第31話【閑話 侍女長ミリーナの長い一日】

 侍女長ミリーナの朝は早い。まだ朝の鐘が鳴る前から起きていつもの仕事着に身を固める。


 部屋から出るとまず最初にアーロンド伯爵の執務室へ向かい、その日の予定の確認と室内の掃除を済ませてその足で厨房に向かう。


 簡単なまかないを素早く食べ、部下の侍女達が待つ部屋に行きそれぞれに指示を出す。


「――本日の予定は以上です。何か質問のある方はいますか?」


 いつもと変わらぬ流れに特に質問は出ない。


 その時、執事が顔を出しミリーナを呼んだ。


「旦那様がお呼びだ。執務室へ行ってくれ」


 伯爵の予定は確認しているので何の用事かはすぐに分かったが、推測で動く事はタブーとされているので素直に「分かりました。すぐに参ります」と答えて執務室へと向かった。


 ――コンコン。


「ミリーナです。お呼びですか?」


「入れ」


 許可が出たので部屋に入るとアーロンド伯爵はきっちりとした紳士服に身を包んで外出の準備をしていた。


「すぐに出かけるので馬車を準備してくれ」


 アーロンド伯爵はいきなり指示をだすがミリーナは慌てる事なくすぐに対応した。


「はい。今、使いの者に指示をしておきましたので玄関までお出になられる頃には準備が出来てると思われます」


 そこには伯爵の側で部下の侍女に指示を出しながら彼の外出の準備を整えるミリーナの姿があった。


「うむ。今日は商業組合の役員会への出席だから夜は食事も用意されているのでこちらの夕食は無しに頼む」


「分かりました。そのように指示をしておきます」


 ミリーナは言われた指示をすぐに部下へ伝えて手配をさせた。


「それと、すまないが今日は一日付き合ってもらうぞ。

 向こうでは会議中は控室で待機して、夜は食事会の手伝いと会場警備になると思う。

 帰りは遅くなるやもしれんがサラには話を通しているから屋敷の事は妻に任せておけば良いだろう」


「了解致しました。では参りましょう」


 ミリーナは準備の整ったアーロンド伯爵と共に馬車へと乗り込んだ。


   *   *   *


「――到着しました」


 もともと同じ街の中での移動なのでほんの20分程度で目的地へと馬車は到着した。


 入口では伯爵を迎えるために会の主要メンバーが待っていた。


「ようこそお越しくださいました。本日の予定は午前中に問題のあった商店への罰則議論を昼食を挟みまして午後からは商業ギルド設立についてのご意見と支援についてを議題としてお願いしております。

 全ての議題が終わりましたらその後、会席を予定しておりますのでぜひご出席くださいますようお願い申し上げます」


 商会の会頭達は深々と頭を下げて伯爵を奥へと案内した。


「では、私はこれから会議に出るので君は控室にて待機をしておいてくれたまえ。

 何か必要があれば呼ぶ事もあるやもしれぬから常に連絡のとれる状態でいてくれ」


「わかりました。

 そのようにしますのでご用があれば遠慮なくお呼びください」


 ミリーナは伯爵に礼をして控室へと向かった。


 この建物はもう何度も訪れており、防犯の観点からも立ち入れる場所は全て頭に入っていたので迷う事なく控室へと着いた。


 部屋に入ると見知った顔ぶれが勢ぞろいしていた。


「皆さんお久しぶりです。

 やはりこの会議の主な顔ぶれが揃う時は皆さんも揃われてますね。

 今日の会議は長いようですので私達も少々、情報交換をしませんか?

 いくつか聞いておきたい情報もありますので……」


 ミリーナの提案に同室にいた付き人達はみなうなずいたり手を軽く上げて同意してくれた。


「それでは個別にてお話を伺いたいので奥の商談スペースに呼んだ方からお願いします」


 この部屋にいる者達全員がミリーナよりも年上であったが、ミリーナの役どころが伯爵様の側近侍女だったのでぞんざいに扱う者は一人も居なかった。


「では、ガダルク商会のバーリスさん。

 あなたの商会から納品されているカミューラの油ですが、最近純度が落ちているように見受けられますが何か問題でもあったのてしょうか?」


「やはりお気づきでしたか……。申し訳ありません。

 今年はカミューラの花の産地が大量の虫によって品質の低下が著しい状態になっているのです。

 私共としましても出来る限り精製作業をしておりますが例年通りの水準には至っておりません」


 バーリスはミリーナに頭を下げて原因を説明する。


「理由は分かりましたが、やはり納品時に説明が必要であると考えますので報告義務を怠らないようにお願いしますね」


「はい。申し訳ありません」


「では、次は……」


 ミリーナはそんな調子で情報を集めていき、自分で解決出来るものについてはそれぞれの担当と調整していった。


「――お昼になりましたので、側仕えの方はお弁当を出します」


 昼になり、出された食事を食べたミリーナは午後からも続きをしていった。


「――お疲れ様でした。それでは要望をお伝えした方々はくれぐれも宜しくお願いしますね」


 その場にいた執事や側仕えの者の半数が青い顔をしながら頷いていた。


   *   *   *


 そうしている内に午後の会議が全て終わり、会食の時間がせまってきていた。

 ミリーナは伯爵の元へと向かい、準備の手伝いをしながらトラブルの原因がないかを確認していた。


 準備も無事に終わり会食が始まった。


「特に怪しい動きをする者はおりませんでしたが念の為に警戒をしておきますね」


 ミリーナはそう伯爵に報告すると周りに目を光らせていた。


「ミリーナ。そう気を張りすぎるではない。

 この場に居るのは皆、身元のはっきりした者ばかりだ、主催者の許可もとっているのでお前も一緒に食事をするとよいぞ。

 実を言うと、日頃から忙しくしておるのは良く知っておったのでたまには美味い食事をと思って今回の主催者に頼んでおったのだ。

 だから遠慮はせずとも良いのでしっかりとたべてきなさい」


 アーロンド伯爵の言葉に感極まって涙を浮かべながらお礼を言ったミリーナは本当に久しぶりに美味しい料理を味わいながら食べる事が出来た。


「――旦那様。本日は本当にありがとうございました」


 帰りの馬車で、ミリーナは再度伯爵へお礼を言った。


「毎日忙しくしておるのは知っておるが健康管理だけは気をつけるのだぞ」


「はい。この身は旦那様の盾となるべく鍛えておりますので少々の事では倒れたりはしませんよ」


「まだそんな事を言っておるのか……。

 私はそなたを盾として使うために側仕えにしておる訳では無いと言ったはずだがな」


 そう言い苦笑いをする伯爵だったがふとある事を思い出してミリーナに言った。


「あの、サラを治してくれたナオキとかいう治癒士がいただろう?

 あやつを取り込めば不測の事態にも対応出来るだろう。

 なんとかならぬか考えてみておいてくれ」


「……奥様にも同じような事を言われましたが彼は女性しか治せませんので旦那様に万が一があっても頼る事は出来ませんよ。

 はっ!そうだ。私が旦那様の盾になり怪我を負ったら彼に治して貰えば良いのか!そうかそうか」


「ミリーナ。私を大事に思ってくれるのはありがたいがその考えはどうかと思うぞ……」


「褒めて頂きありがとうございます」


「いや、褒めてはおらぬぞ……」


 そんな会話をしながら馬車は伯爵邸へと帰るのであった。




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