眠りの魔女とその使い魔?
──眠りの魔女は不出来な魔女。
自分や誰かを眠らせることができても、それ以外は何もできやしない。
落ちこぼれの、けれど誰かにとっては必要な、面倒な存在。
今の所、害はない。
◆◆◆
布団の中に入っても、フランチェスカは眠れない。
彼女は最近寝つきが悪く、こうして横になっても、一時間も二時間も眠れず、寝たと思っても疲労感が消えず、少しばかりストレスが溜まっていた。
眠れない原因は、彼女の婚約者。
彼は、並みの人より見目が良く、柔らかな笑みと会話の面白さで、老若男女問わず人からとても好かれ、彼の傍に人が絶えなかった。
婚約する前も後も、彼はフランチェスカを大切にしてくれていたが、自分と過ごす時間よりも、他人と過ごす時間の方が多い気がしてならず、その他人が女性、年上だろうと年下だろうと、自分以外の女性と自分以上に一緒に過ごしているのかと、不安で不安で仕方なかった。
これでも一応言ったのだ、婚約した後に、自分以上に誰かと、特に女性とは、あまり一緒にいないでほしいと。
徐々に険しくなっていく婚約者の顔。
彼は少し鈍かった。
友人達が君に何かしたのかと、何故か責められたので、もうそれっきり、フランチェスカが彼にそのことを伝えることはなかった。
我慢、我慢、我慢。
不満はどんどん蓄積されていき、睡眠時間は削れていく。
もういっそ、婚約を解消して、どこか遠くに行ってしまおうかと何度も思ったが、彼を愛する気持ちだけは失せず、彼を失うことが辛く、ストレスがうんぬんかんぬん。
──そんな時、フランチェスカはとある噂を耳にする。
世に、眠りの魔女と呼ばれる存在がいることを。
他のことは何もできないけれど、その代わり、どんな不眠症を相手にしても絶対に眠らせることができるのだと。
依頼方法は、道端を歩く野良猫、それも黒猫に、眠れないことを記した手紙をくわえさせて、待つだけ。
ほんのり胡散臭さを感じつつも、フランチェスカは藁にも縋る思いで、黒猫を探して手紙をくわえさせる。
まさかその夜に来ないだろうと思いつつ、寝支度を整えると、ベッドの上に腰掛け、窓を眺める。
どうせ眠れないのだからと、ただそうして、魔女を待った。
「……やっぱり、噂はうわ」
『ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
呟いた瞬間に聴こえた、外からの悲鳴。
あまりの大きさに、フランチェスカはベッドに座ったまま一瞬飛び上がり、着地した後はしばらく硬直してしまう。
何なのか、何の音なのか。
外を見る勇気はなく、そのままでいると……。
コンコン。
窓をノックする音が。
「……っ」
動けないフランチェスカ。
じっと、窓を凝視する。
『……あ、あの……』
声が、聴こえる。
『こち……こちら、フラ、チェスカさ、のおた、でふか……』
途切れ途切れの、怯えた少女の声。
自分の名前を呼ばれた気がして、フランチェスカはゆっくりと立ち上がる。
『しっかりしなよ。そんなんじゃ、出てくれるものも出てくれないよ』
『だけど師匠っ! 箒のスピード出し過ぎなんだもんっ! 私本当に怖くて怖くてっ!』
『ヨルカの支度で遅れたからじゃん』
『髪型が上手くできなかったからだもんっ!』
『最初から僕にやらせておけば』
『たまには自分でやれって言われたもんっ!』
「……」
フランチェスカは窓に近付き、臆することなくそのまま開ける。
空中に浮かぶ箒。
そこに跨がる真っ黒な髪の少女と、跨がるというより器用に立つ黒い猫。
ちなみに、フランチェスカの住まいは、五階建てアパートの三階である。
「言ったっけ?」
手、というか右前足を頬に付けて、首を傾げる黒猫。足、というか後足二本で余裕で立っている。
「言ったもん!」
両手をバタバタしながら黒猫に訴える少女。腰までの長い黒髪を二つに結んでいるが、全体的に少しぐしゃぐしゃ感がある。
「……あの」
そっとふた、一人と一匹に声を掛けてみれば、揃ってフランチェスカに視線を向ける。
「……ぁ」
「……えっと、ですね……」
少女は黒猫を見る。
明らかに助けを求める目であったが、
「──ニャー」
今更ながらただの猫のフリをして、箒の上で丸まってしまった。
「師匠っ!」
「……私、夢でも視てるのかな……?」
何だか頭が痛くなり、フランチェスカは痛む箇所を右手で押さえてしゃがみこんでしまった。
「わわわ! だ、大丈夫ですか?」
箒からフランチェスカの部屋へと飛び込んできて、少女は彼女に掛け寄った。
「あ、はい。大丈夫、です」
言いながら、少女の顔を見てみる。
この国の人間ではなさそうな、アジア系の少女のようで、発音に問題はなさそうだった。
「えっと、フランチェスカさんで、お間違いないですか?」
「……何で、私の名前を?」
「私、眠りの魔女です。ヨルカ・クロミッツといいます」
「……っ!」
ちなみにあのひっ……猫は使い魔で、師……シショーですと続けていたが、フランチェスカの耳には入っていない。
混乱と蓄積されたストレスで、頭が痛くて仕方ないが、それでも一つ確かなことは──噂は本当だった。
「おね、がい」
左手で思いっきり少女、ことヨルカの腕を掴み、フランチェスカは言った。
「私を寝かせて! 眠れないのは嫌!」
「ふぇっ!」
驚くヨルカを気にせず、腕を掴んだままベッドに引き連れ、フランチェスカだけ横たわった。
「どうぞ、好きにして!」
「……あ、はい」
フランチェスカの迫力に少し怖じ気づきながら、ヨルカは掴まれてない方の手を、横たわる彼女の目元にかざし、
「■■■■■■■■■■■」
何かしらの呪文を口にした。
「あっ……」
急速に意識が遠退いていくフランチェスカ。
最後に、こんな会話が聴こえた。
「師匠っ! 猫のフリやめてっ! お仕事終わったもん帰るもん!」
「たまには自力で帰ったら?」
「私飛べない! 無理!」
◆◆◆
フランチェスカは何事もなく目覚め、部屋も窓の外も特に異変はない。
きっと夢だ、そう片付ける。
そしてこの日を境に、寝付きが急に良くなり、精神的に落ち着いてきた彼女は、改めて婚約者に相談してみた。
またその話かと機嫌が悪くなる婚約者。けれどフランチェスカは諦めず何度も言ってみて、まともにとりあってくれない婚約者の態度に次第に冷めてしまい、結局、婚約破棄をして、遠くの親類の仕事を手伝う為引っ越したのだった。
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