの頬を舐めると、身体を寄せ合い丸まった。
脱走癖とその後のシャワーは少し面倒だったけれど、その光景を見られることに少し和んでいた黒蜜家。
ある日、きーが帰ってこなくなった。
一日目は気にしなかった。いつものことだと。
二日、三日、四日経ち、何かおかしいと動き出す。
近所を探し回った。道行く人に話を聞き、貼り紙をしたりもした。
けれどきーは帰ってこず、むーも居間から動かなくなった。
別の部屋に運んだり、動物病院に連れて行く時に抵抗はしない。ただ、家の適当な所に放てば、居間の自分の定位置について微動だにしなくなる。
きーが帰ってくるのを頑なに待っているのだ。
「……きー、遅いね」
誰かが声を掛けても、触れても、むーは反応しない。
静かに、静かに、きーを待って数年経った。
──タイムリミットは、あと僅か。
黒蜜家の者は祈る。
きーの帰りが間に合えと。
◆◆◆
「姉さん……姉さん……!」
身体を揺さぶられながら、名前を呼ばれる。
音夜の声だと認識した時には、夜花は飛び起きていた。
「むー、は……」
視線を落とし、その小さな額に触れる。
温かい。
それに微かに振動を感じる。
「……そっちじゃない」
安堵している所に手首を掴まれ、ぐいっと窓の方へ向けられる。
「あっち」
「……ぁ」
窓の向こうには猫がいた。
小さな毛むくじゃらの、黒い猫だ。
その猫は入れてくれとせがむように、窓を引っ掻いている。
何度も、何度も、そうして──黄色い目で睨み付けてくるのだ。
「……きー」
思わず名前を口にすれば、ぷっ、とむーのいる方からか細い音が聴こえた。
動けない夜花に代わり、音夜が立ち上がって近付いていき、窓を開ける。
小さな黒猫は勢い良く室内へ入り込み、一目散にむーの傍へ向かうと、むーの手に頭を擦り付け始める。
何をやっているのか、夜花はしばらく眺めるだけだったが、小さな黒猫が不満そうに鳴きながら夜花に目を向けた時、気付く。
「ごめん、むーはもう……」
動けないむーの前肢を掴むと、優しく、小さな黒猫の頭を叩く。
嬉しそうにぷにーと鳴くと、小さな黒猫はむーの頬を舐め、その身を寄せた。
「…………………………ぷっ」
聴こえるか聴こえないかの、小さな音。
しかし確かに、むーが鳴いた。
──そしてそれっきり、鳴くことはなかった。
◆◆◆
黒蜜家には猫がいる。
毛むくじゃらの、黄色い目をした黒猫。
最初こそ小さかったものの、半年も経つとかなり大きく成長していた。
いつも元気良く、構え構えと鳴きながら身を寄せてくるが、疲れると居間の寝床に休みにいく。
毛玉だらけの、薄汚れたブランケット。
前まで共に暮らしていた猫が使っていたものだが、その黒猫も好んで使っている。
今日も今日とで、ブランケットに包まり眠ろうとして──気付く。
窓に何かいる。
勢い良く視線を向ければ、何てことはない、小さな黒猫がそこにいるだけだ。
──淡い紫色の目をした、小さな黒猫が。
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