第9話

「それでは308番のお部屋でお願いしますー!」という、私のタイプ――頭の脳天から声が出ている髪の毛が茶色い、しかし尻軽というわけでもない「ちょっと髪の毛明るくして見たんだけど……どうかな?」と照れたような顔をして尋ねてくる、そして私は「似合ってるよ。ちょっと子供っぽいかもしれないけどね」と答え、「もう!」と言って頬を膨らませるけれどまんざらでもないような反応を返すような、そんなタイプ――の女が、マイクが二本と伝票が入った籠を田端クンに渡す。

 あてがわれた部屋は、広くもなく狭くもなく、という二人で入るのはちょっと広いけど、五人だと密着しすぎかも、というもの。

「カラオケ久しぶりなんだよねー」と言いつつ、腕まくりをする田端くん。夏の日焼けの名残が手首に映えるのが愛おしい。

 デンモクに彼がパチパチと入力し、画面にタイトルと番号が躍る。正直なところ、10も年下の若者が何を歌うかさっぱりわからないが、特段迷いなく入力したところを見ると、定番の曲というものがあるのだろう。

 はい、とデンモクを渡してきた彼に「ありがト」と言って、受け取る。さて、定番の「大都会」でも……と思ったところで、電撃走る。

 ――私は何を歌うべきなのだろうか?

 考えてもいなかった。いや、もしかすると自分に内包された課題を無意識的に無視していただけかもしれない。カラオケに行こうと思った時点で、この種の問題が発生することは容易に予期可能だったはずだ。しかし、その一抹、と一掃するにはあまりに大きすぎるこの論点を黙殺し続けて青山から新宿に至るまで他愛のないお喋りを楽しんでしまったのは他でもない、この、私。

「――! ――♪」

 何やら分からない若者向けの歌をノリノリで歌い始める田端クン。下手でもないが、めちゃめちゃ上手いわけでもない。無難と切り捨てて問題がないレベルで、だから選曲もおそらく無難なんだろうな、と想像できる。セックスも無難なんだろう。

 そうすると、私が無茶苦茶な選曲を、特に大一曲でチョイスするわけにはいかないのだ。おそらく「大都会」は正解ではないだろうし、「いざゆけ炎の若鷹軍団」も多分違う。「会いたくて震える」とか「カブトムシ」なやつは一曲目で歌うには流石に雰囲気に問題がある。そもそも歌詞を良く知らない。「転身だ~!」は十八番ではあるが、絶対に正解ではに正解ではない。雰囲気を盛り上げる「リンダリンダ」的な曲もちょっと世代が違うのではないか――。

 Aメロを歌い切った彼が、ちらりとこちらを見る。デンモクを睨んでばかりでは立つ瀬がないので、「上手ね!」と思ってもいない言葉を伝える。

「いやあそれほどでも」と爽やかに笑い、「曲迷ってる?」とこちらのデンモクを覗き込む。

「うん、ちょっとね。あんまりカラオケ来ないから……」

「はやく入れないと、僕が二曲続けちゃうよ!」

 そう言って、流れてくる文字を再び追い始める田端クン。別にそれでもいいのだけれど、と思うが流石に三曲目は許されないだろう。

 これだけは避けたかったが――という思いを胸にしまい込み、秋葉原発、今や全国にその名を轟かすアイドルの、ろくすっぽ聞いたことがない曲を選択して入れる。このアイドル・グループの曲のいいところは、ロクに聞いたことがなくても耳には残っているので雰囲気で歌い切れそうな気がすること、そしてグループ個々人の歌唱力にばらつきがあるので、比較的歌いやすいこと、更に消費期限が比較的長い事。欠点は、面白みがないこと!

 画面に踊る、「ヘビーローテーション」の文字を見て、「古いね!」とマイク越しに彼が言う。いや、おじさんこれでも頑張ったんですよ? クリスタル・キング、決めてやってもよかったんだぞ?

 ひとしきり歌い切った彼からマイクを受け取る。「緊張してる?」と聞く彼に、「ちょっとだけ、ね」と答える。「出来れば手伝って欲しいな」と一本の残ったマイクを差し出す。

 歌えるかしら、という心配は、結論から言うと杞憂であった。彼もノリノリでサビを熱唱し、私も拙いながら画面を流れる文字を追い切った。文化祭でクラスの一軍の人間が躍っているのを見ておいて本当によかった。人生何が役に立つかわからないものである。

 その後は彼の「ナウなヤングにバカウケ」なミュージック――結局ロクに何か分からなかった――を、「いきものがかり」や「YUI」、「ジュディマリ」で耐える。最後の方は若干怪訝そうな顔をしていたが、なんとか乗り切ったと思っている。

 そして来る瞬間――というより、予期していなかった瞬間が訪れる。「いつの日かと、恐れていた。いつの日かと夢見ていた」瞬間だ。実はこれも歌いたかったのだが、あえなく棄却。

