第70話【バグーダの町の温泉宿】

「この宿、外観が素敵ね。

 拠点の宿を何処にするか迷うけど今日だけはこの宿にしてみない?」


 宿屋街を歩きながらリリスがある一軒の宿屋の前で足を止めた。


 毎日泊まるには少々高そうな宿だったが領都からの旅で疲れていた僕達はゆっくり休める事と美味しい食事を出せそうな宿を求めていたのでリリスの提案を素直に受け入れた。


「リリスの直感を信じよう。もし、ハズレだったら……」


 僕は冗談まじりに彼女の肩に手を置いて「また、実験に付き合って貰おうかな」と笑った。


「私の直感に間違いはないと思うけど、実験ならいつでも付き合うと言わなかったかな?」


「あれ? そうだっけ?」


 僕達はそんな他愛もない会話を楽しみながら宿屋に入っていった。


「すみません。

 今日これから2人部屋がとれますか?」


 宿に入るとすぐに受付の女性がいたのでリリスが部屋の空きがあるかを確認した。


「いらっしゃいませ。

 露天風呂テンクウの宿へようこそ。

 2人部屋でしょうか?

 空きがあるか調べますので少しお待ちください」


 受付嬢はそう言うと宿泊台帳を確認する。


「えっと、普通ランクの2人部屋は満室のようですね。

 特別室で宜しければ一部屋空きがありますが、どうされますか?」


 受付嬢はそう伝えると説明用のパンフレットを取り出した。


「えっと、普通の部屋ならばコレとコレのサービスが付いてますが浴場は大浴場の使用のみで部屋風呂はありません。

 ですが、特別室ですとコレらのサービスは全て付いていますし、大浴場や露天風呂の使用はもちろん2〜3人は楽に入れる部屋風呂もついてますからご夫婦ならばもちろん恋人同士でも満足頂けると思います」


 ドキッ


(部屋風呂だって?

 普通ならば『部屋にも温泉がひいてあるのは便利だよね』って話なんだが、付き合ってもう4ヶ月は経っている成人したカップルがまだまともなキスさえしていない状況なのに混浴はハードルが高すぎないか?)


 僕がちらりとリリスを見ると彼女も同じような事を考えていたのか、少しばかり頬を赤く染めていた。


「その部屋をお願いします」


 僕が迷っているとリリスはあっさり宿泊を決めて受付嬢に部屋の説明などを確認していた。


「あの……リリス……さん?」


 僕はテキパキと受付をすませる彼女の横顔を見ながら呟いていた。


   *   *   *


「へー、さすが特別室ね。

 部屋も綺麗で広いし、外の見晴らしも最高ね。

 やっぱり高いだけあるわね」


 特別室は普通室の約3倍の値段だったらしく、少し驚いたが部屋に入った瞬間から納得した僕達だった。


「後は食事が美味しかったら最高よね」


「そうだね。

 まあ、あの値段で食事が美味しく無かったら部屋が埋まる程の人気にはならないだろう」


 僕達はそれぞれの感想を言いあいながら部屋のいたる所を見ていった。


 カラカラカラ。


 こちらの世界では珍しい横へのスライドドアを開けると町並みを見渡せる展望台が現れた。


「凄い……」


 僕達はその景色に見とれていたが、ふと側にもう一つの扉がある事に気がつきそっと開けてみた。


 かちゃり。


「あっ!」


 そこには2〜3人が入れそうな大きさの露天風呂が設置されて豊富な湯量で入浴者を待っていた。


「凄いわね。

 こんな設備が部屋にあるなんて贅沢よね」


 リリスが話す言葉に僕はうなずきながらも次々と浮かんでくる妄想を頭から振り払おうと、きびすを返して部屋の中に急いで戻った。


「さてと、食事までもう少し時間があるようだから明日の予定を決めていこうか」


 余計な事を考えまいと僕は話題を仕事に振って手帳を取り出した。


「とりあえず、斡旋ギルドへの報告は済ませたから本当ならば町長に挨拶をするべきなんだろうけどアーリーさんが薬師ギルドと町長さんとの話し合いの場を準備してくれると言ってたので無理矢理に面会をねじ込まない方がいいだろうね」


「そうね。

 だったら明日はこの町に留まる間の拠点となる宿の情報を集めてから契約をするのが良いと思うわ。

 この宿は凄く良いけど、こんなに高い宿にずっと泊まってたらすぐにお金が尽きてしまいそうだしね。

 こういった宿は本当にたまに何かの記念日や自分達へのご褒美に泊まるくらいがちょうどいいわ」


 リリスが凄く現実的な事を言うので僕は笑いながら「そうだね」と返した。


「じゃあ明日の朝、宿を出たらまずは町の案内所に行ってオススメの宿をいくつか聞いてから決めるとしよう。

 うまく話が決まったら斡旋ギルドにも連絡を入れておかないとアーリーさんに『連絡がつかない!』って怒られるかもしれないからな」


 僕がそう話していると夕食の準備が出来たとの連絡がきたので僕達は食堂へと向かった。


 食堂はほぼ満席で賑わっていたが僕達みたいに特別室の宿泊客には別の個室が用意されていた。


「この部屋も素敵ね。

 大勢が賑わう大食堂も良いけれど、こうやって2人だけでゆっくりと食事を堪能出来る空間も新鮮で良いものね」


 食事部屋に案内されたリリスが感想を言いながらテーブル席に着いた。


 僕達が席に着くと、次々と料理が運ばれてくる。


 料理の種類こそ違うがフルコース料理のようにいろいろな料理ものがあり、僕もリリスも舌鼓をうちながら堪能した。


「凄く美味しかったね」


「そうだな。

 領都でもこれだけの料理には出会えてなかったからね。

 まあ、領都では凄く高級なお店には行かなかったから僕達が知らなかっただけかもしれないけどね」


 僕達は食事の感想を言い合いながら部屋へと戻っていった。


「さてと、せっかくだから温泉に入りに行くか?」


 部屋に戻った僕は食事の満足感が頭を支配していた為に部屋に露天風呂がある事を忘れており、大浴場に行くつもりでリリスにそう言った。


「一緒に……ですか?」


 そう答えた彼女の表情は見えなかったが耳まで赤くなっているようだった。

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