 そんなことより。

 私が「バーチャファイターの、ツー!」と言ってあたりで、彼がスっと寄ってきて、

「……イイ?」と顔を距離ゼロに寄せてきて、そのまま唇を奪われた。

「ンっ……」と自分でもイイ感じの声を出してしまうと、彼は満足したようで、そのまま舌を入れてくる。男子高校生なんか、どうせ歯が当たるタイプの間抜けた接吻しか出来ないと思い込んできたが、野郎それなりに遊んでやがるなと思った。

 いつのまにか少し照明が落とされていた室内、皮張りの椅子に押し倒される。別段抵抗はしない。するつもりもない。

 点けなかったエアコンのおかげで、上着は脱いでいた。それでも少し汗ばんだ服の下、背中に手を回し下着が要領よく外される。

「こういうの、慣れてるんだね」と少し嫌味っぽく言うと、

「……そういうの、言うなよ」と田端クンも少しバツが悪そうに返す。

 そこからは言葉はなく、彼が私の胸をねっとりと愛撫する。男子高校生にありがちなガサツさからは無縁のそれに、やはり私は彼を「遊び人だな」と思うとともに、「この人を選んでよかったかも」と思う。決して雑ではなく、しかし過剰に丁寧で遠慮するわけでもない。手で口で体全体で私を満足させる。

 気付けば、彼の手は私の下腹部に伸びていた。長い指が、陰部に入りそうで入らない。

 この大崎マコトの家の風呂場には、よく意味が分からなかった道具があった。電動コケシなら見慣れたものだが、シャンプーとトリートメントの脇に、少し小さい容器が一つ。

 良く見てみると、「アンダーヘア用トリートメント」の文字。

 要すれば、陰毛用のリンスである。笑ってしまって、先ずは使ってみて、時折気が向いたら使うようになった。そして昨晩は意識的に使った。

 そのかいあってか、サラサラと流れる――とは言わないが、スチール・ウールではない陰毛を手に入れた私は、今少し誇らしい。

「ほら、こんなに」と薄暗い空間で、彼が結んだ親指を人差し指を離す。その隙間には、少し糸が引いていた。

「やめてよ、そんなの」と言った私の顔は赤いはずだ。演技ではなく、恥ずかしい。

 ふっと笑い、それには答えずかちゃかちゃとベルトを外す。でろん、と隆起したそれがまろび出る。

「じゃあ少し準備してもらおうかな」と滾ったそれを私の眼前に差し出す。

 強制されたワケではないが、本来的には見慣れていたそれを手に取り、舐る。出来るだけ音を立てて、そして上目遣いで彼を見る。そして舐る。恍惚とした彼の顔が、薄暗い室内でも分かる。

 口からずぶり、とそれが引き抜かれる。「あっ」と言った声が名残惜しく聞こえたのかどうか、また彼が笑う。

 終始この男のペースにやられている。しかしそれが嫌ではない。これが母性本能というやつか。いや、彼が扱いに慣れていることも大きいのだろう。

「ねえ……」と彼に懇願する。私は何を懇願しているのだろうか。

 私の唾液と、彼のそれが出すカウパーが混ざり合い、ヌメりと光る。一瞬「さあお遊びはここまでだ」とカラオケ・ルームならではの音楽が彼方で聞こえたような気がするが、流石に幻聴だろう。そう思うほどには、私は何かに期待していた。

 彼の長い指が、私の陰毛を撫でる。そのまま陰部に指が入っ――らない。入らないんだ、これが。


 そんな私に、再び分速八千回転の衝撃が告げられる。おいおい、こんな良いところで――と思う間もなく、シェイクシェイクそしてブギーな胸騒ぎ。視界が揺れ、ねじれ、重力さえ歪む。ああ、またかと思う思考の片隅に、これが正解じゃないなら一体何が正解なんだと起こっている私が明確にいた。


 ☆


 はっと気が付くと、時刻は午前十一時の少し前。目の前には、先ほどまで私をねっとりと攻め立てていた男が。

 はあ、とため息をつくと、

「またせてごめんって! そんなに嫌な顔しないでよ」と少しあたふたとする彼がいたので、

「ううん! なんでもないの! 少しおニューの靴が痛くって!」といい、ほらね! と自慢げに靴を見せる。

 オニューなのは事実だが、無論ため息は事実ではない。


 さて、今度はどこで間違ったのだろうか。


 ☆


 結局ほうほうのていで帰宅した。もう疲労困憊だ。○○の一番長い一日、といったタイトルはよく見るが、今日がいざその時であった。

 二周目以降、どこで間違ったのかということをひたすらに検証した。

 まず二周目は、全く同じ条件で進めた。結果が分かった状態で野球を見るのもなかなか楽しいという思わぬ副産物があったが、最終的にはやはりカラオケ・ボックスで私の秘部に彼の長い指が入った瞬間にゲーム・セットを迎えた。収穫は、胸はOKということ。乳首は性器ではないのはBPOでもお馴染みだ。

 三周目では私はアグレッシブだった。そろそろうんざりし始めた野球パートを乗り越えて、カラオケ・ボックスに侵入。面倒な「リンダリンダ」もそこそこに、彼のそれを咥える。

「おいおい、とんだ……」という彼の言葉を最後まで言わせない。

「ゴム着けてね」と言って、唾液でとりあえず濡らせた彼のそれを、私の秘部に招き入れる。別に痴女をやりたかったわけではない。ゴム越しならどうか、という仮説をはやく検証したかっただけだ。結果はシェイク。

 四周目から六周目にかけては、シチュエーションの検証に勤しんだ。私の家、彼の家――ご母堂がいらっしゃったが、気にしなかった――、そしてリッチな雰囲気のホテル。いずれもダメ。最後のはむしろ田端クンが反対するのにも関わらず強硬した結果だ。彼のが強硬するのに随分と時間がかかったが。どうやら痴女はお好みではないらしい。

 そういうわけで、都合7試合――日本シリーズ分だ――も観戦してきて、最後はカラオケで「大都会」と「転身だ~!」などオヤジ趣味を思う存分歌って雰囲気をブチ壊した後、じゃあまた明日! と華麗に決めてきた。彼の「ああ……うん!」という困り切った表情が忘れられない。

 とにかくもう、それはもう疲労困憊なのだ。

 しかし疲労の中に、三つの真理が得られた。

 一つ、やはり性行為まで至ると何かが起こる。ここまで強硬に反対されると、その先は何かがあると思うのは、これは自然な感覚だろう。間違いなく、何かある。正直なところこれまではゲーム感覚でそれを求めていたところがあったが、ここに来て目的が変わった。

 二つ、その相手は田端クンではない。個人的には好みにストライクな彼ではあるが、運命はどうやらそれを受け入れないようだ。なぜって、ここまで反対されているんだぜ? 指くらいは入れてもいいじゃない……というところ。

 三つ、どうやら私にも限界が近い。時をかける女子高生ということで、当初は肩や腕、尻の谷間にも番号が無いか確認したのだが、それは見つけられなかった。歴史に学ぶというのはこういうことだと思い、思う存分女子高生を楽しむことを決意したのはもう何日前のことだったろうか。十二分に謳歌した、とは言えないまでも香織と原宿でいちゃいちゃしたこともままあり、まずまずの女子高生ライフを送れた。

 ところが、だ。何もボーカロイドよろしくな囚人番号めいたイレズミが無ければそれでいい、ということはまるでなかった。そう、シェイクの度に、そのシェイク度合いが強くなって来ていた。当初は慣れるだろうと思っていたシェイク感、慣れるどころか耐え難い苦痛に近づいており、もはや精神の均衡を保てる自信がまるでない。ベリベリ最高では全くないのである。

 ある一定の衝撃を脳が受けると、それが縮退するという話は聞いたことがあるが、それにほど近いものが起きつつある。保ってあと数回、というレベルだろう。

 ということで、今後の方針を決めなければいけない――というのが現状だ。シャワーを浴びて、全裸でベッドに寝転がって状況を整理している。それが今だ。全裸なのは、もちろん性欲が欲求不満だから。全裸だからどうしたというワケでもないのだが、とにかく堪え難き性欲。生殺しとはまさにこのこと。

 スマホに目をやると、「今日はありがとう! ちょっとイメージと違ったけど――」というラインの表示。適当にあしらう。彼は紳士であったが、私の相手ではなかったようだ。

 そう、彼は紳士であった……。紳士は道具を巧みに使う。

 ホテルに行った周回、彼は巧みにうら若き乙女である私をリードして、怒張こそ待つことにはなったが、その怒張の瞬間、彼は私にそれをねぶられつつも、合間合間で、ディルドのお化けであるディルディストを私の秘部へシュート。

 ――もしかして、入っていた? ような気がする。

 いや、間違いなく私の秘部へそれは入っていた。その時六回も同じような周回を繰り返したせいでもはや作業と化しており、快楽もへったくれもなくなったマグロのごとき私のそこへ、ディルディストは侵入した記憶がある。多分、ちょっと入った――先っちょだけよ?

 そう思えば、先ほどの要件の他に「シチュエーション」という要素が必要なことは推測可能だ。

 要すれば、正しい相手と正しいシチェーションでチョメチョメすれば何かが起こる。そして、それは可及的速やかに実施しなければいけない。全裸かつ疲れ切ったこの私にも、それくらいの推理は成り立つ。刑事は足で稼ぐとはよく言ったもので、実地調査は重要であるなあとは本日の学び。


 あとは疲労と共に闇に紛れた。闇の中に、少しだけ切り捨ててしまった彼に申し訳なさが残る。

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